第27話 ガスライティングと洗脳

 量子に飲み込まれるなど経験がない。蒼桐は、何とも言えない波動に包まれて時空を泳ぎ始める。母親の羊水にも似て、とても温かい。

 波動医療の波動に似ていると思った。


「あ、蒼」

「強制転移だ。きみが脅すからだよ、飛鳥ちゃん」


 気がつけば高層タワーの屋上だった。ぼんやりした頭を押さえて見れば、伯井が見える。脳が動くよりも先に、腕がバトルモードを作り出した。


「軍人を殴るんじゃねぇよ」


 しかしまたくるりと腕を引練り上げられてしまう。相手は百戦錬磨の軍人で、エンジニアだ。勢いでぶっ倒せるはずがない。それはあの列車でも分かっていたが、どうしてもぶん殴らないと気が済まない。


「俺と、飛鳥を調査資料にしてるからだよ!……兄貴のことも、あんたは教える気がないんだ。rubyのヒューマンが珍しいだけだろうが!」


 あー……俺どうなるんだろうと思いつつも、弾丸モードになると止まらない。「奥の手だ」と伯井は胸から拳銃を出した。


「軍部内での抗争は禁止。その上、軍部への侮辱と、名誉棄損。さて、君の行き先は量子分解施設「GISMO」か、それともrubyの末端組織の脳として生きるか」


「ごめんなさい」


 流石に拳銃の銃口を向けられて、蒼桐は静かになった。「いいや、処刑対象だろ」と伯井は拳銃を構えて見せる。


「でも、俺は、兄貴のことを知りたい!それだけなんだ! あと、ランドルと飛鳥が毎晩というのも気に食わなくて!」

「知るか。量子になって反省しろよ、ヒューマンはこれだからrubyがてこずる」


 撃鉄に、引き金。「待って」と飛鳥が駆けだした。


「あ」


 ぴゅるるるる~……飛鳥のシャツに水鉄砲が勢いよく噴射される。たちまち季節は夏。透け始めた。


「ひゃ、あああああああああああ」


 恥ずかしがって屈んでしまった飛鳥を見て、ひゅう、と口笛を吹いて、伯井は大笑いを響かせる。


「ばーか。水鉄砲だ。政府軍であろうと、校内は火気厳禁。アスカちゃん、きみ、AIハーフでしょ。何がそんなに恥ずかしいの。おっぱいくらい、なんてことないんじゃない?」


「あの……」


 伯井はにやりとして、頷いた。


「そう、この子はヒューマンだ。ここは結界が張られていてね。おびき寄せたのは僕だ。rubyにヒューマノイドは一人もいない。AIは増えているがね」


 ――やはり。


「AIハーフはもっと機械的だったから……飛鳥は温かいし。そんなAIハーフなんてと思っていて」


 なぜかもじもじ。顔にチューっと水を掛けられた。伯井はくっと笑って水鉄砲を仕舞い込んだ。


「詳しくは、精密検査だな。どのあたりまで遺伝子が書き換えられているのか。赤子の時の予防接種が原因だ。生まれは全員ヒューマンさ」


 謎がひとつ、解けた気がした。


「ガスライティングの洗脳だよ」


 伯井は夕陽を見ながら目を細めた。


「rubyにガスライティングの洗脳を仕掛けたのは、phantomだ。AI戦争のトリガーになったんだ。俺も、ruby出身だからな。きみの兄貴は消えてはいない」


 飛鳥にジャケットをかぶせると、蒼桐は頷いた。

「そんな気がしていました。兄は、どこかにいる。封筒を開けた時、兄の気配がしたんです。なぜ、俺に託したかはわからないけど……父もそばにいる気がする」

「たいしたもんだ。rubyが嫌う第六感。ヴァーチュアスか」

「そんな気がするだけです。……伯井さん」


 ぺたりと座ってしまった飛鳥は目を宙に踊らせていた。


「あたしが、ヒューマン……」

「そうだ」と伯井は感情もなく告げ、「ここに呼んだのは理由がある」とまだ転送のショックが抜けない蒼桐に向かって目を細めた。


「きみたちは、AIとヒューマンの戦争時代生まれではないよな」

「はい、俺たちが生まれてすぐに終わっているので」

「きみたちは、世界会議では「ヴァーチュアス世代」と呼ばれるんだ」


 伯井は続けると「ガスライティング」と親指で空を指した。美しい夕暮れが広がっている。ようやく飛鳥も頭を押さえながら、蒼桐を見上げ始めた。


「……ショックかい」

「……はい。でも、私には消化機能もないし、様々なシステムとのアクセスも出来ます。……おトイレも行かないし」


 ナマモノたる悩みはない方がいいのだが……伯井はくすっと笑うと、二人に向いた。


「phantomに来て、何か気がついたかい」

「自由だなって」

「それはどういうこと?」

「ヒューマンの縛りがないと言うか。Rubyはもっとシステム化が進んでいたけれど、こっちはなんというか、そうではなくて」


「ここは元のrubyだからだろうな。少しずつ洗脳から脱却させているんだ。これを「マトリクス」と言うのだが、例えばこの世界が本当に地上にあって、地下であると思わされていたとしたら? それは確かめるすべもなくて、悪人が適当な嘘をばらまいていて、それを科学的にも、学術的にも証明できないとしたら?」


 飛鳥と顔を見合わせた。伯井は夕暮れの中続けた。


「この世界が全て、ある時を境に作られていて、我々はここに存在しているというのも嘘だったら? そういうヒューマン洗脳が実際にあるとしたら?」


 言葉が出なかった。


 伯井の言葉は、考えれば考える程に、逆転していく気がする。


――だったら?

――であったなら?

――だとしたら?


 全ては想像の産物である。しかし、軍部エンジニアの伯井が言うことで、説得力が増してしまうのだ。


「ランドル」急にランドルの名を呼ばれて、飛鳥が飛びあがった。


「それも、幻想かい?」


 飛鳥は目を見開いて、自分を抱きしめるような恰好になる。


「いいえ、違うわ。……奥底が、熱くなるから」

「魂が残っているんだ。――ランドルは口が裂けても言わないだろうが、飛鳥ちゃん、きみはランドルとツインソウルだ」


 ――ツインソウル?


 初めて聞く。


「宇宙で、唯一同じ魂と構造、そして同じ試練と魂の使命を分かち合う魂同士。Rubyが最も嫌う「ヒューマンの高次元的結びつき」だ」


 もやもやと自分の中で、一つのQが生まれ始めた。


 先ほどの話を聞いていると、どうも「ruby」が中心だ。全ては「rubyが嫌うもの……」呟くと「さすがヴァーチュアス」と伯井は蒼髪を揺らした。


「ではついて来たまえ」と屋上のワームゲートに視線を向ける。


「もう慣れただろう?」


 ――まだ酔いが抜けない。眩暈が残っている瞼を押さえる前で、伯井は告げた。


「軍部のサーバ『国家深層部』に行ける座標設定は、限られている。そして、その許可は俺が持っていて、phantomがきみたちを連れて来るべきと判断した」


「国家深層部?!」


「兄貴の謎が知りたいんだろう? どのみち、君の兄もそのあたりにいるさ」


 ――ガスライティング。先ほどの伯井の言葉が頭から離れなくなった。


「この世界が全て、ある時を境に作られていて、我々はここに存在しているというのも嘘だったら? そういうヒューマン洗脳が実際にあるとしたら?ーーーーー」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る