003: 師匠と弟子

 イヅルは一つ咳払いをしてライラに視線を向ける。


「つまり、ネクロマンサーである僕が近接戦闘をこなせるのは、この人のおかげなんですよ」

「なるほど」


 ライラは感心しきった様子で頷いた。

 カナギは人好きのする笑みをそのままイヅルに向けて問う。


「どうしてお前がここに? 誰かと一緒に居るのも珍しい」

「ああ、それは……」


 イヅルはおおよその経緯を説明した。とはいえ、イヅル自身もまだ事態を飲み込めていなかった。


「結局、ライラさんは何を知っているんですか」


 尋ねられたライラは少し押し黙り、やがて真っすぐに顔を上げた。


「私が知っているのは、この世界の神話です」

「神話?」


 予想だにしなかった答えにイヅルは目をぱちぱちとさせた。神話とこの状況の関係はおろか、この世界に独自の神話があることさえ知らなかった。


「この世界の神話は大きく分けて三つになります。この世界の誕生を記したもの。この大陸にある三つの都の始まりを伝えるもの。そして最後の一つが、天使と呼ばれる怪物について説いたもの」


 滑らかに説明するライラに、カナギはそっと視線を鋭くする。


「つまり、天使が何者か知っているのか」

「はい。伝えられている限りの情報ですが」


 その険しい顔に気づいた様子も無く、ライラは神殿の門を見上げた。


「これは恐らく命の天使が棲まう迷宮……神話には『命の天使は轟音と共に、命溢れる草原を死地へと転じさせた』とあります」


 その言葉を聞いた途端、神殿の白い輝きが冷え冷えとしたものに思われた。救命のために命の汚れを嫌うような、病院の潔癖さをまとった光。

 ふいにライラは手の中にくたびれたノートを出現させた。付箋が大量に張られており、かなり使い込んでいることが伺える。

 それをぺらぺらと捲りながらライラは口を開いた。


「命の天使についての情報は……これです。挿絵、そして彼らがビーストの祖先であることを鑑みると、恐らく牛のような形状をしているかと」


 彼女が示した絵はあまりにも粗く、何か角らしきものを持つ人型ということしか分からない。

 ノートから顔を上げてイヅルは尋ねた。


「あの、ビーストの祖先というのは」


 ビーストというものはイヅルも知っていた。

 プレイヤーが選択できる四つの種族のうちの一つであり、その中でさらに六つに細分化される特殊な存在。彼らは動物のような耳や角を持ち一点集中型の性能になりやすい。

 しかし単なる選択肢の一つである彼らが、なぜここで引き合いに出されるのか理解できなかった。


「それも神話に記されているんです。『天使の姿を象った人間、これをビーストと呼ぶ』と」


 その説明にカナギは納得したような息を吐いた。ライラは頷いて続ける。


「ビーストの中で角を持つのは牛と山羊の二種類のみ。その形状からいって、こちらは牛かと思います」


 そして彼女はノートを仕舞い、一歩踏み出して閉じた扉に手を添わした。


「それでは、私は天使を止めてきます」

「待て待て待て」


 勇み足の彼女をカナギは即座に止めた。


「知らないのか。ログアウトは禁じられ、蘇生もできるか分からない。そんな状況で死んでみろ。本当に……死ぬかもしれないぞ」


 脅すような口調。カナギが真剣に物を言う姿はイヅルも久しく見ていなかった。

 ライラは反論できそうもなく、ただそっと目を伏せる。イヅルは彼女が気の毒に思えて、つい口を挟んだ。


「蘇生もできるか分からないって、これはゲームなんですよ? そんなリスクの高い仕様変更をするわけが……」

「いえ、カナギさんの言う通りです」


 イヅルの言葉を止めたのは彼女だった。扉の前で俯いたまま、悔しそうに拳を握りしめている。


「この世界の神々……それに匹敵する運営陣が何を考えているのかは分かりません。ただ一つ言えるのは、私たちプレイヤーの命は彼らに握られてしまったということ」


 彼女の杖が光を強めた。白い神殿の輝きの中黄金が一瞬ほとばしる。

 黒い髪を乱して振り返った彼女の瞳は、どこまでも透徹した藍色にきらめいていた。


「だからこそ、早く終わらせなければならないのです!」

「だからって勝ち目のない戦をするのか? それこそ命を無駄にする行為だろ」


 カナギは冷たく切り捨てた。その冷酷さは彼の優しさの裏返しだとイヅルは痛いほど知っている。

 それでもイヅルは口を開かずにはいられなかった。


「じゃあ、あなたはなぜここにいるんですか」


 カナギの瞳がこちらを向いた。何もかもを見透かすような、澄んだ水の向こうに濁った血液を感じさせる藤色の瞳。


「あなたこそ、たった一人で戦おうとしていたんでしょう」


 その顔を睨みつけてイヅルは続けた。

 イヅルはあまり感情を動かさない性質だった。それが今や、世界が変わった衝撃のためか、ぐらぐらと揺れ動いている。


「それが最適なんだ。俺の才能の使い道として」


 カナギは諭すように言った。しかしそれがイヅルをますます悔しくさせた。

 イヅルはたった一人でこの世界に足を踏み入れた。誰とも関わらないまま、いつ消えてしまってもいいと思っていた。

 ダイアナという得体の知れないアンデッドに取り憑かれてもなお、どうでもいいと思って一人の道を歩んできたのだ。

 その手を無理やり取ったのはカナギだった。彼こそ、初めてイヅルが会話した人間だった。

 だから今、彼が何も言わないまま自分の前から消えようとしたことが、イヅルはどうしても許せなかった。


「それは否定しません。でもそれを言うなら……」


 イヅルはまた大きく息を吸うと、真っ赤に滾るその瞳を見開く。


「あなたより僕の方が強い」

「……へえ」


 低い返事。イヅルとカナギは同時に抜刀した。

 それを目にしたライラは、慌てて距離を取って叫ぶ。


「あ、あの! 危ないって話を今したばかりでは……」

「大丈夫。加減はできる!」

「僕はそんな失敗しませんから」


 刀を構えた二人はライラの言葉を遮って、一斉に足を踏み込んだ。

 打刀と短刀がかち合う。手に重みがかかる。それを流すようにして、イヅルは身をひねり一刀を躱した。

 距離が生まれた瞬間、カナギの足元が崩れ、スケルトンが這い上がってくる。

 ネクロマンサーであるイヅルの強み。それはアンデッドを使い、相手の不利を作ることだ。


「<展延>」


 カナギは呟いた。そして一薙ぎすると、周囲のスケルトンが一斉にその首を飛ばす。

 しかしカナギの空いた胸元にイヅルが突っ込む。

 それを見越してカナギは身を逸らす。

 二人は背中合わせのようになって、互いの首に刃を突き付けた。


「こうなったら僕の術で終わりますよ」

「詠唱させる間もなく首を斬るさ」


 そうして二人の剣士はどちらからともなく刀を仕舞い、ふっと笑い合った。

 その光景を呆然と見るライラにイヅルが声をかける。


「ライラさん」

「は、はい!」

「あなたはプリーストなんですよね?」


 イヅルは先ほど彼女に絡んでいたチンピラの言葉を思い出していた。

 その質問を聞いたライラは目を瞬かせて頷く。


「それなら……師匠」


 今度はカナギの方を向き、イヅルは真剣な眼差しで言った。


「いざというときはダイアナを使います」


 その言葉にダイアナがはしゃいで空を飛び回る。

 カナギは眉根を寄せた。そして熟考の末にようやく口を開く。


「そんなことはさせない……と言いたいところだが」


 青白い魂を見上げたカナギは、宣戦布告をするかのように言った。


「俺も、こいつを斬る覚悟をしよう」


 ダイアナはその殺意すら無視するように、イヅルの周りを嬉しそうに漂っていた。

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