第9話 襲撃


 僕は叫びながら走った。

 ここは住宅街だったけど、近所迷惑なんて考えているゆとりはない。


「ノイマ先輩、どこですか⁉ 返事をしてください!」


 人がもみ合う気配を察知して細い路地に入ると、ちょうど黒い影が逃げていくところだった。

 地面には先輩がうつ伏せに倒れている。


「先輩!」


 慌てて抱き起して傷がないかを探る。

 路地裏は暗く視界は悪いが目立った外傷はない。

 先輩は僕を見ると抱きついてきてブルブルと震えた。


「コ、コウ……ガ……君」


 歯の根が合わず、声を出すのも難しいようだ。


「先輩、ケガは?」

「だ、大丈夫……。これの……おかげ……」


 先輩はジャケットの下に身に着けたチェーンメイルベストを見せてくれた。

 昼間に警備兵団に行ったときからずっと着っぱなしだったものである。

 セクハラ対策に着込んだベストが結果的に先輩の命を助けてくれたようだ。


「とにかくもう少し明るいところへ行きましょう。立てますか?」

「うん……」


 先輩は僕の服を掴んだまま震え続けている。

 よほど怖かったのだろう。

 それでも健気に立ち上がり、何とか歩き出した。


「アイツだったっス……」

「あいつ? まさか知り合いに襲われたんですか?」

「違うっス。スラッシャーですよ!」


 先輩は僕の服を掴んだままブンブンと拳を振った。


「間違いないっス。アイツは私の胸を切り裂こうとしたっス。きっとそうやって心臓を取り出そうとしたっス」


 それだけで今の通り魔がスラッシャーと言えるのだろうか?


「証拠はまだ二つあります。一つ目はこれ!」


 先輩はジャケットの前をはだけてチェーンメイルに覆われた胸を強調した。


「スラッシャーが狙う女性は胸の大きな女ばかりっス。それから、あれ!」


 先輩は天空を指さす。

 そこにあったのは青く光る満月だ。


「スラッシャーが犯行を行うのは満月の前後ばかりっス」


 それでも、僕には信じられなかった。

 偶然ということはないのか?

 もしくは模倣犯が現れてもおかしくない。

 だけど、警備兵団に駆け込んだ僕らは厳しい現実を知ることになった。


 警備兵団に到着すると、知り合いのオッタル軍曹を探した。

 さいわい軍曹は当直で事務所に残っており、すぐに対応が始まる。

 事情聴取に現場検証、夜は更けていたけど目まぐるしくときはが過ぎていった。

 さっきはいやらしい目でノイア先輩を見た軍曹も今は真剣な表情をしている。

 スラッシャーのような連続殺人鬼を野放しにしているという批判が議会でも取りざたされ、警備兵団は圧力にさらされているらしい。

 犯人検挙には本腰を入れているそうだ。

 僕らは大勢の兵士に事情聴取された。


「本当にスラッシャーだったのか?」


 オッタル軍曹は何度も繰り返し確認する。


「絶対にそうっス。あのくぐもった低い声が忘れられないっス」

「ん? 奴の声を聞いたのか?」

「男の声だったっス。おそらく中年以上っスね」

「ふーむ、それで奴は何と言った?」


 先輩はごくりと唾を飲み込み、スラッシャーの声を真似た。


「僕のママになってよ、って」


 その場にいた兵士たちが全員目を見開いていた。

 この情報はかなり有益だったようだ。


「本当にそう言ったんだな?」

「耳元ではっきりと囁かれたっス。しばらく頭から離れないくらいはっきりと聞いたっスよ!」


 オッタル軍曹は腕組みをして深いため息をついた。


「実はな、プラット以外にも奴に襲われて助かった女がいる」

「そうなんスか? 聞いたことがないっス」

「我々が情報を伏せたからだ。その女は後頭部を鈍器で殴られて暗闇に引きずられていった。そしてそこで心臓を取り出されようとしたときに、たまたま人が通りかかって九死に一生を得たんだ」


 この事件は一年前の満月の晩に起こったそうだ。


「スラッシャーが現場に目印を残していくのは知っているな?」

「はい。詳細は伏せられていますが、特別な印を血で描いているのは有名な話っス」

「後頭部から出た血で描いたのだろう。現場の壁にもおなじみの印が残っていた。きっと奴は印を残してから心臓を取り出そうとしたのだろうな」


「だから、その犯行がスラッシャーのものだと断定できたわけっスね」

「そういうことだ。で、その女が頭を殴られて朦朧もうろうとした意識の中で聞いたのがお前さんが聞いたのとまったく同じセリフさ」

「僕のママになってよ、スか?」


 オッタル軍曹は嫌悪をあらわにしながらうなずいた。

 つまりノイマ先輩が言っていたことは正しく、先輩を襲ったのはスラッシャーで間違いないようだった。


 僕らが解放されたのは夜中の二時を過ぎたころだった。

 疲労が全身を覆って痺れるようだ。

 最後にオッタル軍曹が念を押してきた。


「わかっていると思うが、今夜のことは絶対記事にするなよ」

「わかっているっス……」


 僕らは疲れた体を引きずりながら歩き出した。

 今度はきちんと部屋の前まで僕が送っていくことになったのだ。


「コウガ君だって疲れているでしょう?」

「平気ですよ。こう見えて僕はジョブ持ちなんです」

「そうなんスか?」


 先輩は感心したように僕を見ている。

 やっぱりこの世界でジョブ持ちは憧れの存在らしい。

 昼間のジョセフィーヌちゃんはジョブ持ちの男と結婚とかなんとか言っていたもんな。


「僕のジョブは忍者です。いざとなれば、この身に代えても先輩をお守りするんで、安心してくださいね」

「ありがとう……」


 しばらく歩くと二階建ての建物が見えてきた。


「ここが私のアパート。二階の奥っス」


 音を立てないように階段を上り部屋の前までやってきた。

 ここまで来ればもう大丈夫だろう。


「それじゃあ先輩、また明日」


 日の出まではわずかだろうが、そのへんで横になれば何時間かは眠れるだろう。

 ところが先輩は僕の服をぎゅっと掴んで言った。


「す、少し上がっていかない? お、お茶でも淹れるから……」


 もうこんな時間だぞ。

 いいのかな?


「その、本当のことを言うとね、今夜は一人になりたくないの。コウガ君の家はどこ?」


 不意にノイマ先輩が聞いてきた。

 さすがに住所不定とは言いづらい。

 ただ、この世界では木賃宿きちんやど(激安宿)に泊まりながら働く労働者も少なくなく、案外普通のことだったりする。

 じっさいはお金がなくて木賃宿にすら泊まれないけど、ここは取り繕っておこう。


「ギルド横の冒険者宿泊所に泊まっています」


 冒険者宿泊所は金のない冒険者やポーターたちが泊まるところだ。

 一泊八〇〇ゴールドで大部屋に泊まれ、冒険者たちからは〈ギル横イン〉の愛称で親しまれている。


「だったらやっぱり泊まっていってほしいっス。あ、でも変な意味じゃないっス。その……知り合ったばかりだけど、コウガ君なら信用できると思うから……」


 そこまで言われたら引き下がれない。


「わかりました。今夜は先輩のところにお邪魔します」


 先輩は安心したように微笑んでくれた。


 扉を開けると紙とインク、それから女の人の香りが入り混じった匂いがした。

 先輩のアパートは物が多く、なんとなく雑然としている。

 小さなキッチンのシンクには洗い物がたまり、ダイニングテーブルに小さな山脈をつくるのは書庫からはみ出した本と書類の束だ。

 部屋の隅には洗濯籠が置かれていて、何枚かのシャツがはみ出していた。

 しれから大きなブラジャーも……。

 先輩は大慌てで下着をシャツの下に隠していた。


「ここのところ忙しくて、ちょっと散らかっているっス……」


 恥ずかそうに言い訳しながら、先輩は僕を部屋に案内してくれた。

 壁には雑誌や新聞の記事、様々な資料が大量に貼ってある。

 半分は仕事関係、もう半分はスラッシャー関連の記事のようだ。


「コウガ君はこのソファーを使ってね。私はちょっと着替えてくるっス。洗面所はそっちだから顔を洗うといいっス。はい、タオル」


 先輩をスラッシャーから守らなくては、という緊張で張り詰めていたのだが、柔らかなタオルを渡された瞬間にそれがほぐれた。

 そして女性の部屋にいるという事実に動揺してしまう。

 しかもここは憧れの先輩の部屋である。

 ドキドキするなという方がおかしいだろう。


「お借りします」


 僕は洗面所へ、先輩は寝室へと入った。

 さっぱりして戻ってくると、リラックスした部屋着に着替えた先輩がチェーンメイルを返してくれた。


「これのおかげで助かったっス。コウガ君は命の恩人っスね」

「そんな……」


 僕は目を逸らしながらチェーンメイルを受け取る。

 だって前かがみになった先輩の胸の谷間がシャツの襟から見えていたから。

 とんでもないものを見てしまった!


「はい、着替えっスよ」

「え?」

「死んだ父の形見っス」

「そんな大切なものを貸していただくわけには……」

「いいっスよ。忙しくて処分できなかっただけっスから」


 シャツだけでなく、ジャケットなど一式を手渡されてしまった。


「これはコウガ君が使ってください。娘の命を守ってくれたんだから、死んだ父も喜んでくれるはずっス」


「恐縮です」

「それじゃあ明日に備えて寝るっス。コウガ君もしっかり休むっスよ」


 先輩が部屋に戻ると大きなため息がでた。

 地上に戻ってから、いろんなことが一気にありすぎたのだ。

 なんとか生き延び、すてきな人に出会えたことに感謝しよう。

 ソファーに横になって目を閉じると、僕は三秒も経たないうちに眠りに落ちた。

 主人を守る忍びの者としては失格であったが、まともな部屋で寝るのは一か月ぶりのことだったのだ。

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