002: 神殿と人影

 暗い森の中を獣の声が木霊していた。普段なら大して気にも留めないそれが、今はひどく気にかかる。

 浮かない顔のまま少女は杖に光を灯した。


「あの、一応自己紹介を……。私はライラと言います。あなたは?」

「あ……僕はイヅルです」


 イヅルはまごついた。初対面の人間と親しく言葉を交わすことは、イヅルにとってはこの異常気象と同じくらい珍しく、恐ろしいことなのだ。

 ライラという少女は案じるような微笑みを浮かべ、すぐに顔を曇らせる。そして何かを言おうと口を開いたが、それを制するようにイヅルの背後から火の玉が飛び出した。


『イヅル様! ワタクシのことも紹介してくださいまし!』


 一気に場が騒がしくなりイヅルは大きなため息を吐く。

 ライラは瞳をまんまるにして、その人魂を見つめた。


「喋るモンスターですか?」

『ただのモンスターではございませんよ! ワタクシはイヅル様の忠実なる僕にて最強のアンデッド! その名も……ダイアナ!』


 結局自分で名乗りながらダイアナは身体をごうごうと燃やす。それを冷たい目で見やり、イヅルは静かに説明した。


「彼女は僕の使役するアンデッドです」


 その短い紹介が心外だったらしく、ダイアナは主の周りをぐるぐると飛んだ。その度に照らされたりかげったりするイヅルに、ライラはくすくすと笑う。


「ネクロマンサーの方なんですね。接近戦に慣れたご様子だったので、てっきり近接職かと」

「ああ。無理やり稽古に付き合わせてくる人がいるので……」


 イヅルはその尖った耳を震わせた。戦闘フィールドにいることを忘れていたイヅルは、慌てて刀の柄を握りしめた。

 周囲の木立から狐たちが姿を現す。

 この辺りに生息する強力なモンスター、ジェムフォックス。それが複数体。

 気づけば、狡猾そうな眼光がイヅルたちを取り囲んでいた。


「ライラさん、あなたは下がって……」


 傍らの少女を見やったイヅルは思わずその語尾を萎めた。

 ぎゅっと杖を握りしめたライラは、今にも倒れそうなほどに蒼白だった。


「姿を消した日の女神……失われた蘇生の力……」


 またうわ言を口走る彼女を問い詰めようとした瞬間、狐たちが甲高い鳴き声と共に白い炎を吐き出した。

 イヅルは避けようとして気づく。この炎の群れを彼女は耐えきれるのだろうか。

 アンデッドたちを肉壁にするか。いや、この距離では間に合わない。


「くそ……っ」


 イヅルは刀を構え衝撃に備える。

 すると後ろから、ライラの声が聞こえた。


「二度と殺させない。もう、二度と……!」


 あまりにも痛切な声だった。

 何故そんなに切実なのだろう。そう思った瞬間、眩い光がイヅルを飲み込んだ。

 一瞬炎を受けてしまったのかと思った。しかし肌に触れる熱は日向のように穏やかだった。

 静かな闇が再び満ちた。狐たちは見るからに混乱しあらぬ方向を見てよろめいていた。

 イヅルが振り返るとライラも目を白黒とさせていた。しかし彼女はすぐに気を取り戻し、イヅルの腕を掴んで駆け出す。


「今のうちに!」


 突然下に引っ張られたイヅルは、躓きそうになりながらも彼女に合わせて走った。

 彼女の歩幅はお世辞にも大きいとは言えない。自分一人で走った方が早いと思ったが、狐たちはまだ追ってこれないらしかった。


「あの、先ほどの光は一体」

「それは……」


 イヅルが尋ねると、ライラは暗い顔で振り返った。


「この杖の光だと思います。でも、私も分かっていないんです。私を助けてくれているような気はするんですが……」


 持ち主ですら実情を知らない武器なのか。

 彼女が掲げる杖をイヅルは不気味に思った。そういえば、先ほど彼女を囲んでいた賊たちはその杖を狙っていたような気がする。

 ひとまずイヅルは話題を変えた。


「どこへ行くつもりですか」


 杖で行く先を照らしながら、ライラは答える。


「それは、私にもなんと答えればいいのか……。でも、早く終わらせなければならないんです」


 はぐらかされているような気持ちになり、イヅルは少し眉をひそめた。


「終わらせるって何を。まさか、あの天使の征伐ってやつですか」


 そう言い終わらないうちに視界が突然開けた。

 薄ら暗い草原が広がっていた。その中央に見知らぬものが見えイヅルは息を呑む。

 闇を弾くように輝く白い建物があった。何かを祭る神殿らしく、その壁面には象徴的なレリーフが掘り込まれていた。


「やっぱり!」


 いてもたってもいられないというようにライラが走り出し、イヅルは慌ててその後を追った。

 その横を悠々と浮遊するダイアナが尋ねる。


『なぜあれを追いかけるのですか』


 イヅルはその涼し気な声色に顔をしかめた。まるであの少女を放っておけと言わんばかりの口調だ。

 おしゃべりで冷酷なこのアンデッドには、いまいち理解しきれないところがある。


「だって、見捨てるわけにはいかないだろ」

『イヅル様らしくありませんね。あんなにお一人での暮らしを切望されていましたのに』

「それはもう諦めたんだよ。おしゃべりな火の玉がずっと付いてくるからね」

『何のお話をされているのか、ワタクシ全く分かりませんわ!』


 その返答が嘘であることは火を見るよりも明らかだった。構っても疲れるだけだと判断し、イヅルはぐっと文句を飲み込む。

 空を見ると黒々とした太陽が浮かんでいた。光を失った空は星が無い夜のようだった。

 草原を照らしているのは、あの見知らぬ建物だけだ。


『ワタクシは親切心から申し上げているのですよ、イヅル様! あの場所には世にも恐ろしい怪物が潜んでいるのです』


 ダイアナが言い募った。興味を惹かれたイヅルは思わず尋ね返す。


「怪物?」

『ああ! ワタクシの前でその言葉を口にしないでくださいまし!』

「自分で言ったんだろ……」


 案の定うるさくなるダイアナに、イヅルは口をきいたことを後悔した。

 いよいよ神殿の光が届く距離になり、前を走るライラの黒髪が白い輝きを照り返す。

 その先を見てイヅルは足を止めた。

 荘厳な門の下に人影があった。その黒煙のような短髪は見覚えがある。


「あの……」


 ライラが声をかけると彼はゆっくりと振り返った。藤色の瞳が少年少女の姿を捉え、不思議そうに瞬く。


「あれ、イヅル?」


 今度はライラが目を丸くして青年とイヅルを交互に見た。


「ええと、お知り合いですか?」


 イヅルは大きくため息を吐いた。そして彼が余計なことを言うよりも先に口を開く。


「ええ。不本意ながら」

「不本意ってなんだ、不本意って」


 青年は混ぜ返すようにそう言った。イヅルはうるさいのが増えたと思って顔をしかめる。

 まだ不思議そうにするライラに、彼は改まるように笑顔を向けた。


「俺はカナギ。あいつの師匠だ」


 その右手には白い光を受けて輝く刀があった。

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