第19話 連続殺人鬼の影、再び


 隅々までよく点検したけど、室内には誰もいなかった。

 その代わりハンガーにかけてあった先輩の服がズタズタに切り裂かれている。


「先輩、大丈夫です。入ってきてください」


 気丈にも先輩は拳を握ってファイティングポーズをとりながら部屋に入ってきた。

 だけど体は小刻みに震えている。

 切り裂かれた自分のシャツを見てしばらく呆然としていた先輩だったが、落ち着いてくると怒りの声を上げた。


「クッソ、頭きたっス! これ、お気に入りだったんスよ!」


 被害に遭ったのはシルクのTシャツで、先輩が持っている服の中では上等の部類に入るものだった。


「先輩、まだ震えていますね。お茶でも飲んで落ち着きましょう」

「いや、これは武者震いっス」


 先輩は不敵な笑みを顔にたたえている。


「奴が私を狙ってくれるんなら手間が早いっス。とっ捕まえて、お姉ちゃんの仇を討ってやるっス!」

「しかし奴はどこからはいったんでしょうね? しっかり施錠はしておいたはずですが」


 改めて調べてみると窓の鍵が壊されていた。

 スラッシャーはここから侵入し、ドアから出て行ったのだろう。


「とりあえず警備兵団に報告に行きますか?」


 先輩は大きなため息をついた。


「今日はもうクタクタで駐屯所まで歩ける気がしないっス」

「僕が行ってきてもいいですけど、先輩を一人で残していくのは心配ですね」

「一緒にいてほしいっス……」


 捨てられた子犬のような目で先輩は僕を見上げている。

 こんな状態の先輩を置いて出かけるわけにはいかないな。


「それじゃあ、今夜はもう寝ましょう。明日になったら窓の鍵を頑丈なものに付け替えましょうね」


 日本ならホームセンターでいろいろ売っているけど、この世界にそんな便利な店はない。

 鍛冶屋さんで窓用補助錠でも作ってもらうしかないだろう。

 鎧に続いてまたもや出費だ。


「やっぱりコウガ君にいてもらってよかったっス……」


 うつむき加減のまま先輩が呟いた。

 それだけで僕の心は満たされてしまう。


「先輩のことを全力で守りますから。……おやすみなさい」


 部屋に戻ろうとした僕の袖をつかんで先輩が引きとめる。


「コウガ君、今夜は同じ部屋で寝てくれないかな?」

「え……?」

「あ、その、変な意味じゃなくて、そうしないと怖くて眠れそうにないから……。ダメかな?」


 そんなふうに頼まれたら、断れるわけがないじゃないか!


「でも、どうしましょう。先輩の部屋にはベッドが一つしかないから……」

「い、一緒に……じゃダメ?」

「ダメじゃ……ないです……」


 口から心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしている。

 これは夢じゃないよな?


「準備するからちょっと待っていてほしいっス」


 先輩は一人で寝室に入っていった。

 僕も急いで準備しなきゃ!

 でも、先輩は変な意味じゃなく、って言っていたよな……。

 額面通りに受け取るか、それとも照れ隠しにそう言ったのか、どちらが正解なのかが問題だ。

 期待する気持ちはあるけど、あんな恐ろしいことがあった後だ。

 ロマンティックな気持ちにはなっていないだろう。

 本当に怖いから添い寝していてほしいのだと思う。

 そう考えてシャツの上にチェーンメイルは装備したままにした。

 クナイも持って行って枕の下に隠しておこう。


「寝る準備が整ったっス」


 このアパートに同居してからしばらくたつけど、先輩の寝室に入るのは初めてだった。

 なんだかいい匂いがしていて、頭がくらくらする。


「ほんとうにごめんっス。改めて入ってもらうと恥ずかしくなってきたっス」

「本当に気にしないでください」

「そ、それじゃあどうぞ……」


 先輩が先にベッドに入り僕を呼んでいる。

 本当に添い寝だけ?


「コウガ君、もっとこっちにきていいっスよ」

「先輩……」

「今夜はずっと抱きしめていてほしいっス」

「先輩、僕はずっと先輩のことが……」

「知っていたっス。コウガ君はいつも私のことを見ていたもんね。特に胸を」

「そ、そんなことないですよ! まったく見なかったとは言いませんけど……」

「さわってもいいっスよ……」

「え……」

「ずっとそばにいてくれたお礼っス。これくらいしかしてあげられないっスけど、あんっ! いきなり触るなんてびっくりするじゃないっスか」

「ご、ごめんなさい。でも、自分の気持ちを抑えきれなくて」

「す、吸ってみるっスか?」

「す、す、す、吸ってみるっス!」


 ヤバい、妄想が止まらないよ!


「何をぼーっとしてんるんスか? 早く寝るっスよ」

「あ、はい」


 枕の下にクナイを隠してベッドに入った。

 中はほんのりと暖かい。


「ぬくもりを感じるとホッとするっスね……。コウガ君、おやすみス……。スースー……」


 安心したのか、先輩はすぐに寝てしまった。

 先輩を起こさないようにゆっくりと動いて、毛布の下で智拳印を結ぶ。


「煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散!」


 真言がいつもと違っているって?

 そんなことはわかっています!

 煩悩退散を心の中で一億回繰り返しても、しばらく興奮は収まりそうになかった。



 夜中まで寝付けなかった僕は寝ぼけていた。

 鎧戸の隙間から光が差し込んでいる。

 夜はとっくに開けているようだ。

 僕の隣で先輩がもぞもぞと起き上がった。

 そうだ、昨晩は同じベッドで寝てしまったのだな。

 特に何もなかったけど、特別な一夜だったことは間違いない。


「ふぁあああ……」


 先輩が伸びをしながら大きなあくびをしている。

 ずいぶんと無防備な姿をさらすんだなあ……。

 寝ぼけていたので僕は横になったままぼんやりと先輩の姿を眺めていた。

 え?

 ええええええええっ!

 頭が一気に覚醒した。

 だって、僕の隣で先輩がシャツを脱ぎだしたから。

 寝ぼけて僕の存在を忘れているな。

 うわ⁉ ビキニアーマーが飛び出してきた。

 シャツに引っかかって揺れたけど、そのボリュームがすごすぎる!

 見てちゃダメだ、見てちゃダメだ、見てちゃダメだ!

 精神の力をフル動員して目を閉じる。

 そして、寝ているふりをしながら少し声をあげた。


「んー……」

「げっ、コウガ君がいるのを忘れていたっス!」


 焦った先輩の声が聞こえる。

 きっと今頃は慌てて服を着ているのだろう。

 もう終わったかな?

 薄目を開けてみると、箪笥の前でかがみながらシャツを引っ張り出しているところだった。

 まだ早かったか!

 今度はビキニアーマーの全身まで見てしまったぞ。

 壁側に寝がえりをうって、しばらく寝たふりを続けた。

 それにしても、僕が寝ている横で着替えるかね?

 先輩の天然ぶりには少しだけ呆れたけど、さらに好きにならずにはいられなかった。


「コウガ君、朝っスよ」


 先輩に声をかけられて、ちょうど目覚めましたみたいな顔で伸びをする。

 お許しください、そしてありがとうございます。

 ラッキースケベの神様に懺悔と感謝を述べておいた。



 朝食を食べるとその足で警備兵団の詰所へ行き、オッタル軍曹に昨晩の様子を説明した。


「お前たちのところにも奴が来たのか!」

「お前たちのところって、どういうことですか?」

「昨晩、南西地区のスラムの手前でスラッシャーによる犯行があったんだよ」


 それは意外なことだった。

 だって、満月は当分先のことだったから。


「本当にスラッシャーによる犯行なのですか? 満月は来週でしょう?」

「詳しくは言えないが、奴の犯行を裏付ける証拠が現場に残されていた」

「裏付ける証拠って?」

「絶対に記事には書くなよ。奴の独自のサインが現場に残されていたんだよ」


 この事実は、他の模倣犯との区別をつけるために秘匿されているらしい。


「被害者はどんな方ですか?」

「またもや胸の大きな女だ。年齢は三十二歳、職業は酒場の女将。ごみを捨てるために路地裏に行ったところを襲われたようだ」


 スラッシャーはあいかわらず胸の大きな女性ばかりを狙っているようだ。


「南西地区っスか……」


 先輩は首をかしげている。


「気になることでもあるのですか?」

「スラムの手前と言えば、うちからは十キロ以上は離れているっス。ずいぶんと遠くまで歩いてきたなあと思ったっス」


 言われてみればそのとおりだ。

 先輩のアパートは南東地区でも東寄りにある。

 歩けば一時間半はかかるだろう。


「南西地区での犯行時刻は夜中の十二時だ。発見されたときにはまだ死体は暖かかったから間違いない。お前たちのところにはいつ来た?」

「正確にはわかんないスけど、私たちが帰ったのは十時くらいかな?」


 軍曹は怪訝そうな顔をする。


「お前ら一緒に帰ったのか?」


 同居を知られて、変に勘繰られるのも面倒だ。

 ここは適当に言い繕ってしまおう。


「昨晩は職場の人と飲み会だったんです。夜も遅くなったから僕が送っていきました」

「そういうことか」

「そのときにはもう部屋には誰もいなかったっス」


 アパートにいたのは午後十時前、犯行は夜中の十二時か。

 時間的に齟齬そごはない。


「それだけの距離を移動しているのなら馬車で移動したのかもしれないな。辻馬車の連中におかしな客がいなかった聞き込みをしてみるか」


 記事になるかもしれないので軍曹のところでしっかりと取材をしてから、僕らは編集部に戻った。

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