第6回 進化だw

 さっそくふたりで作業に取りかかった。

 ラットの眼球モデルを神経レイヤーに接続するのを手はじめに、婦長さんが足音も高く病室に入ってきて、面会時間はとっくに終わっているし、それどころかもうじき日付が変わるところだと語気鋭く通告するまで、食事どころか休憩も取らなかった。まるでこうなるのがさいしょからわかっていたみたいにスムーズだった。

 翌日、面会時間がはじまるかはじまらないかのうちに香月が病室をおとずれると、ベッドのわきに折りたたみ式の小さなデスクとやけにりっぱなゲーミングチェア、ちょっと古めのノートパソコンがあった。克輝くんのわがままだった。ノートパソコンを開いてみると(アカウント名とパスワードは付箋に几帳面な小さな字で手書きされてパソコンのふたに貼ってあった)、これも克輝くんのわがままで、デスクトップには例の七百万ドルの再生医療専用ソフトのアイコンが出ていた。

 克輝くんが、とっくにソフトウェアを起動して待っていた。

 ほどなく〈マークⅥ〉ができあがった。同じ雑魚キャラでも、こっちはワンランク上の雑魚キャラだった。なにしろ眼球がある。その重量を支え、さらに移動するための筋肉もそなわっている。眼球といってもプリンタの精度が足りず、たいした視力も色覚もない。ひとつだけだから距離や方角もろくに認識できない。それでも〈Ⅴ〉より先に敵を視ることができる。視覚刺激に筋肉が反応して、そっちのほうに移動することもできる。原始的な触手で(筋肉量も大幅に増えている)、くぼみのぎざぎざにたぐりよせることもできる。

 プリントアウトには二週間もかかった。

 それが、たった一分で決着がついた。圧勝だった。〈マークⅤ〉はまともに抵抗することもできなかった。ふたたび白く濁った水槽から香月が顔をあげると、ディスプレイにMSゴシックが並んでいた。

 進化だw

 そのとおりだった。これは進化wだった。

〈マークⅦ〉はさらに強力だった。触手の数を増やしたぶん、筋肉も大幅に増量し、それらを制御するための神経レイヤーはさらに複雑になった。そんなにうまくはいかなかった。さっきまで水槽のなかで活発に触手を動かしていたのが、香月が水槽の仕切りをはずして対決(そのころにはふたりはそれをそう呼ぶようになっていた)がはじまったときには、目に見えて緩慢になっていた。思ったより時間がかかった(これも、このときにはどっちが勝つかではなく、どのくらいの時間で終わるかが重要になっていた)。〈Ⅳ〉と〈Ⅴ〉のときは五分だった。〈Ⅴ〉と〈Ⅵ〉は二分で終わった。〈Ⅶ〉だったらきっともっとはやい……ひょっとして秒殺じゃないかとふたりは話しあっていた。それが十分かかった。そして勝ったのは〈Ⅶ〉じゃなかった。

 ちょっと考えればすぐに気づくはずのことだった。筋肉の増量と神経レイヤーが複雑になったおかげで、あらかじめ内蔵しておいたエネルギーを使い切ってしまったからだった。

 そこでふたりは新しい課題の解決に向けて消化器と循環器レイヤーの設計に取りかかった。

〈Ⅷ〉が〈Ⅵ〉に勝利するのにかかった時間は七秒だった。しかも〈Ⅷ〉は〈Ⅵ〉の破片が水流で流れてくるのを濾し取って摂取することができた。おかげで十日も生きつづけた。

〈Ⅸ〉では外気を呼吸する機能を実装した。進化wだった。

 香月のアイデアだった。べつに呼吸器と呼べるほどのレベルのものじゃないとしても、香月にはそれなりの……たぶん、生まれてはじめてといっていいほどの手応えがあった。これまでは全体をくるみこんでいたコラーゲンの皮膜が水中から酸素をちょくせつ取りこんでいた。その外側にキチン質の厚めの皮膜を重ねて二重構造にし、すきまに水を満たしておく。キチン質の皮膜には無数の微細な穴を形成しておいて、そこから外気を内側の水に溶けこせれば、水中にいなくても、これまでどおりコラーゲンの皮膜が酸素を取りこむことができる。

 おかげで活動範囲を陸上――ここでは水槽の水面から上の空間――に拡張できた。進化wだった。そこで〈Ⅸ〉には筋肉でできた吸盤を配置して水槽のアクリルガラスに吸着できるようにし、空間認識能力を実装して上へ移動するように条件設定した(そして、うまく水上に這い出たところで、皮膜の強度が足りず、底が抜けて中身をぜんぶ水槽のなかにぶちまけてしまった)。〈Ⅹ〉では棒状に整形した筋肉で体型を維持できるようにした。そして皮膜のあいだの微量の水が供給できる酸素量では足りず、水槽のガラスにへばりついたまま、まるで絶句するようにいちどだけ筋肉を大きく痙攣させたきり、窒息死してしまった。


つづく。

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