1-1: 死者と命の迷宮
「ダイアナ、今何か言った?」
木の上に座る少年の銀髪を一陣の風が吹き抜けていった。眼下に広がる白い花が一斉に揺れ、その中から青白い火の玉がふっと現れる。
『いいえ。何かございましたか? イヅル様』
その火の玉が不思議そうに声を響かせた。幼さと無機質さが重なった女性の声だ。
彼女の返答にイヅルという少年は首を傾げ、血のように赤い目を数度瞬かせる。
「いや……僕の気のせいか」
その耳は人ではないことを証明するかのように尖っており、肌は生気を失ったかのように青白い。顔は少女のように見えたが体つきは華奢な少年そのもので、ふと遠くにやったその視線は随分と大人びていた。
「兎が九体、狐が四体……」
イヅルが座る枝の下の白い花畑に動く影があった。
薄茶色に白い毛が混じった可愛らしい兎だ。その額には白く濁った宝石が生えている。
「僕なら手が届く」
イヅルはその白い腕を、太陽を掴むように空へ差し伸べた。
瞬間、兎の下に紫の魔法陣が浮かび上がる。危機を察した兎が飛び退るよりも早く、地面から花弁を撒き散らして骸骨の手が生え、兎の首をぎゅっと握りしめた。
苦しそうな声を上げてもがく兎は、その甲斐も無くすぐに力を失った。骸骨の手が土へ潜っていくと、ぐったりとした兎の身体は花の中へ沈んで消えていく。
花畑を取り囲む森の向こうで狐の甲高い悲鳴が木霊し、やがて聞こえなくなった。召喚した駒は全て、己の仕事をやり遂げたらしい。
十三匹分の経験値が手に入ったことを確かめて、イヅルは花海に飛び降りる。
『流石イヅル様! 複数地点での不完全召喚も完璧ですね』
ダイアナはイヅルの傍を上機嫌そうに漂った。
彼女はイヅルが使役するアンデッドモンスターだ。しかし彼女は他に類を見ない喋るモンスター。その上彼女は主人であるイヅルの意志とは関係なく、彼女の意志としか思えないタイミングで勝手に姿を現す。
そのせいでイヅルのMPは常に削られているのだが、何度指摘してもダイアナは言うことを聞かないので、イヅルはもう彼女の好きなようにさせているのだった。
ふと森の奥から異音が聞こえ、イヅルは神妙な顔で尖った耳を震わせる。
「プレイヤー同士のいさかいかな。練習には丁度いい……」
イヅルが顔を向けた先、木立の影の向こうから聞こえてきたのは、剣戟と人の怒鳴り声だった。いそいそと黒いフードを被るイヅルにダイアナは近づいて言う。
『イヅル様、人の前にお姿を現してよろしいのですか? 大変な人見知りですのに』
「よ、余計なお世話。別に喋りに行くわけじゃないんだし、平気だよ。かぼちゃだと思って切ればいいでしょ」
ダイアナの言葉にムッとしてイヅルは答え、腰の短刀を引き抜いて走り出した。落ち葉の混じる草を踏みしめ風を切るように走るイヅルの後ろから、ダイアナが木陰を照らして追いかける。
思い返せば、これが残酷な旅路の最初の一歩だった。
やがて向こうから見えてきたのは野蛮な輩に囲まれた少女だった。聖職者のような白い装備をその身にまとい、真っ黒な長髪が地面に投げ出されている。
一番目を引くのは彼女が握りしめる黄金の杖だ。その先端には彼女自身の胴幅ほどはある、大きな丸い鏡が取り付けられている。
「その杖が欲しいって奴がいるんだ……ちょっと貸してくれねぇか?」
輩の一人がにじり寄ってそう言った。健気に杖を抱きしめるようにして、少女は震える声を絞り出す。
「い、嫌です! これは私の大事なものなんです!」
か細くも意志を感じさせる声だった。しかし彼女を取り囲む集団は小馬鹿にした様子でげらげらと笑う。
「一人でどうやって使うつもりぃ?」
「プリーストのくせにソロとか、一体誰を回復させるつもりだよ」
少女はぐっと声を詰まらせて、杖を握る手に力を込めるばかりだった。
もう、足踏みしている暇はない。イヅルは意を決して日の下に身を躍らせた。同時に彼らの足もとに魔法陣が展開されると、そこから骸骨の手が現れる。
「な、なんだぁ!?」
「こ、これは……まさか、ネクロマンサー!?」
「くそ、ネクロマンサーがついてるなんて聞いてねぇぞ!」
身動きが取れず口々に喚く輩たちをイヅルの刀が切り伏せていく。刀身まで黒いその刃が閃くと、まるで黒い稲妻のような残像が見えた。
一人が剣を抜き放ったが、既に懐へ入り込んだイヅルがその腹を切り裂く。倒れ込んだ賊はやがて粒子となって消えていき、イヅルは短刀をぶんと振って鞘にそっと納めた。
流れるような刀捌きをぼんやり眺めていた少女は、戦闘が終わったことにはっと気づいて、あたふたと立ち上がった。
「あのっ……!」
声をかけられたイヅルは振り返り、思わず赤い瞳を見開いた。
ぺこりとお辞儀をする彼女の外見は想像以上に幼かった。片手に持つ杖の半分ほどの背丈しかなく、戦うことすら難しそうに見える。
『SoL』は年齢制限が設けられているから、おそらく外見設定にこだわって幼く見せているだけなのだろう。
イヅルはそう思考を巡らせたものの、そもそも女性というものがデリケートなものに思え、視線を彷徨わせて後ずさった。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「いや、助けようと思ったわけでは……まあ、無事で良かったです」
イヅルがまごつきながら返した途端、空がまばゆく光って彼女の黒髪を照らした。はっとして見上げると、そこには神聖としか言えない光景が広がっていた。
木々の隙間から見える真っ青な空を、六つの強烈な輝きが滑り落ちてくる。たなびく白い雲は虹色に照り返され、まるで宝石のようだった。
その美しさにイヅルが見とれていると、少女の恐怖に満ちた声が聞こえた。
「六大天使の堕天……」
イヅルははっと視線を隣に向けた。少女の身体は小さく震え、その手に持つ金の杖がきらきらと光を跳ね返している。
イヅルはその意味を問おうとしたが、寸暇もなく辺りに轟音が響き渡った。まるで隕石が落ちたかのような、ずいぶんと重みのある音だった。
「一体何が……」
困惑するイヅルの前に突然何かの画面がぱっと開く。息を呑むイヅルの前で、それはノイズの混じった無機質な声を再生した。
『――プレイヤー諸君に告ぐ。六体の天使を征伐してみせろ。さすれば帰路は開かれん』
思わぬ事態の連続に絶句したイヅルは、辺りが暗くなるのに気付いてまた空を仰ぎ見た。
その視線の先には黒く変色していく太陽の姿があった。きらびやかだった空は一転して影に塗れ、なんとなく空気も冷えていくようだった。
「日の女神が隠れた……」
少女はまた意味深長に呟く。イヅルは彼女に向き直り、その肩を掴んで問い詰めたいほどの動転を抑えながら、ただ静かに尋ねた。
「何が起こっているのか分かるんですか。僕たちは……何に巻き込まれたんですか」
「私はただ、似たようなことを知っているだけで……」
そこで彼女ははっとしてシステムウィンドウを呼び出した。それを何度も何度も繰り返し、やがて色を失った顔でおずおずとイヅルを見上げる。
「ログアウトができなくなっています……」
イヅルは息を呑んだ。その胸の内にも、不安という名の影が広がっていった。
―――――
Tips: イヅルの愛刀
その銘【妖刀クラミツハ】。作成者名はセンリ。<MP回復量上昇>、<MP最大値上昇>といった後衛向けのスキルを持つ。
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