第3話 再会

 露木愛の葬儀も終わり平穏な生活に戻れるはずだった。露木家は悲しみにつつまれていたが、私の内気な友人荻原真一のショックも大きかった。無理もないことだった。彼女は最後まで真一に恋焦がれていた。彼も憎からず思っていたのだが、いかんせん優柔不断で煮え切らない態度は、結果として彼女を苦しませてしまった。


 私は落ち込む真一を慰めることしかできなかった。時間が解決してくれると思っていたが甘かった。露木愛の情念は想像を絶するもので悲劇的な事件を巻き起こしたのだ。


 それでは私の話を聞いてもらいたい。露木愛と荻原真一の妖しくも哀しい物語を。


 荻原真一の自宅はマンションの5階にあった。エントランスホールからエレベーターで5階に上がり共用廊下を通って504号室である。


 その夜、真一は帰宅するといつもの通り夕食、入浴をすませベットにもぐりこんだ。


 そして深夜。寝静まっているマンションの廊下にカツ、カツ、カツと不気味に響く闇からの女の足音……。それは504号室のドアの前で躊躇なく止まった。


 インターホンが鳴る。


 荻原真一は目を覚ました。こんな時間に誰だ。


 もう一度インターホンが鳴った。


 しかたなく真一はベットからおきだして玄関に向かう。


「どなたですか?」真一の問いかけに無言。


 もう一度確認しようとすると廊下から声がした。


「わたしです、露木愛です」


 はっきりとした澄んだ女の声。


 真一は驚いて思わずドアを開けてしまった。


 そこには長い黒髪に白いワンピース姿の若い女が一人。


 間違いなく露木愛。色白肌に潤んだような瞳。妖艶な美しさである。


「こんな時間にごめんなさい」


 彼女の病的な美貌に見とれていた真一は我に返った。


「いいえ……」


 露木愛のまさしくこの世のものとは思われぬような美しさ。


 荻原真一は催眠術にでもかけられたかのよに彼女を部屋に招き入れた。


 二人は部屋の中で無言で向き合った。露木愛は顔を赤らめてうつむいている。


「真一さん……会いたかったんです。どうして、どうして会ってくれなかったんですか?」


 口を開いたのは露木愛。上目づかいで真一を見つめる。


「いや……その……」


「わたし……わたしずっと待っていたんです。真一さんに嫌われてしまったと思って……それで……どうしても確かめたくて……」


 彼女の目から大粒の涙がこぼれた。


「愛さん……す、すみませんでした……嫌いだなんて……僕も……愛さんを……」


 不器用な真一は精一杯露木愛の一途な想いに応えようとした。


「真一さん……謝らないでください。もし、もし少しでもわたしのこと……」


「愛さん……僕は……」


 真一の言葉が終わらぬうちにその唇は露木愛のそれにふさがれた。


 荻原真一とて健康な一人前の男である。彼はその理性を越えて露木愛を抱きしめた。


「うれしい」


 彼女は真一の腕にしっかりと抱かれた。目を閉じて男の胸に顔をうずめる。


 真一は露木愛の身体の冷たさに驚きつつ彼女の長い黒髪を優しくなでた。


 彼の背中に腕を廻して身体をあずける露木愛。それは幸せそうな女の姿。


「……キスして……ください」


 真一は改めて脱力した彼女を強く抱きしめた。ゆっくりと顔を近づける。


 目を閉じて待つ露木愛。ゆっくりと重なる二人の唇。


 彼女の目から再びこぼれる大粒の涙。


「……離さないで……ください」


 長い接吻の後も露木愛は荻原真一にその身をあずけていた。


「……お願いです、離さないで」


「愛さん……」


「……愛って呼んでください……真一さん、お願い……」


 露木愛は甘えるようにささやいた。相変わらずしっかりと真一の胸に顔をうずめている。


「……愛さん……愛……」


 露木愛は再び荻原真一に唇を奪われた。彼女は拒むどころかむしろ悦びを持って彼を受け入れた。


「真一さん……わたしの、わたしの真一さん……」


 真一に唇を吸われながら彼女は歓喜に震えている。しかしなぜか彼女の身体は異常に冷たかった。


「お願い、離さないで」


 露木愛は何度も真一に懇願した。もはや彼女には彼しか目に入らなかった。真一も優しく彼女を抱きしめた。


 結局その夜、露木愛は荻原真一から片時も離れなかった。幾度も熱い接吻をかわし彼の腕に抱かれ髪をなでられ男の胸に顔をうずめ続けた。


 どのくらい時間がたったのだろうか。


「ごめんなさい、わたしもう帰らないと」


 露木愛は涙を浮かべて真一に告げた。


「……真一さん……また来ても……また来てもいいですか……」


 荻原真一は「もちろんですよ」と答えると彼女を強く抱きしめた。


「……うれしい……」


 露木愛と荻原真一の最後の熱い抱擁。


 そして病的な美貌の女性、露木愛は名残惜し気に帰って行った。


 翌朝、荻原真一はベットの上で目を覚ました。


「夢だったのか」


 露木愛はこの世にもういない。それは荻原真一も承知していた。それでは昨夜の熱い抱擁は何だったのか。彼の男としての欲望が露木愛として夢に現れたのだろうか。


 真一にはどうしても夢とは思えなかった。彼女を抱いた感触はしっかりと残っていたし、交わした会話も鮮やかによみがえる。露木愛の熱情の律動。男の理性を打ち砕いた情愛。


「やはり現実ではないはずだ」


 荻原真一は自分に言い聞かせた。だが彼は知らなかった。露木愛のすさまじいまでの女の情念。この世に残した強い未練。暗黒深淵を彷徨いながらも貫き通す真一への愛。もはや理屈では割り切れぬ。恐らく誰にも止めることはできないだろう。


 そして翌日の深夜。マンションの廊下にカツ、カツ、カツ、と響く女の足音。それは迷うことなく504号室の前で止まった。ひんやりとする周囲の空気。長い黒髪に白いワンピース姿の若い女。誰もが振り返るであろう美女。その女の周りには青白い炎が漂う。


 その闇からの訪問者、露木愛はゆっくりとインターホンを押した。満面の笑みを浮かべて。




 






 


 


 

 



 

 














 

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