006: 宮殿と魔女

 レーセネ。それは黄金の街。

 きらびやかに光を反射するレンガ道は、いつも人間たちが営む商店が軒を並べて賑わっている。

 しかし太陽が陰る今となっては、どこもかしこも薄ら暗い風景だった。

 冷たい風が吹き抜ける門を潜り、レーセネのレンガ畳を踏んだイヅルは、あちこちに視線を走らせながらフードを深く被った。

 ここは人間の都。異種族であるイヅルは住民に歓迎されない。


「よし。まずはジェムを見せに行こう」


 カナギが先導しイヅルとライラが続いた。街灯があるためか、ライラは杖を仕舞って歩いている。

 通りにたむろする人たちはどれもプレイヤーのようだった。彼らは皆一様に不安気な顔で喋っている。


「聞いたか? 山脈のほうに行ってたヴァルハラの奴ら、帰ってこなかったんだとよ」

「そりゃ、あいつら行ってたのPKエリアだろ?」

「お前……プレイヤーが殺ったって言いてえのか?」

「だって、銃声が聞こえたって噂だぜ」


 もう犠牲者がいるのか。イヅルは眉をひそめた。


「やはり死んだ人は還ってこない……。蘇生の力が失われている」


 ライラが呟いた。カナギが振り返って尋ねる。


「蘇生の力ってなんなんだ?」


 彼女は視線をそっと上げ、言葉を迷うように詰まりながら答えた。


「……日の女神の恩寵。神話において、天使を倒した人々に与えられた能力です」


 そして彼女は見上げた。ぽっかりと開いた穴のような太陽を。


「日が陰るとき、日の女神もまた隠れるのです。故に今、蘇生の力が枯れているのでしょう」

「なるほどな。一応、筋が通る説明が用意されてたのか」


 カナギもつられたように空を見上げた。イヅルはフードを深く被るように視線を落とした。

 人の視線を感じた。この道を行き交う人のものじゃない視線だ。

 店と店の隙間、闇の濃い路地裏から、誰かが見ている気がする。それも複数。

 一体何を見つめているのか。フードを被る自分か、堂々と歩くカナギか、それとも、小さな少女か。

 イヅルは隣に視線を投げかけた。

 ライラの顔は強張っていた。杖を持たない手が握りしめられていた。

 やがて三人がたどり着いたのは、氷の宮殿というのが相応しい、闇を閉じ込めて凍る建物だった。


「『ゆきみの館』……」


 ライラがぼそりと言った。


「あれ、知ってるのか?」


 カナギは目を丸くする。ライラが頷いた途端、宮殿の前に誰かが勢いよく降り立った。

 その背中の氷の翅が割れた。きらきらと冷たい粒が舞う。

 長い金髪、覗く耳は尖っている。開いた目は透き通るような氷の色。

 遅れて空から降ってきたのは、真っ白な魔女の帽子だった。それを彼女は掴み、ブロンドの髪の上に被る。


「私はかつて、ここにいましたから」


 ライラは淡々と続けた。そして一歩前へ出る。

 氷の魔女の瞳が、驚きに見開かれた。


「お久しぶりです。スピネラさん」

「……ライラ」


 彼女の名前を口にして、スピネラと呼ばれた女性は膝をついた。そして氷のような表情を溶かし、小さなライラの身体を抱擁する。


「久しぶりね。無事で良かった……」


 イヅルとカナギは顔を見合わせた。どうやらここに連れてきた張本人も、こんな展開になるとは思っていなかったようだ。


「一旦中に入りましょう。カナギと、ええと……」


 はっとしたようにスピネラは顔を上げ、こちらの方を見た。イヅルはまた緊張しながら自分の名前を言う。


「僕はイヅルです」

「イヅル……ああ、もしかしてカナギの弟子?」


 スピネラはにこりと笑った。意外と親しみのある笑みだ。

 イヅルは鋭い視線をカナギに向けた。勝手に紹介したことを咎められたカナギは、素知らぬ顔で目を逸らした。

 そして三人はスピネラに案内され、氷の宮殿―ギルド『ゆきみの館』のギルドホールに入った。


「明日レーセネにあるギルドのマスターを集めて会議をするの」


 廊下を歩きながらスピネラは語った。

 イヅルの目は廊下に並んだ無数の本棚へ向かう。

 随分と知識欲に溢れた内装だった。棚と棚の隙間にはどこかのフィールドから取って来たらしい花が飾ってあり、その上に氷で作られた造花の絵が掛けられている。

 その静謐さを際立たせるように、黄金の額縁が輝いていた。


「お。それならちょうど新発見があるから、そっちで伝えておいてくれるか」

「構わないけど、何かしら」


 スピネラの横を歩くカナギが声をかけた。そのまま彼は世間話のようなテンションで続けた。


「さっき草原のダンジョンをクリアしてきたんだ。俺たち三人で」


 スピネラは足を止め、カナギを凝視する。


「……それ、本当?」

「ああ。俺が嘘を言うように見えるか?」

「見えるか見えないかで言ったら、見えるわよ」


 胸を張るカナギに呆れてみせたスピネラは、確かめるように振り返った。イヅルとライラが揃って頷くと、彼女は瞑目し、ギルドマスターらしい表情に戻る。


「分かった。いろいろ言いたいことはあるけれど、あなたの要望通り、明日の会議で私から伝えるわ」

「ありがとう」


 カナギはにっと笑ってダンジョンの話を伝えた。新しいモンスター、新しい素材、そして張り巡らされた罠と、神話に記された怪物。


「あれは命の天使だったと思います。神話はただのフレーバー要素じゃなさそうです」


 ライラがそう口添えた。そして彼女ははっとして言う。


「そういえばコウは? 元気ですか?」


 それを聞いた途端、スピネラの表情が固まった。そしてライラの方を向いてしゃがみ、彼女の小さな肩に手を添える。

 まるで余命宣告をするような空気だ。イヅルとカナギは思わず顔を見合わせた。


「これが明日の本題だったのだけれど……」


 そう前置きをして、スピネラは申し訳なさそうに伝えた。


「コウは今、行方不明なの」


 ライラの顔色がさっと変わった。カナギも剣呑な顔になる。

 レーセネで感じた視線。そして草原で聞いた謎の足音。

 それらが結びつくような予感が、イヅルの胸裏を貫いた。

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