第32話 伯井の過去ー①

「蜂?」


 受け取ったデータを携帯型モバイルに入れて壁に寄りかかったまま、紫煙をくねらせる。目の端に「禁煙」マークが映ったが、自分のスタイルを曲げるつもりはない。


一頻り読み終えて、データ管理局の間違いではないのか?とTAKUは自身の目を疑った。


「蜂が押し寄せてくるとでも?」


「その女王が今回のクライアントです」


 馬鹿馬鹿しいとTAKUはモバイルごとダストボックスに捨てて背中を向けた。慌てて補佐の少年が手を突っ込んで裁断寸前のPCを救出する。


(あれ?この顔.....気のせいか?)

ポッドの中で伯井ハヤトを思い出す。タクと呼ばれた男はそっくりで、どうやら自分は俯瞰で見ているようだった。


(似ているけど....アナザーワールドか?)


会話は続いている。蒼桐はいつしか次元に溶け込んでいったーーー。


「上層部はこの俺様に虫の駆除をしろと。頭を冷やすように言え。恋愛機構の名が泣く」


 昆虫相手をしている暇はない、と言い切ったTAKUだが、ぴたりと足を止めた。


「女王、と言ったな・・・・・・まさかキングダム・ハチビリア=イーストではないだろうな」


「そのハチビリア=イーストの女王です。詳しくは彼女から伺ってください。急では貴方は拒否るだろうと、我々は判断し、既にコンタクト済みです」


「ゲストルームか」


「いえ、室内は嫌だと言うので、臨空公園の一角に特別にブースを設けています。この契約、お引き受けくださいますか。監理人TAKU」


 TAKUは返答の代わりに、足下にあるアタッシュケースの手錠を填めた。


Kurya Name:

East Hachibiria = Place of Birth:

Man nutritious: favorite type of

(Can be decrypted by the slang translation in non-dedicated software.) --------------: Of ideal love

名前:クーリャ

出身地:ハチビリア=イースト

好きなタイプ:栄養価の高い男

理想の恋愛:――――――――――――――(スラングにより解読不能。専用ソフトにて翻訳可能)


***


 目の前の女王は蜂の習性か、常に空中に浮いていた。


(巨大な蜂を想像していたが、蜂が進化したハチビリアは人型だったか)


 TAKUは吐息をついて、相手に訊いた。


「俺は面倒くさい言い方はしない。何しに来た。地球の男に思い入れがあるとは思えないが」


 ハチビリアの女王はアルト・トーンを響かせた。ショートカットの美人だが、触覚と手首の大きな針はどうしても違和感を覚えさせる。


「私はもう時期寿命を迎え、役目を終わる。それが嫌で、逃げて来たんだ。女王交代の惨めさを知っているか? ハチビリアの女王は次の女王が生まれれば、放り出される。そして宇宙を漂って死ぬのがオチだ。その前に巣を作る必要がある」


「老後の住まいの確保か。滑稽な」


「貴様ぁっ。女王たるわたしに何という口をきく」


「女王?ああ、確かに。これが証拠だ」


 TAKUは女王の手の毒針を手で掴んで、それをぐいと引っ張った。う、と手の針を握られた女王が眼を瞑る。蜂は針を抜かれれば、内蔵ごと腐り落ちる体質。ハチビリスの人型であろうとも、蜂の最後の断末魔のメカニズムは進化の中、持ち合わせているのだろう。


「大分衰弱しているようだが。宇宙を飛ぶだけで、命を削るようなものだ。クーリャ女王。おまえの目的は地球人の捕獲と、その繁栄だな? そうはさせられないんだよ。ここで殺すのも簡単だが・・・それでは宇宙恋愛法に違反する。AIDMAが保護したものは契約内は殺せない。クライアント保護法というものがある」


「う、あァ……っ!」


 内臓を揺さぶられて女王が喘ぎを漏らす。その声は標本の為に手足をオトされるときに発する昆虫の断末魔かとTAKUはスーツのポケットから一つの物体を取り出して、コトンとガラスのテーブルに置いた。クーリャ女王の目がぎょろりとその物体を捉え始めた。


「知っているか?これはチェスだ。こいつはクイーンと言う。まあ、たわいない盤上のゲームだが、俺は好きなんだ。こうして、争いあって相手のキングを落とした方が勝利者。俺は契約したクライアントを違反してまで護るような素直な監理人じゃないんでね。クーリャ女王。取引だ。一週間時間がある。その一週間で、俺かおまえか。勝った方はこの地球を好きにする権利があるゲームをしよう」


 相変わらず針を握られた女王は手を離された瞬間、地面に崩れ落ちた。その金色の眼でTAKUを睨み上げた。


TAKUは


「では改めて。ああ、やり直しをジャロッブと言うんだったか」と悪びれもなく告げることになった。


***


『恋愛契約 保全番号:7985512498

 標的:T地区 坂巻 渉 マッチング% 200%を突破

作戦開始 明朝7時』 


『海の音を聞きながら、優雅にティータイムはいかがですか?』


(ったく暢気な看板掲げやがって!)


 ランチタイムは地獄の忙しさだ。この界隈にあるビジネスビルのリーマンたちに人気のあるランチサンドを何回も往復して運ぶ。それもマリンレストランらしく、クルーのデザインで作られた制服は堅くて動きにくい。坂巻渉(さかまきわたる)は額の汗を拭ったところだった。


 ――東京湾お台場。海の傍のマリンラウンジ。マリンカフェ・ブルーライン


「坂巻!次でオールだ。売り切れの看板出して来い!」


「はい」


 せかせかと看板を運んだ。(引っかかって動かないぞ。あー靴紐が絡まった)


 力業で引き抜くと靴紐がブチンと切れた。バイト用の靴が一つ駄目になった事にウンザリして看板に「今日は売り切れ」の札をかけると、客の大半が逃げていった。


 昨今のマリンカフェブーム到来に加えて雑誌の特集に組まれてからの客足と、供給が追いつかない。


(だから人間のヤル事って粗相だらけなんだよ)


 昆虫社会学で学んだ昆虫の素晴らしい需要と供給のバランスと比べると、全く生殖くらいしか勝っているものがないのではあるまいか。


年中発情期。


ため息をついたとき、看板の隅でくすくすと笑い声が響いた。


 ふわふわのゆるパーマに淡いピンクの春コート、モーブルピンクのパール色のルージュが可愛らしく輝いている。


 宝生檸檬(ほうじょうれもん)。ミス大学の名を欲しいがままにする、渉の彼女であった。過去形である。


「やぁっと気づいた」

「・・・宝生・・・・・・」


 渉は名前を呟いて、看板をどん!と置き、店内に戻ろうとする。その腕を檸檬がしっかりと引き寄せた。


「なに」

「渉、どうしてるかなって」


「見ての通りバイト。帰ったら蜂の生態レポートの続きを書く。以上」


「あ、待った待ったぁ」


 待った待ったって。渉の眼に怒りが過ぎる。この女は相変わらず馬鹿かと言い返したいのをぐっと腹で堪える。だから嫌なんだ。人間は。


「あのね、渉」


宝生檸檬は戻りついでにテーブルを片付けていた渉の後でのろのろとしゃべり出す。


「言わなきゃいけなくって・・・あのね、私、おなかに赤ちゃんいるの」


「ふうん……え?!」


 せかせかとテーブルを拭いていた手が瞬時に固まった。うっかりセッティングされたばかりのグラスと水に浮かべるタイプのテーブルモニュメントを倒してしまった。

「何やってんだ!坂巻ぃ!」というオーナーの𠮟咤。


「すんません!」言い返して、渉はまだ十分少女の檸檬の表情を伺う。


「今、何て?」


 にっこりと笑って、檸檬は言った。


「渉の子がいるっていったの。でも堕ろすつもりだよ?」


 ――ジーザス……。


***


 僅かな時間が過ぎ。渉は持ち前の冷静さを取り戻した。


「構って欲しいなら、もっとマトモな嘘をつけよ! わかってんだろ!俺はおまえとは」


(くそ、涙が溢れて来やがった)


 渉は眼を擦ると、首を振った。何をやってる。動揺するな。知っているだろう。檸檬がどんな男と付き合っているか。同じ大学でも人気の高い4年生。森嶋都。

檸檬はその躰で落としたとしばらくウワサになるくらい、森嶋にご執心だ。


 女なんて見てくれで決めるんだ。命がけで護っても、凛々しさが奪ってゆく。


「森嶋都は知ってるのかよ」


 びくりと檸檬の肩が震え上がる。ほらみろ、図星じゃないか。タチの悪い冗談。


(冗談、だよな)


やがて檸檬は足音だけは軽快な春サンダルで、足下重く、去って行った。さて、大学だ。バイトの間の失態を怒られて、いつもの坂道を自転車で大学に向かう・・・ところで、自分の自転車の前に屯している男に気がついた。


いかにもな服装。だが、自分のロードレーサーのチェーンはそうそうは切れない。渉は様子を見ていたが、いつになっても男たちは退かない。もしかして、自分を待っているのだろうか。関わるのはご免なんだけど。


「あの」

「坂巻渉?」


 頷くと、渉はそこをどけと言いかけて、両腕を掴まれ、壁に叩きつけられた。


 咄嗟の判断が出来ず、相手を見定めるも無理だ。目深い帽子から、鷲の眼が覗いた。


「明日までに百万だ」


 耳を疑う金額。目の前の男はキャップ帽をついと上げて見せた。


「檸檬のガキ、堕ろす金に決まってんだろ。檸檬に言えって言ったんだけどな~。4年生に逆らうと、サークルでハブられるよ? それに、昆虫社会学専攻? っは。昆虫セックスでも研究するの?」


 にやりと笑った顔は自分よりも数段美麗だ。檸檬が夢中になって追いかけている森嶋都。あまり言い噂は聞かない。彼女をとっかえひっかえすると聞かされたことがある。森嶋はもう一度渉の胸ぐらを掴むと、その眼で睨み付けた。


「だめだよぉ? 元カノ困らせちゃ? おまえが出さないなら、檸檬だ。どうしようが俺の勝手でしょ?あいつ、俺が死ねって言えば死ぬだろうな。一生懸命で可愛いからきっと」


 優しい口調で言いながら、座り込んだままの渉にかがみ込んで、森嶋は壁に拳をたたき込んでロードレーサーを蹴飛ばして見せる。


「飽きたら返してやるよ。とっとと用意しな」


 切れた頬が痛い。ちくしょう、と小さく呟いた。


(檸檬が妊娠?子供?あり得ないあり得ないだろう。出来なかった・・・・・・檸檬が泣くから・・・出来なかったはずなんだ!)


 男を受け入れる女のつらさは男には分からない。いくら求愛のサインがあろうとも、その辛さは知ることは出来ないから。だから、あの夜は抱きしめて眠っただけ。


(この醜い一部が綺麗な檸檬の中に侵入する・・・・・・そんなことはあってはならない)


 頬に雨が当たり出す。お台場の路地裏は表面のレジャーエリアの罪を背負うかのようにみすぼらしく、そして華やかさに欠けていた。よろよろと自転車の鍵を出したが、手が震えて、水たまりに落ちた。一匹の蜂を見つけて飛び上がった。


 ―――何だ、死んでるのか。


 頭が長い。恐らくスズメバチの種類だ。足の節が8節。使われて死んだ雄蜂。クマンバチではなかったのが幸いか、と動かなくなった蜂をただ見つめる。


 こんな人生は嫌だ。

人に使われ、命令されて終わる人生など迎えてたまるか。ただ、今の自分はこの蜂の気持ちが分かる。分かりたくもないのに・・・・・・父さん、母さん。


「大学、始まっちゃうな」


 そう呟いてロードレーサー型の自転車のハンドルを握った。バイトから大学に行くために購入したものだが、デザインに惹かれて少々値が張った。ギアの精密度は高いし、坂道など風のように走る。バイト先から大学までの海沿いのサイクリングは最高だが、しかしこの雨は。


 ばしゃん、と水音が聞こえそうな土砂降りに渉は自転車を再びくくりつけることにした。ため息をついて、かばんを肩にひっかけて歩き出す。神様は意地悪だ。どうにもならないことを強いてくるのは、サディズムなのか、それとも可愛い我が子を崖に落とすアレか。


「坂巻渉」


 路地を出るところで、呼び止められた。またあの男かと顔を上げるが違った。目の前には男が立っていた。春だと言うのに、全身黒コートにアタッシュケース。SPだろうか。厳めしい雰囲気。相手にせず、背中を丸めて通り過ぎようとしたところで、長い足が伸びた。


「なんですか」


「俺は名前を呼んだはずだ。坂巻渉。ようやく足を止めたな」


 SP男は言い、しっかりと手に繋がっているケースを開けた。思わず壁に後ずさりした渉に札束が一つ飛んできた。


「話は聞いていた。取り敢えず一つ、持って行け。ギャンビット」


「ギャンビット?」

「犠牲に使うポールの事だ」


 ポール? 確かチェス用語。手の中に押し込められた札束を投げ返した。


「こんな意味のわからん金! 要るかっ」


水たまりの蜂の上に札束が落ちる。それはどんぶらこと沈んで、蜂は見えなくなった。


目の前で男は流行のタッチパネルに指を滑らせている。


「坂巻渉。両親は既に他界。今は都立y大にて昆虫社会学を専攻。性格は引っ込み思案だが専門的知識に関しては饒舌。彼女宝生檸檬と喧嘩中。好きな食べ物?どうでもいいな。データ保全部は何を探ってきたんだ。昆虫社会に詳しいらしいな。衰退しているから、分野では権威になるだろう」


 次々と読み上げられる情報。自分を冷静に分析され、渉は言葉が出ず、おずおずと会話に応じる填めになった。


それでなくても、目の前の男の風貌は自分とはかけ離れていて・・・森嶋のような華やかさはないものの、迫力があった。


「蜂の生態の博士を目指しているとか? ではヤドリバチを知っているな?」


「寄生蜂ですか。ある標的に卵を産み付けて、その体内で子供が育ち、食い破って繁殖する。一説には新しい蜂の社会構造だとか」


「俺は蜂が苦手でね。そんなもんを勉強しているおまえの気が知れない。が、まあいいだろう。交渉だ、坂巻渉」


 交渉?


 元彼女に堕胎するなどと宣言され、男に百万だと脅され、挙げ句の果てに変な男と交渉?


 全く今日はなんて日だ。


(関わらないに超したことはない)と背中を向けた瞬間に、男が言った。


「おまえには今から一週間、恋愛をして貰う。そいつと一週間以内に交尾出来れば更に報酬を出す。ただし、出来なければ、おまえは消えるという契約だ」


「小説でも書いていて下さい」


 忙しいので。と逃げた渉の肩をその男が押さえた。その顔面にアタッシュケースを開けた中身を見せつける。テレビで見るような、ぎっしりと詰まった札束がそこに在った。


「これでは不服か? 数えてはないが、ま、10億はあると思う」


「十億?!」


 完全に動きが止まった渉ににこりともせず、男は路地の中に戻り、一人の女性の腕を乱雑に引いて戻ってきた。


それはいい。ただの女性、というならば驚くことはないのだが。


 髪の色は緑で、それも前髪の前にあるものは。どうみても。


「どうした?」


「その人の髪が触覚に見えるんです」


「この女性は所謂蜂型宇宙人だ。こいつを怒らせると地球が滅亡し兼ねない。頼むぞ、青年」


「な、何をさらりと言ってるんだ! う、宇宙人?!」


(宇宙人と一週間恋愛しろ? 地球が滅亡しかねない? これは夢だ)と渉は頭を押さえた。


 それでも、目の前の現実は疑うべくもない。雨は強く世界を打ち付けていた。やがて背の高い男がかつんと上品ではあるが、大股で歩き出し、その早さに慌てて今度は渉が腕を掴んだ。


「常識で考えても理解出来ない! だ、だいたいなんで僕が・・・・・・」


「この世界にはおまえの知らん事など星の数ほどある。不思議でもなんでもないだろうが」


「そ、そりゃそうだけど・・・っ! 突飛すぎ」


「突飛のどこがいけない。与えられたレールを走りたいなら、汽車ゴッコを死ぬまでしていればいいさ。男のくせに、チャンスすら逃すから、彼女に逃げられるんだ」


 ――そんな言い方は。


 思わず涙目になった。この男は危険だ。人の心にぐいぐいと入ってくる。


躊躇せずに支配する何かを持っている。既に入り込まれてしまった。渉は項垂れ、先ほどから言葉を発さない女性(ただし触覚付き)を見やった。見た目は地球の女性だが、その触覚と羽は誤魔化せない。


「俺はAIDMA監理人のTAKU。こっちはハチビリア=イーストのクーリャだ。ちょいと地球の男と遊びたいと言い出してね。一週間後には勝手に帰るから、適当に相手すりゃいいさ」


「ちょっと待ったぁ! あんたさっき『地球が滅亡』とか言わなかったか?」


「あー? うん? おまえの聞き間違いだろう。それじゃクーリャ。手酷くするなよ。面倒を起こすな」


 あっという間に監理人の姿は雨の中に消えてしまう。それでなくても、海沿いは霧が濃い。あんな重いアタッシュケースを片手で・・・自分ではロードレーサーを起こすのもやっとなのに。


〝男のくせにチャンス逃すから、彼女に逃げられるんだ〟


言葉を思い出してむかっ腹が立った。


 蜂頭の女性は金色の眼を瞬かせて、渉を見つめている。


「何ですか」

「珍しいなと思ってな」


 尊大なしゃべり方に低い声。外見の綺麗さとは雲泥の差だ。それに地球の女性よりもずっと綺麗な肌をしているのも驚きだった。


(ああ、プロポリス)


浅ましくも人が蜂のお宅から奪う希少価値のある成分には確か美肌効果・・・・・・。


(そんなことはどうでもいい!)


「いいから来て!」


 こんなものを誰かに見られたら! 


渉は自分のパーカーコートを脱ぐと、クーリャに被せ、手を引いた。「私は飛べる」と言った彼女を睨んで説き伏せて、ともかく何とかマンションに帰り着いた。エレベーターは使用できない。八階まで階段を上ったら、クーリャは飛んでついてきた。もう、頭がおかしくなりそうだ。


「ここがおまえの巣?」


 ふう、とクーリャが甘い吐息を吐いて、懐のポケットらしい部分から札束を取り出した。


「あの男も慎重よな。私にも渡せと預けて行ったぞ。ふうん」


 クーリャは面白そうにまた渉を視認し始めた。


「おまえ、旨そうな精子を持っていそうだ」


 ぶちんと切れそうになるのを堪えて、渉は顔を背けた。


 ――僕は何に騙されているんだ。部屋にメスバチなんか連れ込んで。


クーリャはふよふよとした触覚を惜しげもなく晒し窓に近寄った。慌ててカーテンを閉めた。机の上に出された百万の札束が眼に映った。


「これ」と言いかけたところで、玄関のチャイムが鳴る。今度は何だ。蜂の捕獲員か保健所かとドアノブを捻ると、檸檬だった。


「大学に来なかったから心配で」


「ご丁寧におまえの彼氏が取り立てに来たけど!ああ、丁度いい! これ持って帰れば?何度も言いたくないけど、僕は檸檬を抱いていないから!」


 札束を押しつけて、ドアを閉めた。


何度かドンドンとドアを叩く音を耳を押さえてやり過ごす。やがていつものミュールの音はいつになく軽快で。


(やっぱり金なんじゃん)とますます落ち込んだ渉の前で、するりんとストッキングのような膜が飛んできた。ふう、と蜂の宇宙人がニーソックスのような膜を脱いでいる。


「・・・何してんだ・・・あんた・・・」


「何を揉めているんだか。雌を目の前にして抱かない? 競争すらしない男など社会から弾かれて当然であろ。訊いていなかったか? 私と交尾することが条件だと」


「愛の行為を交尾などというデリカシーのない宇宙人とHするシュミはないっ!」


 クーリャの動きが止まった。それにしても、触覚さえ無ければ立派な女性の躰をしている。蜂の交尾を想像して、背筋を震わせた。


「宇宙人が嫌か。面白い好みのより分けをするな。昆虫に詳しいのなら知っているだろう、擬態という能力がある」


 触角とど派手な緑の髪と金色の眼を引っ込めたそこには、ショートカットの女性が立っていた。これでどうだ?と交尾を迫る女性から部屋に逃げ込む。布団をかぶって、眼を瞑る。


 ―――たくさんだ。もうたくさんだ。一週間この部屋で過ごしてやる。


悪さをするならバルサン炊いてやるからな!


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