第2話

 この日、一人の青年が死出の旅に出た。早すぎる死だった。

 部屋は沈鬱な静けさに満ち、青年の死を悼んでいるようにも感じられた。


 が、突然、沈黙を破るかのように背後の押し入れの引き戸が内側から開いた。


 中から現れたのはスーツ姿の男だった。喪服のようなブラックスーツに身を包み、手にはバインダーを持っている。黒縁のメガネと少し茶色がかったパーマヘアが、若さも相待って少し軽薄そうに見えた。


 メガネの男は天井からぶら下がった青年の遺体を無遠慮に観察しながら、手に持ったバインダーの書類に何かチェックを入れていた。


 少し間が空いて、開きっぱなしの押し入れからまた誰かが現れた。こちらもメガネの男と同じブラックスーツを着ていた。小太りで頭髪が若干寂しくなっている、いかにも中年サラリーマンといった風情の男だった。中年の男がメガネの男に声をかけた。

「どうだ、按配は?」

 メガネの男は青年の脈をとりながら返事をした。

「はい。糸杉アパートメントの青山輝之、22歳、男性、死亡動機は失恋を苦にした首吊り自殺…これで合ってますよね」

 メガネの男は中年の男にバインダーの書類を見せた。中年の男は眉間に皺を寄せた。

「え?今日のお前の担当は人間じゃなくて犬だったような気がするんだが」

「そうなんですか?でも指示では確かに人間でしたよ」

 メガネの男は書類の一部を指差した。中年の男はバインダーを受け取り、書類を確認しながらため息をついた。

「本当だなあ。ちょっと確認してくるわ」

 そういうと中年の男は押し入れではなく玄関から外へ出て行った。部屋に残されたメガネの男は勝手に本棚から漫画を取り、ベッドに腰掛けてそれを読み耽った。


 しばらくして中年の男が戻ってきた。手に分厚い紙の束を持っている。メガネの男は漫画から顔を上げた。読み終えたらしい漫画が2冊、隣に積まれている。

「お待たせ。やっぱ上の指示が間違ってたみたいだ。本当はこのアパートの隣の柴犬を召させる予定だったらしい」

「そうだったんですか。どうもすみません」

 漫画を片手に頭を下げるメガネの男を手で制して中年の男は言った。

「いやお前は悪くないから気にすんな。でも予定外の死だから調整が必要だな。えーっと、どれがいいかな」

 中年の男は分厚いリストを捲りながら何かを探しているようだ。そしてリストの真ん中まできたところで手を止めた。

「おお、ちょうど良いのがあった。近くの病院で田嶋祐介っていう同い年の男が大動脈剥離で死にかかってるな。こいつを生き返らせれば良いだろう。よし、ついてこい」

 中年の男に促され、メガネの男は立ち上がった。二人の男は連れ立ってアパートメントを後にした。ドアがバタンと閉められ、鍵が一人でにカチャリと閉まった。


 薄暗い部屋の中、青山輝之は天井からぶら下がったまま、ドアの閉まる微かな風圧に揺らいだ。部屋に再び沈鬱な静けさが戻ってきた。青山輝之は無言のまま、無礼な侵入者たちを見送った。


 しばらくして、机の上のスマートフォンが振動し出した。画面には『杉田愛奈』と表示されていた。青山輝之の元恋人である。彼女がどう言う用件で輝之に電話をかけてきたのかはわからないが、彼が発見されるまでそう時間はかからなそうである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る