合成怪物の逆襲

片瀬二郎

第1回 そのとき、克輝くんは小学三年生だった

 春。

 そのとき、克輝くんは小学三年生だった。そのとき、香月は坂のいちばん下に待機させられて、望月くんとか三山くんとか美波ちゃんとかといっしょに、がんばれーとか、もっとはやくーとか、はやしたてる役を割りあてられていた。

 学校までの急な坂道を、克輝くんは教科書やノートでいっぱいのランドセルをいくつもぶらさげて、全力でダッシュしていた。なんでそんなことをしなくちゃならなくなったのか、どんなに考えても香月にはわからなかった。たぶん、それは克輝くんが町でいちばん大きな病院の院長先生の孫だからなのかもしれなかった。

 坂道はとちゅうでカーブしていて見とおしは悪かった。坂の上の学校の職員室からだと坂道を見おろすことはできなかったから、担任の福本先生も副担任の坂上先生も、なにが起きているか知りもしなかった(じっさい、あとになってこのふたりは第三者調査委員会の聴取ではっきりそう証言し、第三者調査委員会は学校側の責任はないと認定した)。カーブミラーはしょっちゅうスプレーでらくがきされていたので、そのときちょうど坂をくだりはじめたトラックの運転手は、直前まで克輝くんに気づかなかった。よく晴れていて季節はずれに暑い日だった。ただ立っているだけでも汗じみがほとんどわきの下から脇腹あたりに広がるほどで、そんなのを見つかってしまったらまたホルスタインだのピンツガウエルだのとはやしたてられてしまうから(マンションも通学路も同じ美波ちゃんが、いまも油断なく香月の挙動を監視している)、香月はへたに身動きもできなかった。もっと大きな声で応援しなきゃだめだよといわれれば、そのとおりにするしかなかった。すくなくともそのあいだだけは、チャーシューアームとか極太麺とか、いやな呼ばれかたをされることはなかった。

 坂道に入ってもトラックはスピードを落とさなかった。ほんとうだったら見とおしが悪くてこんなに急なくだり坂ではもっと注意して運転しなくちゃいけないはずだった。裁判でトラックの運転手はスマホで道をたしかめるのにいそがしくてちゃんとまえを見ていなかったと証言した。どうやらそういうことみたいだった。当時の香月はだれが悪いのかなんて知りたくもなかったから、自分からはなにも訊かなかったし、なにも聞こうとしなかった。運転手さんがもうちょっと気をつけていたら、と思うことはあった。そしたら克輝くんは、蹴り上げられたサッカーボールみたいにいきおいよく崖の下まで吹っ飛ばされることもなく、香月たちといっしょに学校を卒業し、同じ顔ぶれのまま中学生になり、へたをすると高校もいっしょで、そのあともずっとなにも変わらなかったかもしれなかった。


つづく。


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