001: 少年と少女
「ダイアナ、今何か言った?」
木の上に座る少年の銀髪を一陣の風が吹き抜けていった。眼下に広がる白い花が一斉に揺れ、その中から青白い火の玉がふっと現れる。
『いいえ。何かございましたか? イヅル様』
「いや……僕の気のせいか」
ダイアナと呼ばれた火の玉が不思議そうに言うと、イヅルという少年は首を傾けて、血のように赤い目を数度瞬かせた。
その耳は人ではないことを証明するかのように尖っており、肌は生気を失ったかのように青白い。
顔は少女のように見えたが体つきは華奢な少年そのもので、遠くを見るその瞳は随分と大人びていた。
「兎が九体、狐が四体……」
イヅルが座る枝の下の白い花畑に動く影があった。
薄茶色に白い毛が混じった可愛らしい兎だ。その額には白く濁った宝石が生えている。
「僕なら手が届く」
イヅルはその白い腕を、太陽を掴むかのように空へ差し伸べた。
瞬間、兎の下に紫の魔法陣が浮かび上がった。危機を察した兎が飛び退るよりも早く、地面から花弁を撒き散らして骸骨の手が生え、兎の首をぎゅっと握りしめた。
苦しそうな声を上げてもがく兎は、その甲斐も無くすぐに力を失った。骸骨の手が土へ潜っていくと、ぐったりとした兎の身体は花の中へ沈んで消えていく。
この花畑を取り囲む森の向こうでは狐の甲高い悲鳴が木霊し、やがて聞こえなくなった。
十三匹分の経験値が手に入ったことを確かめて、イヅルは花海に飛び降りた。
『流石イヅル様! 複数地点での不完全召喚も完璧ですね』
「まあね。テンプレート化して素早く実行できるようになれば、PvPでも使えるようになるんだけど……」
ダイアナはイヅルの近くを上機嫌そうに漂った。
彼女はイヅルが使役するアンデッドモンスターだ。しかし彼女のように喋る者は他に例がなく、主人であるイヅルにとっても謎の多い存在だった。
イヅルは神妙な顔で顎先に手を添え、その尖った耳をぴくりと震わせる。
「プレイヤー同士のいさかいか? 練習相手には丁度いいかな……」
イヅルが顔を向けた先、木立の影の向こうから、剣戟と人の怒鳴り声が聞こえてきた。いそいそと黒いフードを被るイヅルに、ダイアナは近づいて言う。
『イヅル様、人の前にお姿を現してよろしいのですか? 大変な人見知りですのに』
「よ、余計なお世話! 別に喋りに行くわけじゃないんだし、平気だよ。かぼちゃだと思って切ればいいでしょ」
ダイアナの言葉にムッとしてイヅルは答え、腰の短刀を引き抜いて走り出した。落ち葉の混じる草を踏みしめ風を切るように走るイヅルの後ろから、ダイアナが木陰を照らして追いかけた。
やがて向こうから見えてきたのは、見るからに野蛮な輩に囲まれた少女だった。聖職者のような白い装備、そして真っ黒な長髪が地面に投げ出されている。
一番目を引くのは彼女が持つ黄金の杖だ。その先端には彼女自身の胴幅ほどはある、大きな丸い鏡が取り付けられていた。
「その杖が欲しいって奴がいるんだ……ちょっと貸してくれねぇか?」
輩の一人がにじり寄ってそう言った。健気に杖を抱きしめるようにして、少女は震える声を絞り出した。
「い、嫌です! これは私の大事なものなんです!」
「一人でどうやって使うつもりぃ?」
「プリーストのくせにソロプレイとか、一体誰を回復させるつもりだよ」
荒れた集団は彼女のことをげらげらと笑う。少女はぐっと声を詰まらせて、杖を握る手に力を込めるばかりだった。
そのとき、後ろの木立からイヅルが走り出て、賊の脇腹を切りつけた。
同時に彼らの足もとに魔法陣が展開されると、そこから現れた骸骨の手が足をぐっと掴み、応戦しようとした彼らの身動きを封じた。
「な、なんだぁ!?」
「こ、これは……まさか、ネクロマンサー!?」
「くそ、ネクロマンサーがついてるなんて聞いてねぇぞ!」
口々に喚く男たちをイヅルの刀が切り伏せていった。刀身まで黒いその刃が閃くと、まるで黒い稲妻のような残像が見えた。
一人の男が剣を抜き放ったが、既に懐へ入り込んだイヅルがその腹を切り裂く。倒れ込んだ賊はやがて粒子となって消えていき、イヅルは短刀をぶんと振るって鞘にそっと納めた。
流れるような刀捌きをぼんやり眺めていた少女は、戦闘が終わったことにはっと気づいて、あたふたと立ち上がった。
「あのっ……!」
声をかけられたイヅルは振り返り、思わず赤い瞳を見開いた。
ぺこりとお辞儀をする彼女の外見は想像以上に幼かった。片手に持つ杖の半分ほどの背丈しかなく、戦うことすら難しそうに見える。
『SoL』は年齢制限が設けられているから、おそらく外見設定にこだわって幼く見せているだけなのだろう。
イヅルはそう思考を巡らせたものの、そもそも女性というものがデリケートなものに思え、視線を彷徨わせて後ずさった。
「助けてくれてありがとうございました」
「いや、助けようと思ったわけでは……まあ、無事で良かったです。でも、どうしてPKエリアに?」
「ああ、それは……」
イヅルがまごつきながらも尋ねると彼女は暗い顔をして俯いた。
その瞬間、ふいに空がまばゆく光って彼女の黒髪を照らしだした。見上げるとそこには、神聖としか言えない光景が広がっていた。
木々の隙間から見える真っ青な空を、六つの強烈な輝きが滑り落ちてきた。
たなびく白い雲は虹色に照り返され、その美しさにイヅルが見とれていると、少女は恐怖に満ちた声で呟いた。
「六大天使の堕天……」
イヅルが尋ね返す暇もなく辺りに轟音が響き渡った。まるで隕石が落ちたかのような、ずいぶんと重みのある音だった。
「一体何が……」
困惑するイヅルの前に突然システムウィンドウがぱっと開き、ノイズの混じった無機質な声を再生する。
『――プレイヤー諸君に告ぐ。六体の天使を征伐してみせろ。さすれば帰路は開かれん』
思わぬ事態の連続に絶句したイヅルは、辺りが暗くなるのに気付いてまた空を仰ぎ見た。
その視線の先には黒く変色していく太陽の姿があった。きらびやかだった空は一転して影に塗れて、なんとなく空気も冷えていくようだった。
「日の女神が隠れた……」
少女はまた意味深長に呟いた。イヅルは彼女に向き直り、その肩を掴んで問い詰めたいほどの動転を抑えながら、ただ静かに尋ねた。
「何が起こっているのか、あなたは分かるんですか。僕たちは何に巻き込まれたんですか」
「私はただ、似たようなことを知っているというだけで……」
そこで彼女ははっとしてシステムウィンドウを呼び出した。それを何度も何度も繰り返し、やがて色を失った顔でおずおずとイヅルを見上げる。
「ログアウトができなくなっています……」
イヅルは息を呑んだ。その胸の内にも、不安という名の影が広がっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます