第8話 袖の下


 警備兵団の駐屯所は三階建ての堅牢な建物だった。

 雰囲気としては警察署って感じである。


「さあ、入るっスよ」


 気後れしている僕を励ますように先輩は声をかけてくれた。


「でも、賄賂わいろなんていいんですか?」

「たしかに褒められたもんじゃないですが、情報の共有は大切なんです。それによって犯罪を未然に防ぐこともあるっス」

「なるほどなあ。これも仕事の内なんですね」

「オッタルは娼婦たちにただで奉仕をさせているヒヒジジイっス。そのかわりヤクザ者から彼女たちを守ったりもしています。いいやつではないですが、どうしようもない悪人というわけでもないっス。まあ、どこもかしこも持ちつ持たれつなんスね」


 悪を悪としてだけでは捌けない世の中のようだ。

 本当はよくないことなのだろうけど、世のありようは理想のはるか後ろを歩んでいる。


「それに雑誌記者は文章を書く能力だけじゃダメっス。記者は情報力っス。そのためにはコネクションは絶対必要っスよ。コネクションを構築して、取材、調査をするっス!」


 ノイマ先輩は慣れた様子でアーチ型の入口をくぐり、すいすいと中へ入っていく。

 そのまま階段を上り、二階の奥まった部屋へと入っていった。


「こんちわー、実録タックルズです!」


 警備兵たちはちらりと僕たちを見ただけで、ほぼ全員が書類に戻っていった。

 その中でまばらな髭を生やした大柄な兵士が僕たちを見ていた。


「よお、プラット。たのんでおいた書類かい?」

「編集長から預かっているっス。これに受け取りを書いてください」


 オッタル軍曹はチラッと封筒の中身を確認してから受け取りを書き、その手で先輩の胸を触ろうとした。

 だけどノイマ先輩はその手をピシャリと叩き、受け取りだけをひったくる。


「たしかにいただきました。それと、胸を触っても無駄っスよ、鎧でガードしていますから」


 そう言われて軍曹もチェーンメイルに気がついたようだ。


「なんじゃこりゃ?」

「世の中、物騒ですから。これでも足りないくらいっスよ」


 軍曹は舌打ちしていたが、そこでようやく僕の存在に気がついたようだ。


「この小僧は?」

「新人のコウガ・レン君です。いろいろと便宜べんぎを図ってやってください」

「甲賀です。よろしくお願いします」

「離職率の高い実録タックルズにもようやく期待の新人か?」

「余計なことは言わないでほしいっス」


 離職率が高い?

 ひょっとして、実録タックルズはブラック企業なのだろうか?


「まあいい、不審者や情報を手に入れたら俺に報告しろよ」


 警備兵団の建物を出ると僕らは大きなため息をついた。


「チェーンメイルのおかげで気持ちに余裕ができたっス。おかげでしっかりと対処できたっスよ」


 空はすでに赤く染まっており、あちらこちらでカラスがカーカー鳴いている。

 セクハラが横行する異世界だけど、こんな風景は日本と同じようだ。


「そろそろ夕飯の時間っスね。今日は先輩として新人君にご馳走してあげましょう」

「でも……」

「遠慮は無用っス。記者に大切なのは体力と精神力っス。しっかり食べて英気を養うっス」


 ノイマ先輩は行きつけだというお店に僕を連れて行ってくれた。


「三羽のつぐみ亭」は表通りから一本入った路地にある小さなお店だった。

 テーブルはぜんぶで五つ、カウンター席も五つほどのこぢんまりした店である。

 高級店ではなく庶民的な居酒屋のようなところなのだろう。


「ここは安くて、美味しくて、量がたっぷりと三拍子そろっているっス。なんでも好きなものを頼むといいっス。私はレモンクリュートを一つ」

「じゃあ僕も同じものをお願いします」


 レモンクリュートが何なのかわからなかったけど、同じものなら無難だろうと思ったのだ。

 飲み物が運ばれてくるとさっそく乾杯した。

 うん、レモンクリュートとって居酒屋で売られているレモンサワーにそっくりの味だ。

 きっとクリュートは焼酎みたいなお酒なのだろう。


「さあ、じゃんじゃん食べるっス」


 ノイマ先輩は僕に勧めながら自分も揚げた魚にフォークを突き刺した。

 テーブルの上には炒めた葉物野菜、溶かしバターをかけた蒸しジャガイモ、ブラウンソースのかかった肉団子などが次々と並べられていく。


「けっこう食べるんですね」

「さっきも言ったけど記者は体力が命っス。朝早くから夜遅くまで仕事をして、休日に急な取材が入ることも少なくないっス。スクープがあれば迅速な対応が求められることもあるっス。体力がなければやっていられないっスよ」


 僕は見本でもらった実録タックルズをテーブルに広げた。

 改めて見たけど全ページが白黒でカラーページは一つもない。

 また、本誌に写真はなく、挿絵がついているだけだ。

『ルルーネ・ビアス 弓使い冒険者のド迫力ボディ』のページも写真ではなく絵だった。

 まあ、エッチなイラストみたいでエロいことはエロい……。

 僕は先輩の目を気遣って雑誌をそっと閉じた。


「写真が印刷されるわけではないのですね」

「そんな技術はないっスよ。写真は証拠として撮っておくことがほとんどです。そうしないと訴えられたときに裁判で負けてしまいますから」


 やっぱりそういうことも起こるんだなあ。


「魔導カメラで写したオーブは挿絵部に送られます。そこで専属の絵師が映像を見ながら銅板に絵を彫っていくっス」


 お店の人が飲み物のお代わりを持ってきてくれた。


「はい、レモンクリュートのお代わりね」

「あざっス。あと、タコのスパイス焼きを追加でお願いするっス」


 先輩はレモンクリュートをぐびりと飲み干す。

 すでに三杯目だ。


「コウガ君にも近いうちにカメラが配給されますよ」

「僕ももらえるんですか?」

「記事が書けるようになれば配給されるっス。そうなるように頑張るんすよ。まあ、当分は私について仕事をおぼえるっス」


 先輩がどんと大きな胸を叩いた。

 その笑顔は屈託くったくがなく、情熱的な瞳に吸い込まれそうになってしまう。

 やっぱりこの人はすてきだ。

 早いところ一人前になって、僕という存在を認めてもらいたい。

 酒が進むとノイマ先輩はますます饒舌じょうぜつになった。


「コウガ君はお酒を飲んでもエッチなことを言わないっスね。感心しました」

「そんなことするわけないじゃないですか」


 僕は聖人君子ではないけど、昭和生まれのおじさんでもないぞ。

 つい先輩の胸に目が行くこともある。

 頭の中では触りたいなあ、なんて思うことはあるけど、口に出して言うことなんてできない。

 先輩はいやがるだろうし、だいいち失礼だ。

 せっかくの楽しい雰囲気が台無しになってしまうだろう。


「偉い! そうじゃなきゃだめれすよ。まったく……」


 飲みすぎなのか、先輩はちょっと呂律が回らなくなってきている。


「みんなひどいんれすよ。何かと言えばおっぱいに触らせろとか、ぱふぱふしてくれとか、いやらしいことばっかり!」


 セクハラの多そうな世界だもんなあ。


「でも先輩は偉いですね。そんな嫌なことがあっても、立派に記者を続けているんですから」


 そう言うと、ノイマ先輩は目を伏せて俯いた。


「辞められないっスよ……」

「辞められないって、何か事情があるのですか?」


 先輩はグラスのレモンクリュートをぐっと飲み干した。


「私はずっとある事件を追っかけているっス。コウガ君もスラッシャー事件は知っていますよね?」

「すみません、僕は異世界……外国から来たばかりで」

「そうっスか。スラッシャーというのはブリンデル市に出没する連続殺人鬼っス。奴の犯行は三年前から始まり、もう三十二人の女性が命を失っているっス!」


 スラッシャーはノッデル王国の都ブリンデル市で女性ばかりを狙う連続殺人犯として恐れられているそうだ。

 被害者を何らかの方法で殺害した後、胸を開いて心臓を抜き取るという猟奇殺人犯でもある。

 犯人の目星、犯行の理由などは一切わかっておらず警備兵団も手を焼いているとのことだった。


「先輩はどうしてスラッシャーを追いかけているんですか?」

「姉さんが殺されたっス……」


 ずっと明るかったノイマ先輩の顔面が蒼白になっていた。


「誰からも愛されるとても優しい姉さんだったっス。私は姉さんの仇を討つために雑誌記者になったっス!」


 ちょっとわからないことがある。


「あの、犯人を捜すというのなら兵士になって警備兵団に入った方がよかったのではないですか?」

「そっちは実技試験で落ちたっス。私は運動神経が絶望的に鈍いっス……」


 先輩の顔は再び真っ赤になってしまった。


「あ~……、なんかごめんなさい」

「この胸が邪魔なんれすよ! こいつさえなければもっと速く走れるっス。こんなもの、もげてしまえばいいんらっ!」


 それはもったいなさすぎです……。


「コウガ君、ちょっと引っ張ってもらえませんか? とれるかもしれないから」

「先輩、飲みすぎですよ」


 魅力的なお誘いではあったけど、へたに同意はできない。

 酔いが醒めれば最低な人間扱いされかねないからね。


「先輩、お酒はこれくらいにして帰りましょう」

「ええ? もうちょっといいじゃないれすか……」


 ごねる先輩を宥めて店を出た。


「ご馳走さまでした。先輩のためにも頑張っていい記者になります」

「うむ、その心意気やよしっス!」


 時刻も遅いので送っていこうと申し出たのだが、そちらは断られてしまった。


「平気っスよ。自分のアパートはここから一〇〇メートルくらいっス」


 店を出る前にお水を飲んだので先輩の呂律は元に戻っている。

 足取りもしっかりしているので一〇〇メートルなら問題はないだろう。


「それじゃあ、お気をつけて」

「明日また編集部で」


 先輩は元気よく手を振って通りを歩いて行ってしまった。

 後姿を見送りながら僕は小さなため息をつく。

 やっぱり先輩はかわいいなあ……。

 指導も熱心で頼りがいがある。

 仕事の内容はともかく、やりがいは大いに出てきた。

 そんなことを考えていたのだが、僕は大切なことに気がついてしまった。

 今夜、僕には泊まるところがないのだ!

 今から宿を探すのも大変だろう。

 また野宿かと思うと暗澹たる気持ちになる。

 せめてどこかで水浴びくらいしておきたい。

 臭いと先輩に嫌われてしまうからね。

 手ごろなねぐらを探そうと歩きかけたとき、闇夜を切り裂いて女性の悲鳴が聞こえてきた。

 間違いない、あれは先輩の声だ。


「先輩!」


 僕はクナイを手に持って裏路地を全力疾走した。

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