1-2

 暗い森の中を獣の声が木霊していた。普段なら大して気にも留めないそれが、今はひどく気にかかる。

 暗い顔のまま少女は金の杖に光を灯し、この地を飲み込む影を散らした。


「あの、一応自己紹介を……。私はライラと言います。あなたは?」

「……僕はイヅルです」


 イヅルは内心の緊張や動転が伝わらないよう、細心の注意を払いながら答えた。イヅルにとって初対面の人間と言葉を交わすことは、この異常事態と同じくらい恐ろしいことだった。

 ライラという少女は案じるような微笑みを浮かべ、すぐに顔を曇らせる。そして何かを言おうと口を開いたが、それを制するようにイヅルの背後から火の玉が飛び出した。


『イヅル様! ワタクシのことも紹介してくださいまし!』


 一気に場が騒がしくなり、イヅルは大きなため息を吐きたくなる。

 ライラは瞳をまんまるにしてその人魂を見つめた。


「喋るモンスターですか?」

『ただのモンスターではございませんよ! ワタクシはイヅル様の忠実なる僕にて最強のアンデッド! その名も……ダイアナ!』


 結局自分で名乗りながらダイアナは身体をごうごうと燃やす。それを冷たい目で見やり、イヅルは静かに説明した。


「彼女は僕の使役するアンデッドです」


 適当な紹介が心外だったらしく、ダイアナは主の周りをぐるぐると飛んだ。その度に照らされたりかげったりするイヅルに、ライラはくすくすと笑う。


「ネクロマンサーの方なんですね。接近戦に慣れたご様子だったので、てっきり近接職かと」

「ああ。無理やり稽古に付き合わせてくる人がいるので……」


 ふとイヅルはその尖った耳を震わせた。ここが戦闘フィールドだということを忘れていた。

 あれは獣の足音だ。イヅルがライラに警戒を促す暇もなく、すぐに周囲の木立から狐たちが姿を現す。

 この辺りに生息する中でもとりわけ強力なモンスター、ジェムフォックス。それが複数体。

 既にイヅルたちは狡猾な眼光に囲まれてしまっていた。


「ライラさん、あなたは下がって……」


 傍らの少女を見やったイヅルは思わずその語尾を萎める。

 ぎゅっと杖を握りしめたライラは、今にも倒れそうなほどに蒼白だった。


「姿を消した日の女神……失われた蘇生の力……」


 またうわ言を口走る彼女を問い詰めようとした瞬間、狐たちが甲高い鳴き声と共に白い炎を吐き出した。

 イヅルは避けようとして気づく。この炎を彼女は耐えきれるのだろうか。

 アンデッドたちを肉壁にするか。いや、この距離では間に合わない。


「くそ……っ」


 イヅルは刀を構え衝撃に備える。

 すると後ろから、ライラの声が聞こえた。


「二度と殺させない。もう、二度と……!」


 あまりにも痛切な声だった。

 何故そんなに切実なのだろう。そう思った瞬間、眩い光がイヅルを飲み込む。

 一瞬、炎を受けてしまったのかと思った。しかし肌に触れる熱は、日向のように穏やかだった。

 静かな闇が再び満ちる。戻ってきた視界の中で狐たちは見るからに混乱し、あらぬ方向を見てよろめいていた。

 イヅルが振り返るとライラも目を白黒とさせていた。しかし彼女はすぐに気を取り戻し、イヅルの腕を掴んで駆け出す。


「今のうちに!」


 突然引っ張られたイヅルは、躓きそうになりながらもなんとか彼女に合わせて走った。

 彼女の歩幅はお世辞にも大きいとは言えない。自分一人で走った方が早いと思いつつ、イヅルは息を切らして尋ねる。


「あの、先ほどの光は一体」

「それは……」


 ライラはちらりとイヅルを見上げ、暗い顔をした。


「私も分かっていないんです。私を助けてくれているような気はするんですが……」


 持ち主ですら実情を知らない武器なのか。

 イヅルは照明代わりの彼女の杖を不気味に思った。そういえば先ほど彼女を囲んでいた賊たちは、その杖を狙っていたような気がする。

 続けてイヅルは尋ねた。


「どこへ行くつもりですか」


 ライラは杖が照らす道に視線を戻しながら答えた。


「それは、私にもなんと答えればいいのか……。でも、早く終わらせなければならないんです!」


 はぐらかされているような気持ちになり、イヅルは眉をひそめる。彼女が何を言いたいのかさっぱり伝わってこない。


「終わらせるって何を。まさか、あの天使の征伐ってやつですか」


 そう言い終わらないうちに視界が突然開けた。

 木立を抜けた先には、薄ら暗い草原が広がっていた。その中央に目新しいものが見え、イヅルは息を呑む。

 そこには闇を弾くように輝く白い建物があった。何かを祭る神殿らしく、その壁面には象徴的なレリーフが掘り込まれている。


「やっぱり!」


 いてもたってもいられないというようにライラが走り出し、イヅルは慌ててその後を追った。その横を悠々と浮遊するダイアナが尋ねる。


『なぜあれを追いかけるのですか』


 イヅルはその涼し気な声色に顔をしかめた。おしゃべりで冷酷なこのアンデッドには、いまいち理解しきれないところがある。


「見捨てるわけにはいかない」

『イヅル様らしくありませんね。あんなに静かな暮らしを切望されていましたのに』

「それはもう諦めたんだよ。おしゃべりな誰かさんがずっと付いてくるからね」

『何のお話をされているのか、ワタクシ全く分かりませんわ!』


 その返答が嘘であることは火を見るよりも明らかだった。彼女に構っても疲れるだけと判断し、イヅルはぐっと言葉を飲み込む。

 空を見ると黒々とした太陽が燃えていた。光を失った空は星の無い夜のように暗い。草原を照らしているのは、あの見知らぬ建物だけだった。


『ワタクシは親切心から申し上げているのですよ、イヅル様。あの場所には世にも恐ろしい怪物が潜んでいるのです』


 ダイアナの言葉に興味を惹かれたイヅルは思わず尋ね返す。


「怪物?」

『ああ! ワタクシの前でその言葉を口にしないでくださいまし!』

「自分で言ったんでしょ……」


 案の定うるさくなるダイアナに、イヅルは口をきいたことを後悔した。

 いよいよ神殿の光が届く距離になり、前を走るライラの黒髪が白い輝きを受けてつやつやと輝いた。

 その先を見てイヅルは足を止める。

 荘厳な門の下に人影があった。あの黒煙のような短髪はどこか見覚えがある。


「あの……」


 ライラが声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。藤色の瞳が少年少女の姿を捉え、不思議そうに瞬く。


「あれ、イヅル?」


 今度はライラが目を丸くして男とイヅルを交互に見た。


「ええと、お知り合いですか?」


 イヅルは大きくため息を吐いた。そして彼が余計なことを言うよりも先に口を開く。


「ええ。不本意ながら」

「不本意ってなんだ、不本意って」


 男は混ぜ返すようにそう言った。イヅルはうるさいのが増えたと思いながら、しぶしぶライラの隣に立って彼を紹介した。


「彼はカナギ。……僕の師匠です」


 カナギは一瞬意外そうな顔をし、嬉しそうに笑った。

 イヅルが静謐な暮らしを諦めたのはダイアナのせいだけではない。カナギもまた、イヅルに付きまとうおせっかいなのだ。

 だが、イヅルはカナギをうっとうしく思いながらも、その優しさを認めていた。

 情けは人の為ならず。その言葉を体現したような存在が、このカナギという青年なのだった。


―――――

Tips: ライラの鏡杖

その名、【神鏡ヤタカガミ】。『SoL』の神話を元に作られた装備。六つの星で構成された装飾が施されている。柄の部分だけでもライラの身長より大きい。

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