第21話 ホテル ババロリアン
『ホテル ババロリアン』は表札サイズの看板だった。
詳しい説明などは一切なく、屋号のみが記されている。
人目につくための看板ではなく、この場所を確認するためのアイテムなのだろう。
門番の人に促されて、馬車はそのまま建物の中に入っていく。
これは自動車のまま乗り入れることができるラブホテルのようなものだ。
顔を見られたくない人々のためにこういうシステムになっているのだろう。
「どうもっス」
金を払うと、辻馬車の御者はニヤニヤと僕らの顔を見比べた。
きっとこれからいいことをすると勘違いしているのだろう。
うらやましそうな顔にちょっとだけ優越感をおぼえたけど、本当は仕事なんだよね。
気を引き締めていくとしよう。
「先輩、あそこに看板があります。『こちらへお進みください』と書いてありますよ」
キョロキョロとしているノイマ先輩に声をかけた。
「行ってみるっス。楽しみっスね」
入り口は重厚な樫材で、ドアノブや金具は真鍮製でどれもピカピカに磨き上げられている。
「高級ホテルみたいっス」
「それなりに金がかかっていますよね」
扉を開けるとそこはロビーになっていた。
楽園の様子が描かれた天井画、吊り下げられた大きなシャンデリア、床にはエンジのカーペットが敷かれている。
奥には受付があったが人の姿は見えない。
人がいないのではなく小窓のついたボードが受付カウンターの上に設置されているのだ。
お客とスタッフが直接顔を合わせないための仕掛けなのだろう。
ボードの向こうからくぐもった女性の声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。お泊りですか、休憩ですか?」
「実録タックルズのプラットとコウガっス。本日は取材をお受けいただきありがとうございます」
あいさつをすると奥の方から野太い男性の声がした。
「ああ、お待ちしていました!」
奥の扉が開いて強面の男性が出てきた。
「ささ、事務所へどうぞ」
僕はびっくりしてしまったけど、先輩は慣れているようでスタスタと中に入っていく。
事務所の中には受付の年配女性と三人の男性がいた。
二人はいかにも兄貴分と言った貫禄、もう一人は僕より若そうだ。
「ケン、記者さん方にお茶をお出ししろ! さっさとしねえか!」
店長さんが若い人を叱りつけている。
「おかまいなく」
「あ、酒の方がよかったですかい?」
「とんでもないっス、お茶でじゅうぶんっス」
強面のお兄さんたちは意外なほどもてなしてくれる。
驚いている僕に先輩はそっと耳打ちした。
「うちの雑誌はそれなりに影響力があるっス。こういう取材のときは意外と親切にされるっスよ」
社交辞令的なあいさつがすむと、さっそく取材を開始した。
「こちらのホテルはいつから営業を開始したんスか?」
「今年の春からだね。おかげさまで順調だよ」
「高級店として人気らしいっスね?」
「名前を出すことはできないが、貴族様なんかにも使ってもらっているんだぜ、へへへ」
傷だらけのスキンヘッド店長さんは嬉しそうに笑っている。
新しいシノギがうまくいってご満悦なようだ。
「着眼点が素晴らしいと思いますが、どうして高級逢引きホテルを建てようと思いついたんですか」
「そらあ、俺が女と楽しむためよ! 一度、高級ホテルに連れていったらスゲー喜んでよ。女王様になったみたい、とか可愛いことをぬかしやがったんだ」
「ああ、気持ちはわかるっスね。女の子は特別感が大好きですから」
「そうみてえだな。その晩はサービスがいつも以上によくて、俺も大満足だったんだが、ああいうところはやくざ者や冒険者たちの出入りを嫌がるだろ? それで誰もが気軽には入れる場所を作りたくなったってわけさ」
この店は富裕層だけでなく、その筋の人間やダンジョンで一山当てた冒険者たちの利用も多いそうだ。
「利用料金はおいくらでしょうか?」
「そいつは部屋によって違うんだが、休憩なら二万ゴールドから、泊りだと四万ゴールドからだぜ」
けっこう強気な料金体系だけど、利用客は多いようだ。
部屋は全部で三十室、特別室などもあるようだ。
「お部屋の方も見せてほしいのですが、大丈夫ですか?」
「おう、ばんばん宣伝してくだせえ」
まずはいちばんお勧めだという特別室に案内された。
いくぶん成金趣味を感じさせるものだったけど内装は立派だ。
壁は白地でレリーフは金色に塗られている。
ソファーやベッドの布部分はエンジに統一され、材木の部分はやっぱり金色で塗装されていた。
「この部屋はブリンデル城をモデルにしているんだぜ」
店長さんは自慢げに鼻をうごめかしている。
なるほど、宮殿をそのまま小さくしたような印象を受ける部屋だ。
シャンデリア、大きなベッドに猫足の浴槽があるバスルームもついているぞ。
ただ、壁にかかっている油絵はみごとなまでの春画である。
紳士が貴婦人を後ろから貫いている絵なんだけど、結合部がこれでもかってくらいデフォルメされている。
一見すると、豪華なホテルなんだけど、やっぱりここはそういうことをするためのホテルなんだなあ。
「ベッドが大きいっスね。これだけ広ければ、男女がどれだけくんずほぐれつ動き回っても落ちなさそうっス」
「ははは、そうかもしれねえなあ」
「コウガ君、ぼうっとしてないで写真を撮るっス」
すべてをオーブに収めるように僕はシャッターを切っていく。
「なるほど、みんなが来たがるわけがわかるっス。きっと非日常を体験したいんスね」
「そういうことだ。冒険者なんてよっぽどのランクにならなきゃ宮殿には入れないだろう? だが、ここならその雰囲気をいくらかでも味わえるってわけだ。ただ、最近はこの界隈でもライバル店が増えちまってな……」
店長さんは苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
模倣店ができてお客さんの何割かを持っていかれてしまったのだろう。
取材のために僕も質問することにした。
「ライバル店との差をつけるために、なにか工夫していることはありませんか?」
「そうだなあ、ルームサービスなんかには力を入れているな」
店長は部屋に備え付けのメニューを見せてくれた。
「ワインにビール、つまみが各種ですね」
「ここに調理設備はないから、凝った料理は出せないね。腹を減らしたお客さんには近所の酒場から出前を取り寄せることはあるよ」
「なるほど、逢引きホテルの経営も大変なんですね」
「他との差をつけるといっても、なかなか難しいよ。記者さんにいい考えはないかい?」
店長さんは気軽に聞いてくる。
日本にいたころに見た、昭和のラブホテルについての動画が参考になるかもしれない。
「聞いた話ですが……」
そう前置きして僕は続けた。
「異世界の逢引きホテルには鏡張りの部屋があったそうですよ」
「なんですか……それは?」
あまりに意外なことを聞いたみたいで、店長さんの目が点になっている。
「いえね、これは回転するベッドとセットだったみたいです」
「回転する……ベッド?」
「円形のベッドでゆっくりと回るんです。だから自分たちの行為がいろんな方向から見えてしまうらしいです」
店長さんがワナワナしているぞ。
そしてクワッと目を見開いた。
「ケン! 事務所に戻ってペンと紙を持ってこい。コウガ先生のお話をメモするんだ!」
「へいっ!」
コウガ先生?
「先生、他になにかいい話はありませんかね?」
え~、なにかあったかな……?
そうだ!
「お風呂の壁がガラスになっているっていうのは聞きました」
「壁がガラス?」
「寝室から丸見えなんですよ」
「おお! そいつはいいぜ」
でも、この世界で大きな板ガラスはかなりの値段がするらしい。
「もし、予算的に難しいのなら大きめの窓をつけるのもいいかもしれませんね」
「なるほど……」
事務所からもどってきたケンさんが熱心にメモを取っている。
店長さんはそのメモをちらっと見てから質問を続ける。
「先生、他には何かございますか?」
「他にですか? そうだなあ……」
僕は実際に行ったことはないのだ。
あくまでも動画で見ただけなので、たいした情報は持っていない。
それに、先輩の目が気になるよ。
「コウガ君、
「違うんですって、僕は実際に見ていませんよ。知識として知っているだけで……」
「先生、この通りです、あっしらにもう少し知識を授けてくだせえ」
僕はエロ神様か、エロ賢者?
仕方がないなあ……。
「これも聞いた話ですが、コスプレなんかも流行っていたみたいですね」
「コスプレと言いますと?」
店長はケンさんがきちんとメモを取っているか確認しながら訊いてくる。
「コスチュームプレイの略です。つまり、衣装を貸し出すんですよ」
「衣装?」
「たとえば、女子高の制服とか」
「女子高?」
「えーと、魔法学院の制服とか、聖女様のお召し物とか、背徳感を煽るような衣装です」
「うおおおおおっ! あんたは天才か‼」
「だから、考えたのは僕じゃないですってば! 先輩、そんな目で見ないでくださいって!」
「不潔っス!」
「先生、こんど一席設けますんで、ぜひまたご講義をお願いします! ケン、ザンツ、ぼけっとしてねえでコウガ先生にお願いしねえか!」
「へい! 先生、なにとぞ」
「先生、お願いします!」
取材の最後の方はもうカオスだった。
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