第30話 神殿の中


高い壁を登り切ると、ダルーマ神殿の広い敷地が見渡すことができた。

女神官たちここから出ることはないので、自給自足が原則なのだろう。

敷地内には畑や牧場が広がっている。

ダルーマ神殿の本殿はそれらの畑の向こう側にあるのだが、騒ぎはそちらで起きていた。


「そこをおどき! 私はここから出ていくんだからっ!」

「院長様、どうぞお気を確かに!」

「きゃあっ!」

「痛い! 痛いっス! 髪が抜けるっス!」


 とてつもなくシュールな光景だった。

 本殿の前では女神官たちが大騒ぎをしている。

 騒ぎの中心にいるのは年老いた女神官だ。

 目を血走らせ、右手には日本刀、左手にはノイマ先輩の髪の毛を掴んでいるではないか。

 行く手を阻む神官たちを相手に刀を振り回し、大声で恫喝している。


「死にたくなかったらそこをどけぇ! この女の首を落としてもいいのかい?」

「院長様、気をしっかり持って呪いに抗ってください!」


 察するに、あのおばあちゃんはダルーマ神殿の院長なのだろう。

 理由はわからないけど、呪いのアイテムに憑りつかれて、先輩を盾にしてここから脱出を計っているようだ。

 僕にとっての最優先は先輩の無事だけど、さてどうしたものか。

 どさくさに紛れて目つぶしを投げつけるというのも手だけど、先輩の目に入ったらかわいそうだ。

 やっぱり隠形術で気配を消して、背後から急襲、武装解除という流れがよさそうだ。

 計画が決まると、僕はぐるっと迂回して院長の後ろに回り込んだ。

 みんなが大騒ぎをしているので、誰もこちらに気が付いていないぞ。

 今ならいける!

そっと忍び寄って刀を持つ手首をつかんだ。


「確保ぉおおっ!」

 驚いた院長は正気を失った目で睨みながら僕を詰問する。


「何をする、放さんかっ!」

「そっちこそ先輩を放せ!」


 短いやり取りがあって、不意に院長の顔が驚愕に歪んだ。


「え、男……」

「そうですが、なにか?」

「ぎゃあああああっ!」


僕が男だとわかると院長は刀を取り落とし、その場にへなへなと座り込んでしまった。

えーと……、僕、なにかしちゃいましたか? 

だがこのおばあちゃんに構っている暇はない。

院長が茫然自失のうちに危険な凶器を確保しないと!

すかさず落ちている刀に飛びついた。


「コウガ君、それに触っちゃダメっス!」

「へっ?」


先輩に注意されたけどもう遅かった。

僕はしっかりと刀の束を握ってしまっていたから。


「もしかしてこの刀は呪われた武器ですか……?」

「それ、妖刀ムラサメっス……」

「……えぇええっ!」


 しまった、うっかり呪われた装備に触れてしまったのか。

 僕もこの院長みたいに正気を失って、先輩に手を上げてしまうかもしれない。


「先輩、早く逃げてください! 僕がまだ理性を保っているうちに」

「コウガ君……」

「先輩さえ無事なら僕はどうなってもかまわない。僕が人間のうちに逃げてぇっ! ……って、あれ?」

「コウガ君、どうしたんスか?」

「いえ、何も起こらないなあ、と思って……」

「なにも起こらない?」


 そうなのだ、てっきり血に飢えたスラッシャーみたいに刀を振り回すのかと思ったんだけど、僕の心は落ち着いたままだ。

 もとからおとなしい性格だとは思うけど、まったくといっていいほど凶暴な気持ちは湧き上がってこない。


「刀の鞘はありませんか? 抜き身はまずいと思うので刀を収めたいのですが」


 改めてみると妖艶な美しさのある刀だった。

 息を飲む曲線とさざ波模様の刀文。

刀身を見つめていると背筋が寒くなるほど怖いのに目が離せなくなるのだ。

 女神官の一人が黒塗りの鞘を手渡してくれた。

こちらも芸術品と言って差し支えない出来栄えだ。

黒塗りの鞘には金の装飾金具がところどころについている。

抵抗されるかと心配したけど、ムラサメはあっけなく鞘に収まった。

 これでようやく落ち着いて話ができそうだ。


「先輩、何があったのですか?」

「よくわからないっスよ。収蔵されている呪いのアイテムを見学しながら、普通に取材をしていたっス。ところが、妖刀ムラサメの前まで来たら、急に院長の様子がおかしくなったっス」


 座り込んでいた院長が口を開いた。


「ムラサメの前を通ったとき、不意に声が聞こえたのです。もう三〇〇年も閉じ込められていて、外に出たくなった。私はここを出ていく、と……」

「それで体を乗っ取られたのですね」


 非難するつもりはなかったのだけど、院長は悔しそうにしている。


「くっ……、このことはご内密に……。ダルーマ神殿の院長が呪いのアイテムに憑りつかれたなどという噂が広まれば、民衆は不安に思いますでしょう」

「安心してください。誰にも言いませんので」

「まんがいちにも記事にしたら、あなたを処断しますよ」

「は?」

「男子禁制のダルーマ神殿に忍び込んだのです。首をちょん切るくらいは……」

「記事になんてしませんって!」


 ひどいな、僕は事態を収めたのに……。


「それではムラサメをこちらに」


 女神官たちが箱を持ってきた。

 

「邪悪な力を封印する特別なケースです」


 これに入れればムラサメの力も外へ出ないというわけだな。

 僕はムラサメをそっと箱の中へ置いた。

 ところが……。


「どうしたのですか? 早く手を放しなさい」


 院長が眉をひそめているけど、僕にもどうにもならない。


「それが……、離れません」

「なんですって?」

「ムラサメがくっついて離れないんです」

「そんなバカな」

「本当ですって、ほら」


 ムラサメの鞘を握っている手を上に持ち上げて、指を開いてみせた。

 完全にパーの状態にしているのに、ムラサメは手のひらにくっついたままである。


「どうにかなりませんかね?」

「鞘を振って刀身だけでも収納ケースに入りませんか?」

「やってみます」


 いろいろ試したが、ムラサメは僕の手から離れなかった。

 どうやら完全に呪われてしまったようだ。

 今のところ精神に異常は見られないけど、このままでは非常に困るぞ。

 日常生活に支障をきたすもん。


「いっそ手首を切り落とすというのはどうでしょう?」


院長さんが理不尽な提案をしてきたぞ。

ダルーマ神殿生まれの院長さんは、これまで一度も男に触られたことがないのが自慢だったらしい。

にもかかわらず僕が手首を掴んだものから恨みに思っているようだ。


「勘弁してください。もっとスマートな方法はないのですか?」

「仕方がありません、解呪の儀式を行いましょう」


 醜聞が外へ漏れるのが嫌だったに違いない。

 僕は儀式を執り行うため、男子禁制であるダルーマ神殿の奥へと引き込まれた。

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