第7話 兄の手紙

 歪んだ時計はみた覚えがあるし、インフィニティのマークも知っている。phantomの資料か何かで観たのだろう。


 封筒は目の前で重力のなすがまま揺れていた。


「蒼、手紙が見えるよ」

「ああ、飛鳥も? そうなんだ。俺にも……どうなっているんだ、この空間」

「侵食されてるっぽいけど」


 AIハーフの飛鳥は目を閉じると、手を異空間に差し伸べた。チリ、チリリと指先から青白い電子パルスのような電磁波が発せられて、その異空間に溶け込んだ。「エアスクリーン」とは違う。AIは量子や、電磁波・周波数を測定できる特技を使って、様々なことができるのだ。


「……マイナス宇宙……氷点下もない……」


 目を閉じていたが、飛鳥はかっと目を開くと手を開いて手紙に翳した。瞬間、その手紙は光の粒になってしまい、跡形もなく消し飛んだ。


『一切ノ 消去ヲ』


 無機質な声音で呟くと、飛鳥は手を蒼桐に向けた。溜まった電磁波が蒼桐を狙い撃ちにしようと丸く溜まり始める。


『phantomー重要機密DROP―セカイカイギfile004。機密保持ノ契約ニヨリ閲覧者ノ消去及ビ書類ノ殲滅』


 殲滅

 殲滅

 殲滅


 飛鳥は呟くと、手のひらを真っ直ぐに向けた。「おい、冗談だろ」と蒼桐が告げると同時に蒼い閃光が体の手前で消え――


「蒼に何しようとしたんですか。お母さま」


 背中に暴発しかける音と熱風が押し寄せる。「あ……」飛鳥は手を降ろすと、「隙あればヒューマンの蒼をAIにしようとしていたんじゃないんですか」と突っ込んだ。


「え? 母さん」


 ――『phantomー重要機密DROP―セカイカイギfile004。機密保持ノ契約ニヨリ閲覧者ノ消去及ビ書類ノ殲滅』――


 飛鳥ではなかった。母親AIが手紙を吹き飛ばし、飛鳥はその手紙を護ろうとしたのだろう。


「……そんな危ない手紙を読もうとするから。……母さん、疲れたわ。もう、貴女のご飯は要らないわね。ヒューマンの時代は終わっているのだもの」


 ふっと目を閉じて頽れた母親AIを支えた。しかし、母親のホログラムは解けて、元の目の無いアンドロイド・プロトタイプの筐体が転がっているだけだ。マネキンのような顔はくぼみだけで、骸骨のようにも見える。


「母さんだったものが消えただけだよ」


 自分の声が聞こえて無機質な響きだと思う。


「……怒ってもいいわよ」

「…………また父に怒られる。母さんではないけどな。兄についていったんだ。それはわかっているから」


 飛鳥は背中に寄り掛かると、手を翳した。


「なら、猶更読むべきだと思う。プロテクトをマイナス宇宙に仕掛けるくらいの機密文書。お兄さんだって危険だったはず。みて、部屋の半分が融解してる」


 見ると、部屋の次元はたわみ、遠き宇宙がちらちらと見え隠れする不気味なマーブル銀河になっていた。


「さっき、兄を見た気がする。膝枕してた時」


『――時間がない。颯。このデータを君の松果体―ネピュラス・サードアイ―に預けておく。膨大な量だが、ヒューマンのきみなら、遺伝子内に繋がるはずだ。やっと見つけた。颯、この世界は』


そこで途切れたのだ。……その続きはどこにあるのだろう? 後ろでかさりと音がした。「結局、このほうが良かったのよね」と飛鳥はひょいと便箋を投げて見せる。


「復元した。さっき、構成データの元素数だけは憶えておいたから。読んであげたら?」


 ――今思うと、飛鳥はこの時に兄がどうなったのか、見えていたのかも知れないと思う。この日以降、蒼桐と飛鳥の生活は一変することになるのだが――……。

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