第6話 古代の叡智

(ここは……)

 やたらに明るい。そして光は強くなる。蒼桐は思わず手で視界を遮らなければならなかった。自分がどこに立っているのかも分からない。


 コチコチと音がする。

 静寂だ。虚無だ。真っ白でもなく、真っ黒でもない。

 ただ、そこに或るだけの。


 空間。存在。静寂に光――


 気がつくと蒼桐の体は宙に浮いていた。違う。宇宙に浮いている。生物の気配は自分だけだ。冷えた闇に取り残された前で、視界が揺らいだ。


『颯』


 低く空間を滅ぼしかねない重厚な音色は何度も蒼桐を呼ぶ。目の前には光の粒が再結集して、黄金のインフィニティのマークを作った。

 インフィニティとは永遠を指す。永遠。無限。無限大の。という意味で使われる「phantom」のシンボルマークでもあった。

 

「兄さん……」

『――時間がない。颯。このデータを君の松果体―ネピュラス・サードアイ―に預けておく。膨大な量だが、ヒューマンのきみなら、遺伝子内に繋がるはずだ。やっと見つけた。颯、この世界は』


 映像が途切れたような後頭部の衝撃に、蒼桐は意識を取り戻した。(なんだか心地いいな)とそれに顔を埋めようとしたところで、「ぐき」と頬を両手で戻された。


「心配させておいて、スカートに潜り込まないでよ!」


 まだ視界がぼやけている。蒼桐は薄目を開けて、自分が飛鳥の膝枕に乗っていることに気がついた。しかし、身体は砂袋の重さだ。

 周辺を見回すと、元のガランとした部屋で、ベッドも机も片づけられている。


 記憶が戻って来た。


 あの、大量のデータをあふれさせた時、部屋の物質は塗り替えられるように消えたのだ。そして、けたたましいほどのエマージェンシーコールが鳴り響いて……。


「飛鳥」

「あんたのお母さんが呼んだのよ。いつからわたしはあなたの緊急連絡先になったんですか」

「彼女だから」


 さらりと言うと、飛鳥は頬を赤らめて、膝枕のまま「そうね」と蒼桐の頬をぱんぱんと挟み込んで視線を逸らせて見せた。


「母に飛鳥のことを話したからだろ。脳内インプットされて、そのまま連絡が飛んだんだ。あーあー……せっかく買ったのに、パソコンのインターフェース買い直しか」


 やっと買ったパソコンはあまりに高度なプロテクトの兄のphantomメールに負けたらしい。残骸の量子だけが部屋に漂っていた。


 ――それにしても、なんだったんだ?


 蒼桐は先ほどのメールを思い返した。部屋以上に広がりそうなギガマクス(領域の単位)の膨大なデータ。それに、自分の額を突き抜けるように吸い込まれた量子のビーム。


「そうだ、飛鳥。ネピュラス・サードアイってなんだ?」


 飛鳥は首を傾げると、「聞いたことないわね」と呟いた。「第三の眼?あったら気持ち悪いもん」と蒼桐を膝から落として、立ち上がった。


「おいっ」

「気がついたなら離れたほうがいい。あたしがハーフAIだって忘れないでよね」


 AIは安全だが、時に電磁波を発することがある。それはとてもヒューマンには害で、唯一保った周波数も難なく下げてしまうのだ。飛鳥はそのことを恐れている。あまり長く居ると、蒼桐に悪影響を及ぼす。AIは電磁波を完璧に調整されているはずだが、飛鳥はハーフ。ハーフということは、ヒューマノイドとAIの子になる。


 ……研究材料としては面白いが、触れるべきではないだろう。


 蒼桐は「そうか」と立ち上がって、腕を伸ばした。あの額の痛みは消えている。割れるような頭痛も、飛鳥の「エアスクリーン技術」のお陰か、引いていた。

 

 窓の外を見ると、セントラルタワーから流される夕方のオーラと、音楽波動が空間を揺らしている。いつも思うが、この夕方の微かな磁力と揺れは必要なのだろうか。


「おかえりなさい」


 玄関ポーチから母親の声がした。飛鳥と顔を見合わせる。

 

 ――エマージェンシーコールが俺に届いたから、早めに帰ったんだ。

 ――それは、颯が何か悪戯をしたのよね。

 ――いや、あれは『重要機密に抵触した』時の警戒音だ。あの跳ねっかえり息子はまたハッキングでもやらかしたか。

 ――まさか。アナタ、お疲れなんですよ。

 ――…………。


「やっべ! 親父だ。飛鳥、ベランダから来たんだろ、帰った方が」

「別に構わないでしょ。何を狼狽してるのよ。こんな寒い中、追い出さないでよ」


 地下の夜は一気に冷える。

 そうして夜だけの雪や、嵐の日も少なくない。それはAIが『適切に』管理している気候制御の一種だ。


「そうじゃなくて」


 遅かった。部屋のゲートに人影が映った。飛鳥は緊張しつつも「ウェアラブル・システム」で大人っぽいスーツのような上下に着替え、髪型もいつものふわふわロングヘアから、編みこみのアップに変えていた。


 AIにはなりたくないが、この着替えの豊富さは羨ましい。それでも、露出が激しいと警告を貰うみたいだが。


「これならいいかな。AIっぽい?」

「……親父は研究者だぞ。ヒューマノイドとAIハーフなんてすぐに見抜くよ」


 カルガリ博士と異名をとるマッドサイエンティスト。しかし親父はなぜか部屋の前で足を留めた。手を翳してゲートを通ろうとしたが、踵を返して遠ざかってしまった。


「入ってこなかった。具合でも悪いのかな」


 親父はヒューマンからAIに転身している。AI保護法に従えば、研究費用が国から貰えるからだ。


「この部屋のせいかも。密度が高すぎるから。みて、わかんない?」


 言われてみると、先ほどの衝撃のせいか、部屋の半分が消えかかっている。その中央に揺蕩っているものがあった。歪んだ時計が漂流している。

「蒼、手紙が残っているわよ」


 飛鳥が示した異空間には、古代の叡智と呼ばれる『封筒』が浮いていたのだ。





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