第11話 沼の魔女


 出社すると編集長から僕宛のメモが残されていた。

 とりあえず編集部の掃除をするようにと書かれている。

 新人は雑用からこなすのがここの流儀なのだろう。

 まずは部屋を掃き清め、みんなのコーヒーカップを洗う。

 それからゴミ箱のゴミを集め、焼却炉で燃やしていくのが主な任務だ。

 ちょっとだけ嬉しいこともあった。

 記者の道具が支給されたのだ。

 カメラ、メモ用紙、ペン、名刺の四点セットだ。

 名刺を持つのは転移前も含めて初めてのことだから新鮮だった。


『実録タックルズ編集部 コウガ・レン パーラー通り三番地 ライオビル2階』


「見てください、先輩。名刺を作ってもらいました」


 先輩はできの悪い弟をみるような目でニコニコしている。


「これで形は整ったっスね。それじゃあさっそく取材に行くっス」

「というと?」

「人気シリーズ、『この薬がすごい! 魔女の秘薬の効果はいかに』の取材っス」

「魔女のところへいくのですか?」

「覚悟してくださいよ、相手は沼の魔女と恐れられている人っス。気にくわない相手を蛙にしてしまうことくらい、わけなくやってのける人っス。くれぐれも機嫌を損ねないように」


 脅されて緊張してきた。

 沼の魔女こと、クリスチーネ・ゴウダウニーというのは魔法薬界では知らない人がいないほどの権威との話だ。

 せめて小動物くらいなら先輩が飼ってくれそうだけど、怒らせて蛇や蛙にされるのはまっぴらだ。


「煩悩即菩提」


 智拳印を結んで心の平静を保った。



 沼の魔女の家は町の中心から離れた場所にあった。

 住所的には市内とはいえ、ここまで来ると森や林があり、住宅や店もまばらだ。

 さらに歩くと蛙の合唱が聞こえてきて、ガモウ沼が見えてきた。

 沼のほとりには魔女の家が建っているのだが、これがまた独特だった。

 なんていうのかな……小さな城?

 尖塔やアーチ形の玄関があって、やたらと派手だ。

 ただ、普通の城と違って品はなく、どこかラブホテルっぽさを感じるたたずまいだった。

 先輩はピシャリと頬を叩いて気合を入れている。

 僕も智拳印を結んで真言を唱えた。


「入るっスよ」


 互いにうなずき合ってから門に設置されたベルの紐を引いた。

 すると観音開きの扉が音もなく開き、奥の方から高い声が聞えた。


「おはいり。まっすぐ奥へ……」


 内部の壁はけばけばしいサーモンピンクに塗られていた。

 扉は光沢のある白で、急な色彩の変化に目が痛くなってくる。

 きっとこれが沼の魔女の趣味なのだろう。

 僕らが奥に進むたびに通路の扉は自動的に開いては閉じていく。

 クリスチーネ・ゴウダウニーはかなりの実力をもつ魔女のようだった。


 ひときわ大きな扉が開くと、そこが沼の魔女の居間だった。

 高い天井からぶら下がる大きなシャンデリア、青地に金の百合をあしらったゴージャスな壁紙、壁には魔女の肖像画が何枚もかけられている。

 ピカピカに磨き上げられた家具調度に囲まれ、沼の魔女はしどけなくソファーに横座りをしていた。


「よくいらしてくれたわね、ちょうど退屈していたところなの。たしか雑誌の記者さんだったかしら?」


 沼の魔女なんて聞いていたから、てっきりお婆さんの魔女かと思ったけど、クリスチーネ・ゴウダウニーは四十代くらいで、派手な顔立ちの美人だった。

 化粧はやたらと濃く、香水の匂いがプンプンしている。

 髪の毛は目が覚めるようなチェリーレッドだったけど、これは染めているのだろう。


「実録タックルズのプラットです。本日はお時間をとっていただきありがとうございます。こちらは新人のコウガです。ご挨拶をかねて同行させました」


 沼の魔女は僕を見てほほ笑む。


「あらあら、新人さんなのね。私、新人さんって大好きなのよ。だって、まだ新鮮って感じがするじゃない?」

「若輩者ですがよろしくお願いします」

「うふふ、初々しいところがいいわぁ。待ってなさい、いまお茶を用意させるから」


 魔女はベルを振ってメイドを呼び出すと細々と指示を出した。

 ノイマ先輩が小声で教えてくれる。


「コウガ君は気に入られましたね。今日は機嫌がいいっス」


 出された茶をいただきながらインタビューが始まった。


「さっそくですが、先生の惚れ薬について教えてください」

「みんな惚れ薬が大好きよねぇ。そんなものなんて使わずに、もっと恋愛の駆け引きを楽しめばいいのに。ねえ、新人君、そう思わない?」


 その点についてはゴウダウニー先生に賛成だった。

 僕だって先輩にめちゃくちゃに愛されたいけど、薬を使ってというのはどうかと思う。

 でも、もし先輩に拒絶されたら?

 薬を使ってでも、という気持ちも理解出なくはない。


「みんな自分に自信がないのかもしれません。だから悪いとは思っても薬に頼りたくなるのでしょうね」

「あら、そんなのつまらないじゃない。まあ、どんな命令にも従わせるっていうのも悪くはないけど……」


 魔女が僕を見て舌なめずりをしたので、背中に冷たい汗が流れた。

 ノイマ先輩はインタビューを続ける。


「じっさいのところ惚れ薬は作れるんスか?」

「材料さえそろえば簡単よ。詳しいレシピは明かせないけどね」

「ヒントだけでも教えてくださいよ。読者はそういうのを喜ぶっス」

「そうねえ……、エルガム草、ノグ蛙の角、ワーウルフの睾丸とかね」

「どれも希少素材ばかりっスねえ」

「そうよ、簡単に作ろうなんて思わない方がいいわ。私に調合を依頼する場合は三千万ゴールドはかかるもの」


 素材を集めることを考えたら、普通に口説く方が早い気がする。


「三千万ゴールドは高いっスね」

「そのかわり効果はすごいわよ。例えばあなたの紅茶に惚れ薬を仕込んだとしましょう」


 魔女は妖しく微笑み、先輩のティーカップの縁をそっとなでる。

 赤と黒に塗られたマニキュアのせいか本当に薬を盛っているようだ。


「するとどうなるっスか?」

「紅茶を飲んだ状態で新人君を見てしまったらもうお終いね。先輩ちゃんは戻れなくなってしまうわ」

「戻れなく……」

「新人君に見つめられただけで体は熱くなり、寄せては返す波のような多幸感がやってくるの。触れられたりなんてしたらもう大変、それだけでびしょ濡れよ」


 凄まじすぎる……。


「どんな命令にも逆らえなくなっちゃうわ。新人君が這いつくばれと命令すればその通りにするでしょうし、犯罪だって厭わなくなっちゃうの」

「恋は盲目っス!」

「そうね、良心や羞恥なんて吹っ飛んで新人君しか見えなくなるのよ。先輩ちゃんがたとえ処女でも、熟練の娼婦でさえしない卑猥なことを、こともなくやっちゃうわよ、うふふ……」


 す、少しだけ興味が湧いてきてしまった……。

 沼の魔女は小さなため息をつく。


「でもね、魔法とか呪いっていうのは、いつかは解けてしまうものよ。それは薬の効果も一緒なの」

「同じ薬を飲ませ続けたとしても、耐性ができてしまうということですか?」

「そういうこと。薬の効果が切れたとき、その人たちは何を思うのかしらね?」


 きっと絶望や後悔だけが残るのだろう。


「まあ、そうやって相手を絶望の淵に追い込むのが大好きなゲスも世の中にはいっぱいいるんだけどね」

「どういうことっスか?」

「好きでもない相手に心をときめかせて、あらゆる媚態びたいを晒すのよ。後から思い出しただけでも死にたくなると思わない? そういう絶望の淵に沈む相手を眺めて嗜虐心しぎゃくしんを満足させる人間もいるってことよ。あなたたちも気をつけなさい」


 僕はオッタル軍曹に奉仕するノイマ先輩を心に描いて吐きそうになってしまった。

 うっとりした表情の先輩が軍曹のあれを……。


「うぷっ!」

「大丈夫っスか、コウガ君!」


 沼の魔女は愉快そうに笑っている。

 やっぱり魔女の作る魔法薬は怖いものばかりなんだな……。

 僕も先輩も毒が入っているような気になって、目の前のティーカップにそれ以上口をつけることができなかった。



 ガモウ沼からの帰り道、ノイマ先輩が質問してきた。


「正直なところコウガ君も惚れ薬が欲しいっスか?」

「僕ですか?」

「一般的な男性の意見を聞きたいだけっス」

「自分が一般的かどうかはわかりませんが……」


 僕は前置きして答える。


「まったく興味がないと言えば嘘になります。さっきの話じゃないですけど、先輩とあんなことをしたり、こんなことをしたりという妄想は膨らみますよ」

「コウガ君もエッチっス!」

「仕方がないじゃないですか。でもね、薬の効果がなくなったときに先輩に嫌われるのは嫌です。そんなことになるくらいなら、惚れ薬なんてガモウ沼に捨てていきます」

「コウガ君……」


 僕が求めているのは刹那的な快楽じゃない。

 情熱的であっても破滅的なのはごめんだった。

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