第3回 wwwwwwwwwwwwwwww

 克輝くんがおぼえている香月は二十年まえの小学三年生で、身長はクラスの後ろから四番めで体重は一番め、前髪をお母さんの横暴で眉毛のちょっと上で水平に切りそろえさせられ、季節に関係なくいつも明るい色の、はち切れそうに引き延ばされたサンリオのキャラクターがプリントされたTシャツを着て、両方のわきの下には乳牛の胴体のもようみたいな汗じみを浮かべた、陰気な顔つきの女子のはずだった。いまの香月は市内の小さな広告代理店につとめる三十歳のウェブデザイナーで、サブリーダなんて肩書きをもらってはいても、給料は一年めのころからそんなに変わっていないし、それっぽい仕事をまかされることもなく、もっぱら契約書をキャビネットにかたづけたり、会議の資料をPDFにして関係各位にメールしたりしている。専門学校を卒業してすぐレーシックを受けて、めがねとは完全に縁を切った。会話だって、会社のひとに嫌われたり見くだされたり(これがいちばん最悪だった)されないためなら、いくらでもおもしろおかしくつづけることができる。身長が伸びたぶんを考えれば体重はむしろ減っているといっていいし、まわりがおとなばかりになったから、面と向かってデカ盛り呼ばわりされることもない。何度か連絡のあった同窓会のお誘いは、回答期限が切れるまでついうっかり忘れてしまうことにしている。

 だから克輝くんが香月のことをわかるはずがなかった。

 克輝くんの眼球がいそがしく動いていた。それを頭の上にかぶさっているカバーのカメラが読み取ってパソコンを操作しているんだと香月は気づいた。それにしても、どうしてなんのおもしろみもないMSゴシックなんかをフォントに使っているのかさっぱりわからなかった。

 つぎのメッセージが表示された。

 見舞いにきたの香月が第一号だよ

 ちゃんとわかっていた。すくなからず香月は混乱した。

 克輝くんは文字入力をつづけた。

 望月とか三山とか いつもいっしょに遊んでたのにさ 福本先生とか坂上先生もさ だれもきてくれないの みんなぼくのこと忘れちゃったかな

 さらに混乱した。望月も三山もあのときあそこにいた。美波ちゃんや杏歌ちゃんも。それどころかあのとき克輝くんが持たされていたランドセルはその全員のだった(香月のも、もちろん)。だからあの事故はあいつらがやったことだった。

 頭を強く打ったとは聞いていた。血のかたまりが脳みそをひどく圧迫して、取りのぞく手術に十数時間もかかったと。いっしょにいやな記憶も取りのぞかれてしまったのかもしれなかった。

 もしかして、これない理由でもあるのかな?ww

 いや、たぶんちゃんとわかっていた。

 なに黙ってんの?

 とっさのことで、声が悲鳴みたいに裏返ってしまった。「なんでもない! ちょっと、驚いてるだけ」

 マイク

 克輝くんの視線が窓ぎわに向いたのでそっちに目を向けると、カラオケボックスにあるような本格的なマイクがあった。いつもひとりでストレス発散するときにやっているように、三本の指で支えて横向きに口もとに近づけると、すこしだけ落ち着くことができた。

「なんでもないよ、」

 すると、それもつまらないMSゴシックでディスプレイに表示された。

 なんでもないよ

「なんか、ちょっと、びっくりしちゃって」

 なんかちょっと びっくりしてって

 だね まさかこんなことになるなんてねww

 こんなに落ち着かない気分にさせられるwの使いかたがあるなんて思ってもいなかった。

 でもうれしいよ きみがぶじだったとわかって ゴセシケもよろこんでる

 知らない言葉だった。なんのことか克輝くんが教えてくれた。

 合成神経細胞群塊のこと

 訊いてもいないのに克輝くんはさらにこうつづけた。

 パソコンの専用ソフトを使うんだ

 眼球の動きだけでマウスをあやつってディスプレイの表示をパソコンのデスクトップに切り替えると、スタートボタンからアプリケーションリストを呼び出してバイオCADを選択した。

 とたんに画面いっぱいに、作業用ワークスペースとツールパレットが並んだ。香月がマウスの動きを目で追いきれないうちに、オブジェクトメニューからモック(シート状のものや枝を広げた樹木みたいなの、ボール、パイプなんかのアイコンが並んでいた)をワークスペースにドラッグし、こてツールで形状をととのえ、はさみツールで不要なところを切り取り、のりツールでつなぎあわせ、拡大したり回転させたりしてできばえをたしかめ、見るまにかたちをととのえていった。

 親にたのんで使わせてもらってんだ

 事故で欠損した患者の部位を再生をするための、形成外科用の医療モデリングソフトだった。ふつうならこんなことに使うようなものじゃない。

 あいつら こんなんなったら おれのいうことなんでもきくんだぜw

 このwはどうやら自嘲のwだった。

 ぜんぶで二時間もかからなかった。克輝くんは複数のパレットを使いわけて見るまに神経繊維をメッシュ状に編みあげ、停止アイコンをクリックするまでいつまでもピストン運動を卑猥にくりかえす筋肉器官を成形し、コラーゲンの薄膜なんかをつくりあげた。熟練の手つきだった(そんなことをいえば克輝くんは、手つきじゃなくて目つきだろと指摘して、そのあとに自嘲のwを、蟻の行列のように長ながと並べるにちがいない)。

 さいごにすべての部品を組みあわせると、それまでの複雑な作業からは想像もつかないほどおおざっぱな、かろうじて手足を判別できるていどの、不格好な粘土細工ができあがった。頭――むしろちょっと大きめのこぶというほうがふさわしい――のてっぺんには小さな穴が一列に並び、その下は深くえぐったように大きくくぼんで、ふちを無数の突起がぎざぎざに取り巻いていた。

 どう?

 どうもこうもない。ファンタジー系RPGで初心者が練習で倒す雑魚キャラにしか見えない。

 ディスプレイのわきの水槽で、水流にあわせて揺れているビニール袋みたいなものともまたちがっていた。克輝くんがいうには、水槽のなかのはマークⅣだ、とのことだった。いま、ディスプレイのなかで何度もひっくり返されたり裏返されたり、虫めがねツールで拡大されては、香月にはよくわからない細かな修正をされている雑魚キャラは〈マークⅤ〉だった。〈マークⅣ〉には〈Ⅴ〉の頭――むしろちょっと大きめのこぶ――のまんなかのくぼみをふちどっている、角質のぎざぎざはなかった。こぶの先端部分に並ぶ小さな穴も、〈Ⅳ〉は二つで(これでじゅうぶんな範囲を認識できると思ったんだ)、〈Ⅴ〉は八つだった(これなら3〇〇度くらいの視野が確保できる計算なんだ どうせ明暗くらいしかわかんないけど)。

 しかたなく香月はマイクを口もとに近づけた。「悪くないと思う」

 うそじゃなかった。グロテスクな生物感も、雑魚キャラにしては悪くないといえなくもなかった。

 こんどのはもっと強いはず

 よくわからないまま香月はうなずいた。「そうだね」

 すると克輝くんは眼球の動きでコントロールキーとSキーを同時押ししてデータを保存し、つぎに〈プリント〉メニューを呼び出した。

 病院の別館の、どこか奥のほうにある研究室で、バイオプリンタが動きだしてそれを――〈マークⅤ〉を――現実世界に産み落としはじめた。プリンタのカートリッジには、患者本人の幹細胞を目的ごとに再分化・培養した素材が充填されている。いま使っているのはもちろん克輝くんの培養細胞だった(克輝くんの親は、事故まえとはくらべものにならないくらい、ほんとうにどんなわがままも聞き入れてくれていた)。べつに移植するためじゃない。克輝くんがいうには、そんなことをしてもどうにもならない。

 だって ぼくの身体をプリントしていまの身体と入れ替えるのはむりなんだって 技術的? 倫理的? 法律? なんかそんな

 と、wもつけずに。

 いや、香月がもういちどディスプレイをふりかえると、こう表示されるところだった。

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