第2回 意識が戻ったと連絡してきたのは、克輝くんのお父さんだった

 つぎに香月があったとき、克輝くんは克輝くんのお父さんの病院の、いちばん見晴らしのいい病室の小さなベッドのなかにいた。見るからに窮屈そうな姿勢だった。なんに使うかもわからないコードやチューブが全身につながれていて、わきの小さな機械が、静かな電子音を規則的に鳴らしていた。ブラインドのすきまから陽射しが壁の大型ディスプレイを照らしていた。ディスプレイにはパソコンのスクリーンセーバーの、わざとらしいほどみごとな世界の風景写真が順番に映っていた。克輝くんは起きているとき、ここでこうやってずっとこんな高精細のみごとな風景ばかりを眺めているんだろうかと香月は考えた……自分だったら耐えられそうになかった。

 それとも映画でも見ているか。克輝くんが知らない映画はたくさんあるはずだった。

 ディスプレイのわきには大きなアクリル水槽があって、音もなく浄化フィルターのモーターが水をまわしていた。顔を近づけてみると、アクリルガラスに内側からビニール袋みたいなものがへばりついて、かすかな水流になびいているだけで、水草や流木どころか、砂利さえ敷いていなかった。

 ベッドに近づいてみた。

 克輝くんの頭の上には背後から大きなプラスチックのカバーがせり出していて、顔を見るには腰をかがめなければなかった。克輝くんは目を閉じていた。香月はほっとした。克輝くんは驚くほど小さかった。大きさだけにかぎっていえば小学校低学年くらい……まるであの事故から何日もたっていないみたいだった。

 それいがいのことでは、香月には発育不全の野菜にしか見えなかった。それとも、摘み取られてから何ヶ月もかけて水分をうしなった果物か。

 意識が戻ったと連絡してきたのは、克輝くんのお父さんだった。二十年ぶりのことだった。第三者委員会の調査報告のおかげで、ほとんどのおとなが香月と克輝くんをそういう関係だと見なしていたのは香月も知っていた。克輝くんのお父さんもそうで(香月の親やおばあちゃんもそうだった)、だからまっさきに連絡してきた。じっさいのところどうだったのかは香月にもよくわからない。たぶん……そういう関係じゃなかった。ただちょっと名前が似ているだけの関係でしかなかった。それと同級生としての関係でしか。

 そうでなければいくら名指しで連絡をもらったからといって、こうして見舞いにきたりはしない。たとえ何ヶ月も迷ったあげくだったとしても。

 いま、克輝くんはふつうにただ眠っていた。窓からの陽射しで、肌の陰影が古びたコンクリートみたいに強調されていた。太いチューブがのどにねじこまれているのを目にして、意識が戻ってから克輝くんがどう過ごしたかを考えずにいられなかった。さいごに記憶しているのがいつのことなのか。知らないあいだに過ぎてしまった二十年間を、どう受け止めて……それとも受け止めていないのか。説明を求められたら香月はどう答えればいいのか。まったく見当もつかなかった。ただ顔を見にきただけだった、そういう関係じゃないと、周囲に説明するのがおっくうだったばかりに。克輝くんが目を覚まさないうちに急いで帰ったほうがよさそうだった。

 そのとき克輝くんの目が開いた。眼球が回転し、香月を見つめた。

「やあ」

 と、克輝くんはいった。「ひさしぶり」

 じつのところ、克輝くんはそう声に出したわけじゃなかった。壁の大型ディスプレイが、スクリーンセーバーの風景写真からまっ黒な画面に切り替わって、白い文字が並んでいた。

 やあ

 そこで改行して、

 ひさしぶり

 と。

 香月は息を吞んだ。



つづく。

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