第9話 生命証明書と2つの気配
明らかにその周辺は異質な雰囲気が漂っていた。どう異質であるというと、空間が無い。ぽっかりと開いた空間はすり鉢状……いや、漏斗のカタチに捻じ曲げられて、半分の空間がひしゃげていた。そればかりではない。辺りには、ドッグモデルの破片が散らばっている。
やがてそれらは全て量子になって消えて行った。
「なに、これ……」
たどり着いた十路地で、飛鳥は言葉を途中にして呆然としている。二人の前に、量子元素の光の粒が舞い降りた。
「良かった、うちじゃない。区画が違った」
だが、非常に近い。噂には聞いていたが、次元消去の現場を見るのは初めてだった。次元消去とは主にAIシステムが「不要」と察知した空間を別次元へ送る次元転換転送システムだ。地下で、システムが充実しているからこそ可能な一切消去である。
そして空間はまた元通りの区画を形成し始めた。ターゲットの家を無くし、違う区画に変わって行く。また、そこには新しいAIが引っ越してくるに違いない。
建設も引っ越しもない。次元ワープで突然あたかもそこにあったような不自然さで町は出来ていく。
「すげえ技術だな」
「どこのヒューマン? ヒューマノイド? 迷惑なんだけど」
「はやくAI統一法が出来ないかしら。ヒューマノイドも要らないわ」
ぎくりとしたが、AIたちは蒼桐には気づくこともなく、無駄話をして去って行った。
「……昨日の手紙に関係があるのかな、機密でしょ」
「あるわけないだろ。……どこかのヒューマノイドが粗相でもしたんだ。そして、『制裁』が落ちた。仕方ない。この地下は全てAIの眼で守られているんだしよくある話だろ」
「でも、なんか機密」
「飛鳥、怖がるのは分かる」と蒼桐は細い飛鳥の肩を両手でつかんだ。「それを軽々しく言わないで欲しい」と言い聞かせるように呟く。
「でも」
「飛鳥!……ったくAIなのに、怖がるんだな」
ちら、と目を上に向けると、蒼桐は飛鳥の手を握って、自分のポケットに突っ込んだ。合わさった手のひらから「ピピ」と体温上昇と周波数の測定のためのナノチップの音がする。
ヒューマンは周波数を測れない。AIの飛鳥の手は周波数を弾き出した。
「……合ってるね」
「うん」
ポケットの中で小さい手がウゴウゴと動く。再度ぎゅっと握ると、飛鳥は手を動かすのを止めた。
「コワがりなのは分かる。でも、あの機密は二人だけの秘密にしたほうが良い気がするんだ」
言いつつも、蒼桐は自分にも言い聞かせていた。飛鳥の言葉は間違っていない。なぜなら、昨日からこの周辺の生体は、蒼桐を認識していないように思えたからだ。
先生が来ないことも、AIやCIが見向きもしなくなったことも。母親の「なかったもの」の取り扱いも。
――生命証明書が消された?
それなら、もっと弊害が出るはずだ。
(これは、警告かもしれないな)
phantomには黒いうわさがある。昔は巨大な大陸で、AI戦争の時は最期のヒューマンとして戦い、AIとの和解が出来るような未来知能のあった国が大元だ。
――UNITED・ステイツ 歴史にはそれだけ残されている。
そのCI言語を評して「phantom」と名付けられた。
しかし、今日は夜が心配だ。なぜなら「次元消去」に当たった区画は夜に再設定で様々な奇妙な次元現象を見るという。
相手はphantomかrubyか分からないが、phantomのミリタリ―部隊は特殊だ。
「飛鳥、心配なら、うち、来る?」
何気なく言った言葉に、飛鳥は「げっ」とAIらしからぬ反応を見せた。
「ば、バカ。そういう意味じゃない。不安なら一緒にいたほうが……」
「いたほうが?」
ピーピピピ……
飛鳥の手のひらのサーモグラフィが露骨に反応して、二人は同時に言葉を喪ってしまう。
「冗談、よね。AIがいるわよ」
「まあ、お袋AIがショートしたままだから。父も何も言わず、そのままダイニングに置いてある。何考えてるのか、分からないし、本当に勤めてるのかも」
会話の途中で、背中にぞっとするような視線を感じて、蒼桐は振り返った。
空間の隙間。
ふたりの人影が見えた。
(んっとに……なんなんだよ)
すべてはホログラムだ。分かっている。だが、その人物たちは消去されかけた空間にたたずんで、まっすぐに蒼桐と飛鳥を見ているようだった。
気がつけば、頭上には小さな小型ドローンが飛び回っていた。
「どうかした?」
「いや、飛鳥。今日は帰れ。いや、送る」
「へーぇ珍しいね」
軽口を叩きながらも、蒼桐は飛鳥を庇いつつも、空間に感覚を研ぎ澄ませた。第六感はAIにはないが、ヒューマンに残された唯一の「自然直感・超常感覚」である。
そういえば、あの額に電磁波を当てられてから、直感が様々、鋭い。
なくなった。気配が。
立ち去るでもなく、二つの気配は空間にかき消えた。言えば飛鳥を怖がらせてしまうだろう。蒼桐は消えた周辺の空気を痛々しく思いながらも、大通りを歩き始めた。
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