004: 命の迷宮

 三人と一つの魂は白い神殿の扉を開けた。

 その門の向こうには祭壇らしきものがあった。近付くとそれはずるずると移動し、地下への階段を出現させた。

 イヅルたちは顔を見合わせて、カナギを先頭にその階段へ足を踏み入れた。

 下っていけばいくほど光は増していくかのようだった。それがあまりにも不似合いで、イヅルは不気味に思う気持ちをますます募らせた。

 階段を下り切ったところでカナギがふいに足を止め、手でイヅルたちを制止する。


「いるぞ」


 そして彼は音も無く刀を抜いた。その刃に龍の姿が刻まれているのを見つけ、イヅルは自分が知らない刀だと気付く。

 彼は勇敢に駆けだした。その後を追うように階段をそっと降り、イヅルとライラは戦闘音の方を窺った。


「あれは……」


 カナギが戦っているのは騎士のような何かだった。その胸部には虹色に輝くジェムがあり、騎士はそれに操られているような動きを繰り返している。


「ジェムアーマー、という種族のようです」


 そのステータスを確認したライラが呟いた。


「リビングアーマーの亜種のように見えますね」

「ああ、アンデッドの」


 イヅルとライラが言葉を交わしているうちに、カナギは呆気なくその甲冑の頭を斬り飛ばした。

 二人がカナギに駆け寄ると、ちょうど彼は腰を落としてドロップ品を拾ったようだった。


「ラビリンスジェムだってさ。分かるか?」


 彼が差し出した手のひらには、ジェムアーマ―の胸部に嵌っていた宝石がそのまま乗っていた。


「いいえ。ただジェムということは、魔導具のコアに使われる素材だと思います」


 ライラはしげしげとその宝石を見つめてそう言った。先ほどの使い込まれたノートといい、この興味深げな表情といい、彼女はかなり研究熱心な性質のようだ。

 イヅルも首を横に振ったのを見て、カナギは宝石を懐へ仕舞った。


「後で詳しそうな奴に持っていこう。新しい素材があるってことは、他にも新要素があるかもしれないな。気を付けていくぞ」


 カナギは神妙な顔をして白い廊下を歩き出した。ライラを前に行かせ、イヅルは後方から周囲を警戒する。

 地下は迷宮になっているようだった。いきなり四つ辻に行き当たり、三人は顔を見合わせた。

 白い道の向こうからは鎧の擦れる音が聞こえた。どうやらモンスターも湧いているらしい。


「罠があるかもしれません。僕の手駒を行かせましょう」

「助かる。でもMPは大丈夫か?」

「休憩を挟めば大丈夫です。僕にはこの刀もありますので」


 イヅルは黒い短刀を鞘入りのままかざした。白い光を跳ね除けるように、どこまでも黒くつやつやとした刀だ。

 【妖刀クラミツハ】。イヅルがカナギから授かった短刀で、刀としては珍しく術師向きの性能をしている。

 その付与効果は<MP回復量上昇>、<MP最大値上昇>、そして<HP最大値下降>の三つ。MPの消費が多く、HPが低くても手駒を肉壁にできるネクロマンサーにぴったりの刀だった。

 カナギは頼もしそうに微笑んで口を開く。


「じゃあ頼んだ。ここは俺が見張っておく」


 頷いたイヅルは再び刀を帯びて手をかざした。その前方の床に魔法陣が浮かび、中からスケルトンが姿を現す。

 それを順に迷い道へ行かせたイヅルは目を閉じて、スケルトンから伝わってくる感覚に集中した。

 ネクロマンサーは一人でも戦える強力な職業だが、その操作は決して簡単でない。

 イヅルがネクロマンサーとしてかなりの実力をつけることができたのは、人より抜きんでた特性があったからだ。

 それは、自分の心を殺すこと。

 呼吸も忘れ、鼓動も忘れ、ただ死者の感覚をのみ掴む。

 それこそが記憶と感情に蓋をし、孤独を望んで彷徨う少年の特質だった。

 スケルトンの一体が暗い穴へと落ちていく。また一体が無人の矢を受けて崩れ落ちる。

 そして最後の一体のみが、新しい道へとたどり着いた。


「見つけました」


 イヅルは目を開いた。白い迷宮の輝きに視界が眩んだ。

 ライラとカナギは頷くと、イヅルの後に続いた。

 後はそれを繰り返すだけだった。道中のモンスターはカナギが斬り捨て、正しい道をイヅルが探り当てた。

 やがて一行がたどり着いたのは、一段と立派な白い扉だった。


「このレリーフ……日月の女神と六体の天使……生贄の儀式……」


 ライラは感慨深げに呟いた。その意匠をノートに描き留めて、彼女はイヅルたちを振り返る。


「ここがボス……命の天使の部屋だと思います」


 空気がぴんと張り詰めた。イヅルとカナギは各々刀を取り出して、ライラの横へ並び立った。


「イヅルとライラは一緒に行動してくれ。俺が切り込む。ヘイトを貰ったときのために、壁にできるアンデッドをいくつか用意してくれるとありがたい」

「分かりました。僕はまず空間把握に集中するので攻撃は任せます」


 イヅルとカナギは互いの戦い方をよく知っている。

 カナギは純粋な武闘タイプ。使うスキルも<展延>という攻撃範囲を延長するシンプルなものだけであり、刀一本であらゆるモンスターと渡り合う猛者だ。

 一方イヅルは刀を扱うといっても、基本的にはネクロマンサーの召喚スキルを活かした搦め手を好む。

 カナギが先陣を切りイヅルがその支援をするのが、二人のいつもの共闘の仕方だった。

 ライラはどうなのだろう。イヅルは彼女をちらりと見やった。

 不安げに杖を握る姿は戦闘慣れしているように見えない。しかしその表情には、確かに覚悟が読み取れた。


「一応、全体回復の範囲から外れることがあれば、声をかけますね」


 小さくもしっかりとした声でそう言い、彼女は前を見据えた。


「絶対に死なせません。私がいる限り」


 カナギはふっと微笑んだのが見えた。イヅルはただライラから視線を外し、ただ扉に手をかける。


「行きます」


 白い扉に光の線が走ったように見えた。その隙間から漏れる光量は増していき、イヅルたちをついに飲み込む。

 目の前に広がっていたのはがらんとした空間だった。円形の壁には神話を表しているらしいレリーフが並び、古めかしい白い柱が丸い天井を支えるように立っている。

 それらが囲む中央には、棺の中の死者のような姿勢で鎖に縛られているモンスターが浮いていた。その頭からは、闘牛のような荒々しい角が生えている。

 イヅルが周囲の地形を把握している横で、カナギは一歩前へ出て刀を構えた。


「来るぞ」


 その言葉に応えるかのように鎖がぱきぱきとひび割れていき、牛は猛々しい雄叫びを上げる。

 巨大な右腕に一筋の稲光が走ったかと思うと、さらに光の膜が伸びて、それは輝く両刃の斧となった。


「これが、両月のミノタウロス」


 ライラはモンスターの表記を睨んで呟いた。彼女を守るようにイヅルは刀を構え、リビングアーマーを数体壁のように召喚する。

 ミノタウロスの目覚めと同時に駆けだしたカナギは、怪物の腕を切りつけながら反動で飛び上がり、その首に刃を走らせた。しかしミノタウロスは意に介した様子もなく斧を振り、カナギは慌てて飛び退る。


「こいつまさかビーストと同じ、HP特化のモンスターか!」


 カナギは身軽に着地し、吐き捨てるように叫んだ。

 牛のビースト。その特徴はHP特化のステータスだ。

 六種類存在するビーストのうちHP特化の牛のビーストは比較的有用で、盾役やHPの値が回復量に反映されるプリーストにも一定数存在する。

 そんな堅牢なHP特化モンスターを崩すにはどうすべきか。イヅルは思考を巡らせた。

 どれだけHPがあろうとダメージを与え続ければ倒せるはずだ。こちらにはライラという回復役もいる。カナギはMPを使わなくともダメージを出せるし、イヅルもそれなりに貢献できるだろう。

 焦りさえしなければ倒せる相手だ。素直な攻撃モーション。そのスピードも遅い。

 焦りさえしなければ。

 イヅルは刀を握りしめた。

 そのとき、ライラが叫んだ。


「目くらましが来ます!」


 はっと見やると、ミノタウロスの角と斧の宝玉が光を増していた。

 カナギは素早く牛の怪物から距離を取った。イヅルはライラを庇うように前へ出て備える。

 とうとうミノタウロスは激しい咆哮を上げ、溜めた光を解き放った。閃光に目を瞑ったイヅルは、自分から奪われたものが視界だけでないことに気づき愕然とした。

 咆哮のせいで耳鳴りが起きて音を拾うことができない。三人の視覚と聴覚は全く同時に封じられてしまった。


「ライラさん! 無事ですか!?」


 叫んでも誰の答えも聞こえない。


「師匠!!」


 ただ敵の攻撃だけが身に迫りくるだけの状況に、イヅルはこのゲームで初めて、身体の芯が冷えるほどの恐怖を抱いた。

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