第5話

ある日の朝、柴田は会社で本部長に呼び出されていた。

ここはIT関連会社では大手で、いくつか支社もある。

本部長クラスからは個室と秘書付きだ。

何度も本部長室に呼び出されたことはあるが、どこもただタバコ臭いだけの、狭い部屋だ。


たぶん今回の開発プロジェクトに関連する話だと、柴田は思っていた。

それでも彼の今後に影響してくる仕事なので、幾分の緊張感を彼はもっていた。

本部長室に行って、若い女性秘書に本部長の在室を確認した。

ノックをすると、「入れ」本部長のしがれた様な声がした。


ドアを開けて中に入ると、煙草の煙だ。本部長は仕事中でも煙草を吸うのか。

柴田は、そんなことを思つつ、部屋の中にゆっくりと入り、彼の顔を見ると

「まあ、座れ」とソファを指さし、本部長は、少し細身の体を、何とか重々しく見せようとしながら向かいの席に腰を掛けた。その頑張りが少しいじらしくも思える。


この業種は人の入れ替わりが激しいが、この本部長はたたき上げらしく、相当長くこの会社に勤務しているらしい。

彼に逆らうと、つるし上げを食うということだ。

彼に逆らった部長は、地方へ飛ばされたらしい。どこかは知らない。

どこか遠い所だ。雪の多い、寒い地方だということだった。

平社員が下手なことは言えない。


「失礼します」そう言って座ると、なんとも座り心地の良い柔らかなソファだ。

若い女秘書がお茶もって入ってきた。

本部長は早速タバコを出し、マッチで火をつけた。「マルボロか・・・」。

柴田はそう思いながら、彼が煙草に火をつけるのを黙って見つめていた。


「どうだ、部署の調子は」と、下品な目つきで彼を見つめ、本部長が聞いてきた。

彼は何と答えていいかわからず、答えに窮していると本部長は彼の緊張感を見透かしたように大声を出して今度は下品に笑いながら言った。

「そう緊張するな、リラックスしろ」

そうして煙草を一息吸うと、煙を大きく吐き出した。柴田は彼の吐き出した煙草の煙を煙たく感じたが、我慢した。柴田は煙草を吸わない。


「君にとってはいい知らせだ、柴田」そう言うと。本部長は少し優しく微笑んで、煙草の先を見つめながら、ゆっくりと言った。

「今度の君の部署の開発プロジェクトの件だが・・・、仕事はすべて君に任せようと思う。まあ、重要なプロジェクトだ。しっかり頼む。」


確かに、今の会社の現状から考えると、重要なプロジェクトになりそうだと彼は思った。だから尚更下手なメンバーでは取り組めないだろうとも考えてもいた。

「メンバーはどうするのです」

「それも任せる。全部君が部署から選んでくれ。君の所には若い優秀なのがいっぱいいるだろう」そう言うと、一口吸った煙草を灰皿に押し付けてもみ消した。


さすが本部長ともなると、煙草は一口吸って消してしまうのか。

彼がそう思っていると。ポッケトから煙草の箱を取り出し、彼に差し出した。彼は軽く手を振り断わると、箱から煙草を取り出し2本目に火をつけた。タバコの吸いすぎは健康によくないぞ。彼は言いそうになったが、つるし上げはご遠慮だ。黙っていた。


そうすると本部長が、急に厳しい顔になり言った。

「会社の今後に影響を与える重要なプロジェクトだ、よろしく頼む。」そして2本目の煙草をくわえたままゆっくりと立ち上がり後ろを向いた。

「はい」と一言答え、立ち上がり、部屋を出ようとした。

その時、本部長が突然振り向いた。

「そうだ。君、結婚したのか?」と聞いてきた。


柴田は内心、やれやれまたか、そう思いつつ

「はい」と面倒くさそうに返事をした。本部長が彼の顔をみながら、

「どこの誰だ、いい女なのかね」とニヤリとこれもまた下品に笑って聞いてきた。

柴田はどうこたえていいかわからず、

「それなりに」と返事をして、とりあえず彼女の仕事と年齢を答えておいた。

実際、彼は彼女がいい女だと思っている。

どこへ出しても恥ずかしくないと思っていた。


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