009: 夜霧と漆黒

 日が暮れないせいで判然としないが、おそらく晩に差し掛かった頃、三人はスピネラに見送られて『ゆきみの館』を後にした。


「次の目標は破壊の天使です。その姿は狼……ATK特化のモンスターと思われます。住処は恐らくヴィルヤンド火山ですね」


 レーセネの通りを歩きながらライラが言うと、カナギは見るからに嫌な顔をした。


「ATK特化も嫌だが、火山か……」


 イヅルも少しげんなりする。その様子を見てライラが首を傾げた。


「あの辺りのモンスターは刀だと倒しづらいんだよ。蝙蝠は空を飛んで逃げるし、蛇は鱗が頑丈だから」

「こういうとき、魔法を使える奴がいれば便利なんだが……こんな状況で人を誘うわけにもいかないしな」


 イヅルが説明するとカナギも頷いて続けた。

 とはいえ、相性が悪いというだけで倒せないような相手ではない。実際イヅルとカナギは何回もその火山を攻略していた。

 レーセネの街を囲む城壁が見えてきた。その向こうには、照明の無い闇が広がっている。

 ライラは金の杖を取り出し、光を付けようとした。

 しかしその瞬間、何かが破裂する音が聞こえた。

 一気にもやが立ち込め、自分の手元さえ見えない。

 空気が冷えていく。

 イヅルの脳裏で、嫌な予感が膨れ上がった。


「なんだこれ。煙じゃない……霧か!」


 カナギがそう言った。イヅルは周囲を見回し、霞の中に金の光を探した。


「ライラ! いたら返事を!」


 明かりも返事もなかった。

 そのうちに霧は晴れていき、がらんとした風景が現れる。


「誘拐か!? 俺もイヅルも気配を感じなかった。それにこの霧……。一体何が」


 カナギは珍しくうろたえていた。

 それもそのはず、彼の危機察知能力はイヅルを凌ぐほどにずば抜けていて、その網を掻い潜って近づくことなど不可能のはずだった。


「ダイアナ、何か気づいた?」


 イヅルが尋ねると、青白い魂はつまらなさそうに炎を揺らして答えた。


「いいえ。ですが、先ほどの霧から魔力を感じました」


 霧を生じさせる魔法。見たことも聞いたことも無いが、日夜新しい武器やスキルが誕生するこの世界では、ありえそうなことだった。


「とにかく向こうは暗いんだ。きっと犯人はレーセネに戻ったはず」


 カナギの言葉に頷きを返し、イヅルは焦りながらも冷静に思考を巡らせた。


「僕は路地裏を当たってみます。駒がある分、調べやすいですから。師匠は大通りの方をお願いします」

「よし。終わったらすぐに合流する!」


 即座にカナギは大きな通りを突き抜けていった。それを見届けて、イヅルは静かに目を閉じる。


「人が多いな。不審な動きをしているのは……」


 イヅルは銀髪を揺らし、駆け出した。

 自分を殺し周囲に溶け込む、イヅルだからこそできる早業。一瞬で状況を把握し、まるで盤上ゲームのように駒を扱う。

 足元に骨の手を召喚し、それを踏み台にして屋根上へ跳んだイヅルは、同じように屋根を伝う人影を目にした。


「あれか」


 イヅルは静かに睨んで刀を抜き放った。


―――――


 霧の中、突如誰かに抱きかかえられたライラが気づいたときには、レーセネの景色が眼下を猛スピードで流れていた。

 屋根の上を走るその人物を見上げ、ライラは目を瞠る。


「コウ!? なんでこんなことを……」


 杖の光を反射して眼鏡の縁がきらめいていた。赤茶の三つ編みが、屋根を踏みしめるたびに跳ねる。

 白藍の羽織をはためかせ、コウと呼ばれた少女は答えた。


「ライラに危ない目に遭ってほしくないもの」


 氷のように冷たく、炎のように怒気のこもった声だった。

 ライラは首を振り懸命に言い募る。


「あの人たちは良い人だよ!」

「たった一日一緒にいただけでしょう。そんなの信じられる?」

「それは、そうだけど……」


 ライラが言い募ってもコウは全く取り合わなかった。悲しみに目を伏せたライラは、コウの背後に人影を発見し声を上げる。


「コウ! 誰か追って来てるよ!」

「……まさか、ヤマトの」


 ライラは一瞬、追ってきているのはイヅルなのではないかと思った。しかしその髪は闇夜のように黒く、抜き放った刀の刃が冷酷な光を宿していることに、ライラは気づいた。

 差し迫る刃をすんでのところで回避し、コウは体勢を崩しながら路地へ降り立つ。

 そこに得物を構えた人間が数人、コウたちの逃げ場を無くすように姿を現した。


「囲まれた……!?」


 絶望の表情で呟くコウの腕の中で、ライラは黄金の杖を握りしめた。


「まさか、二人まとめて相手にできるとは」


 黒ずくめの少年が降り立った。その顔は黒い般若面に覆われ、素顔は見えない。


「あんた……やっぱり“仇花”ね」

「ええ。僕たちは徒なる花であり、仇成す花ですよ」

「気持ち悪い。変に酔っちゃってさ」


 顔をしかめるコウの言葉に、般若の少年はくつくつと笑った。


「ひどいですね。僕は純粋に目標を追いかけてるんですよ。ヤマトさんだって、強さを追い求めているだけじゃないですか」


 ヤマト。その名前に、コウは犬歯をむき出す。


「そのために他人を犠牲にするなんて、我儘ってもんでしょ……!」


 瞳孔が細く開かれたかと思うと、その頭からは尖った耳が生え、羽織の下から赤い尻尾がむくむくと生えでた。

 怒りは彼女を獣へと変える。

 引っ掛かりを失った金縁の眼鏡が滑り落ち、からんと音を立てた。


「ちょ、ちょっと待ってよ! ここで戦闘はできないはずだよ……?」


 ライラがコウを押しとどめようとすると、また少年がくぐもった笑い声を上げた。


「まさか気づいていないんですか? 今や世界全てが、戦闘区域PKエリアですよ」


 ライラは愕然とした。その身体を抱えるコウの腕が、かすかにふるえていた。


「“心砕けと――”」

「<風斬かざきり>」


 コウは呪文を唱えようとしたが、少年の刀が空気を切り裂くほうが早かった。衝撃波のような刃がコウに迫り、後ずさった彼女の喉から血の飛沫を吹かせる。

 地面に放り出されたライラは、即座に杖をかざして唱えた。


「<聖なる癒しヒール>」


 癒しの光によって彼女の血は止まったものの、声を出すことはできないようだった。ライラはステータスを確認し、その硬直が状態異常の一種、毒によるものであると判断する。

 解毒のために杖を掲げたが、今度はライラに凶刃が向けられる。コウは喉を抑えながら、「逃げて」と口を動かした。


「<風斬>」


 死を覚悟したそのとき、ライラは屋根の上の小さな影に気が付いた。

 目の前に盾を掲げたアンデッドたちが現れる。頼れる仲間の到着に、ライラは瞳をうるませた。


「リビングアーマーだと? ……ネクロマンサーか!」


 黒づくめの少年が声を荒げた。そして刀を持たない手を掲げると、コウたちを囲んでいた輩たちが武器を構える。

 銀髪の少年が、大胆不敵に降り立った。


「殺しはしたくないので、諦めてくれませんか」


 周囲から叫び声が聞こえてきた。見ると武装した人々はスケルトンに抑え込まれ、骨の手に掴まれたまま身動きが取れなくなっている。

 これを一人で操作するなんて。

 ライラは信じられない思いでイヅルの背中を見上げた。


「こんなの脅しにもなりませんよ。僕たちは死ぬ気で殺しをしているんですから!」


 般若面はそう叫び、切りかかった。イヅルも短刀を抜き放って応戦する。


「その刀は……!」


 刃と刃がせめぎ合った。黒い般若がイヅルに牙を剥いていた。


「なぜお前が持っている!」

「なぜって、押し付けられたから……?」

「はあ!?」


 叫んで飛び退り、少年はよろめいた。

 感情が動きに乗っている。刀の扱いを知らないライラですら、少年二人の動きの違いを感じ取った。

 そうだ。イヅルの師匠はどこへ行ったのだろう。


「イヅル。カナギさんは……?」


 ライラが声をかけると、般若の少年がぴたりと動きを止めた。


「カナギ? カナギだって?」


 少年は震えた。怒りのようにも、高ぶりのようにも見えた。


「あはは! お前、あの腑抜けと手を組んでるのか! あはははは!」


 般若から放たれたのは不気味な笑い声だった。

 ライラはぞっとして、思わずイヅルの横顔を見た。彼は眉をひそめて静かに気迫をみなぎらせている。


「たしかにあの人は優しすぎる」


 そして、黒い刃先を突き付けるようにかざした。


「それでも、僕の師匠だ」


 笑い声はぴたりと止んだ。少しして少年は乱暴に頭を掻いて言う。


「ちっ……。一旦引きましょう。<風斬>」


 彼の右手がさっと振るわれた。イヅルはすぐさま刃で風を弾く。

 後ろで骨たちの頭が一斉に砕け、自由の身になった賊たちが方々に逃げていった。


「僕はギルド『仇花の宿』筆頭メンバー、シッコク」


 その黒髪が、刀の起こした風に揺れていた。


「またお会いするでしょう。仇なる花を迎えに」


 その言葉を置き土産にして、シッコクは闇夜に溶けるように立ち去った。

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