第10回 しあわせ家族

 冬。

 公園のわきに車を停めて、をしあわせ家族見ていた。

 たいしておもしろい眺めでもなかった。もうちょっと楽に座れる位置までシートをさげようとして、座ったままだとけっきょくレバーに手を届かせることができなかった。あきらめてスマホをたしかめると、時計じゃなくて時計の静止画を表示しているだけじゃないかと思うほど時間は進んでいなかった。

 うんざりして窓の外に目を向けると……しあわせ家族がしあわせに暮らしていた。

 克輝くんがディスプレイで見せてくれた建売住宅だった。公園の向かいに同じような見た目の小さな家が、すきまなく何軒も並んでいた。どの家のカーポートにも、大きさと国籍を見せびらかしあうように、同じくらいりっぱなランドクルーザーが停まっていた。しあわせ家族のはドイツ製だった。男が、握っただけでたっぷりと泡がこぼれ落ちる大きなスポンジで、いかにも上機嫌にボンネットをこすっていた。あの男も克輝くんがディスプレイに表示した写真で見たことがあった。日曜の午後のすごしかたとして考えつくかぎり、もっとも平凡でつまらない作業をあんなに楽しそうにこなせる理由を、香月はひとつとして思いつくことができなかった。

 あいつは有罪になった

 と克輝くんはいっていた。

 でも執行猶予がついた あいつ牢屋いかなかった

 小学生くらいの男の子が自転車で猛然と公園から飛び出してくると、わがもの顔で道路を横切り、玄関先でタイヤを音高く鳴らして急停止した。

 あいつ息子がいたから 裁判官が手かげんしたんだ

 克輝くんはそこまで調べていた。

 あの小学生のことじゃなかった。それじゃ年齢があわない。

 男がスポンジでフロントガラスを泡まみれにしながら、鼻歌のあいまに小学生に声をかけた。

 あいつトラック運転手はやめたし二度と車は運転しなかった

 玄関に飛びこみかけたところで小学生がふりかえり、男が小学生だったらきっとこんな顔で笑ったにちがいない輝くような表情でなにやら叫び返した。男は満足げにうなずいて、またくだらない作業でせっかくの日曜の午後を浪費することに戻った。

 だけどいまは息子の車に乗っけてもらってドライブしてる

 あのランドクルーザーのことだった。

 つまりあいつは裏切った

 だからここは正しい場所だった。

 父親に無断で(母親になんてことわる必要すらない)、冷蔵庫の扉にマグネットでぶら下げているキーを持ち出し、いちど病院に立ち寄ってから克輝くんに教えられた座標を地図アプリに入力してその指示どおりに二時間あまりも軽自動車を走らせた。その座標を、克輝くんはSNSの写真から探りだした……本人は慎重にぼかしているつもりでも、背景のかすかなランドマークのシルエットや、見切れて一部しか読み取れない商店街の看板、フリーマーケットや盆踊り、小学校の運動会なんかの地域のイベントとか、手がかりはあけすけなほど無防備に散りばめられていた。ぜんぶベッドに横たわったまま、目の動きでパソコンを操作するだけで突き止めることができた。きっと膨大な時間と……気の遠くなるような集中力が必要だった。とっかかりになるSNSを見つけるのだってかんたんなことじゃなかっただろう。しかもそれを、バイオCADの操作を習得して〈マークⅠ〉から〈Ⅹ〉までを生み出し、プラグインの開発に手を出して、何万行ものコードを書きあげ、〈マーク・なんとか〉から〈G・なんとか〉へ画期的な進化wをさせるあいまにやってのけたとなれば、まるで昏睡状態だった二十年との引き換えに、このあとの人生はずっと目覚めたままでいると決めてでもいるみたいだった。


つづく。

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