011: 黒色の火山

 草原の方向とは逆の出口から出ると、連なる山脈が大きな影となって、闇の向こうに浮かび上がっていた。

 山道に出るモンスターは好戦的ではないものが多い。ほとんど家畜化された山羊や、素材のために乱獲されがちな鳥が、彼らの生活に一生懸命な様子でうろついていた。

 草原と同じく平和でのどかな景色が続いた。振り向いてみればきらびやかなレーセネの明かりが、闇の中はるか遠くに点滅していた。山から吹き降りてくる風が、イヅルの髪を都の方へなびかせた。


「遠くを見ると時の流れを感じるよね。自分が辿ってきた道ならなおさら」


 ライラが振り返るイヅルにそう言った。


「現実世界はビル群ばかりで、遠くを見るなんて全然できないけど……こうして広い世界を見渡すと、心に迫るものを感じるの。たとえそれが架空のものであったとしても」


 彼女の黒髪は風にざあっと吹かれて宙に舞った。大きな藍色の瞳は、熱心にイヅルと同じ方を向いていた。

 心に迫るもの。心を動かしたくない自分にとって、それは敵だ。

 イヅルは内心ライラの言葉を否定して、遠ざかっていく景色から目を逸らした。


「ねえイヅル。今更なんだけどね」


 ライラはイヅルを見上げた。藍色のせいだろうか、その瞳は海のように悲しみを湛えているように感じられた。


「イヅルはダイアナを召喚するために……自分で自分を斬らなきゃいけないんでしょう?」


 嘘を吐く必要も無く、イヅルはただ頷いた。


「……平気なの?」

「ええ、まあ。師匠には止められていますが」


 するとライラはそっと視線を外して、しんみりと呟いた。


「そっか」


 彼女はそれきり黙ってしまった。ゲームの中での話とはいえ日常的に自傷をする自分に、やはり引いてしまったのだろうか。

 無言のまま険しい山々を左手に裾野を歩いていくと、奥に煙を立ち上らせるひときわ大きな山が見える。


「ついに見えてきたわね、ヴィルヤンド火山!」


 コウは士気高く指さした。

 まるでかさぶたのようにどす黒い山だ。その頂上から流れ出る溶岩は、鮮血のように生命の躍動を感じさせる。

 吹き下ろす風に熱が混じった。イヅルはだんだん気持ちが沈んできたが、ネクロマンサーである自分がいなければ、誰一人死なずして攻略するのは不可能だろう。

 イヅルは別に一生ゲームに閉じ込められても構わなかった。現実に戻るよりもそのほうが楽だ。

 でも、ずっと自分を気にかけてくれていたカナギや、優しい微笑みを向けてくれるライラが、世界の犠牲になるのは許せなかった。


「ここからモンスターが強くなる。気を付けろよ」


 カナギがそう言って踏み出したところから、土は黒く変色していた。

 ヴィルヤンド火山を取り巻く、ヴィルヤンド溶岩地帯。マグマのような血脈を走らせ、炎のような息を吐くモンスターが跋扈する。

 目の前に蛇が躍り出た。真っ黒な鱗に赤が血走る、異様な大蛇だ。


「出たな。刀殺し」


 カナギがしかめ面をした。

 マグマサーペントと呼ばれるモンスター。その特徴はあまりに硬い鱗とその回復能力で、刀傷ぐらいならすぐに塞がってしまう。


「邪魔よ! <氷雨>!」


 コウが勾玉の一つをかざすように手を差し伸べて唱えると、それは水色の魔方陣を浮かべた。その中央から小さな氷柱が無数に突き出し、蛇に向かって降り注ぐ。

 その鱗から溶岩が染み出した。いつもならすぐに冷えて固まるのだが、コウの氷柱は霜のように鱗を侵食し、回復を止めている。


「<氷雨>!」


 もう一度コウが氷柱を繰り出して、蛇は完全に貫かれた。


「やっぱりすごいね、コウ。マグマサーペントを二発で倒すなんて」


 ライラが目を輝かせた。


「まあね。ちゃんと祝詞を言えば一発でも行けるわよ」

「祝詞?」


 褒められて鼻を伸ばしたコウの言葉をイヅルは復唱した。コウははっとしてライラと顔を見合わせたが、すぐに不敵な笑みに戻って答える。


「ま、あんたには話してもいっか。祝詞っていうのはスピネラさんが発見した、魔法の威力を上げるためのおまじないよ。スキルを使う直前に威力が上がりそうな言葉を使うの。……こんな風に」


 丁度そこにまた黒蛇が現れた。ライラは丸眼鏡の奥の目を細め、片腕を上げて唱える。


「”心砕けと霰降るなり”――<氷雨>」


 かざされた勾玉の前に魔法陣が出現し、氷柱は激しさを増して蛇に突き刺さった。その衝撃がもたらした風が、コウの三つ編みの髪を揺らした。

 一撃で動かなくなった蛇を見て、イヅルは感嘆するように息を漏らした。それを聞きつけたのか、コウが得意気な顔を向ける。


「あくまでスピネラさんが魔法の特訓をする中で発見した手法で、威力が上がる理由は解明されていないから、混合属性の武器と同じで門外不出なんだけどね」


カナギも驚くように言った。


「大体1.5倍ぐらいか? クリティカルヒットを確実に出すようなもんと考えると、相当すごいな」

「そうでしょう? それに威力だけじゃなくて、規模も魔法の効果自体もある程度変えることができそうなの」

「祝詞によって魔法自体にエンチャントが付与されるって感じか」


カナギはふとイヅルを振り返った。


「イヅルも使ってなかったか? ダイアナを召喚するとき、決め台詞みたいなのを」


 後ろから見ていたイヅルは思わず目を泳がせた。


「ダイアナに頼りすぎることを注意されてから、勝手にダイアナが出てこないように合言葉を決めたんです。それで、あの……」


 しどろもどろなイヅルの言葉を継ぐように、青白い火の玉が割り込んで答えた。


『言葉を選んだのはワタクシですわ! イヅル様は何回か練習するほど気に入ってくださったご様子で、光栄の至りにございますの!』

「ちょ、ちょっと! それ言わないで!」


 あの格好付けた詠唱を気に入っているとバラされたイヅルは、顔を赤くして火の玉を睨んだ。火山の熱とは違う、生ぬるい空気が流れる。


「まあ、そろそろ進もうか」


 カナギが半笑いで促した。

 ダイアナへの恨みを募らせながらも、イヅルは師の後を追いかけた。

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