第5話【説教と変容】

「痛ててて・・・・・・」

 離れに通されて荷物と腰を下ろす。ため息を吐くだけで全身が痛い。どれもこれもあの子のせいなんだけど、明日は間違いなく筋肉痛に悩まされそうだ。

 聞けばちゃんとした山道があって、更にそっちの方が時間も掛からないとくればなんかもう・・・言葉も出なかった。一周回って怒る気にもならず、挨拶もそこそこに一先ずはお風呂に入って服を着替えるようにと言われ、現在に至る。道中着ていた服は見るも無残な姿になってしまったので、預かると言ってくれた祖母に渡して、用意してくれた浴衣に着替えている。

「やっぱり全然覚えてないなあ、こんなに感じだったかな?」

 玄関や縁側も記憶より新しく感じる。障子の骨の焼け具合はかなりの年数が経って焦げ茶色だし、不思議な気分だ。十年近く訪れてないから色々と変わったんだろうな、と勝手に時の流れを感じそれっぽい感傷に浸っていた。

 部屋の中をぐるっと見回すと、梁の端に画鋲で留められた一枚の写真に目が留まった。座布団に張り付いた尻を引き剝がして見にいくと、この家の玄関をバックにした家族写真が貼ってあった。

 写真に写っているのは全部で五人。一番中心に座っているのが祖母、その膝に乗っかって両手を広げているのが多分僕。そして、祖母の左肩に手を置いているのが

「お母さん・・・・・・」

 服装も優しい笑顔も全部記憶のままだった。母を思い出すと胸に重い物がズシンと乗っかった様な気分になる。何故母だったのか? 他の人だったら良かったのに。もしそうだったならまだ僕は・・・・・・いや、だからどうだって言うんだ。

 今日何回目かのため息を吐いて写真に向き直る。

 祖母の右側に立つ男の人は誰だろう。背が低くてヒゲが濃い山賊みたいだけど、格好はアジア系民族衣装をごちゃ混ぜにした感じ。ごちゃ混ぜにした感じ、といえば昼間行った雑貨屋が思い浮かぶ。いやまさか、でも乱雑な雰囲気で想像出来るのはそこしかない。

 母の手をぎゅっと握っているのは女の子のようだけれど、これは多分と言うかまず間違いなくあの子だろう。くっきりとした目鼻立ちに太めの眉。目つきまで仕上がっている。あの子、鳴海がこの写真に写っているのならば、それはつまり幼い頃既に会っていた事になる。記憶の欠片にもないし僕と同じで覚えていないだけかもしれないけれど、だったら尚更教えてくれても良かったのに。

 リュックからノートを取り出してパラパラとページを捲る。様々な山、草花、道具、経験則、豆知識。途中から建築物の構造や名称に移って民族学と説話、神仏についての研究。最後のページには「人と人、人と物の繋ぎたれ」の一文で締め括ってある。僕の名前の由来。

「母さんの部屋だったのかな・・・・・・全然名前の通りじゃないよね」

「情けない」

「えっ」

 誰の声だ? 野太くしゃがれた声は続けて言う。

「名は体を為すと言うに、お主ときたらてんでなっておらん。まだ幼齢の時分の方がましじゃったわ」

 見渡せど姿は確認出来ず、渡り廊下にもいない。けれども明らかに声は部屋の中から響いていて、しかもかなり近い。

「ど、どなたですか?」

「そりゃお主が一番わかっておろうに」

「言ってる意味がよく分からないんですけど・・・・・・」

「・・・・・・この数年で変わってしまったのを母上はさぞ悲しむ事じゃろうて」

「は、母を知ってるんですか?」

「そうとも、良く知っておる。儂が作られた時からの事は全て」

 皆母を知っていると言う。さぞ僕よりも

「知り、書き記し、伝える。それが儂の存在意義よ。其れ片時も離れず、主の意を汲みて、時に語りて助する。呼ばわれば其れ即ち携わりて立つ」

「・・・・・・さっきから何が言いたいのかさっぱり」

「否。言葉の意味も儂が何かも、そして何処に居るかも既に理解しておるはず。例え幾年が過ぎ去り離れていたとしても魂に刻まれ、失われることは無い。ただ、忘却しているのみ」

「僕は・・・・・・」

 幼い頃の記憶には違和感があった。保育園に通っていたはずだけど、友達だった子の名前が思い出せない。小学校に上がってからは友達と言える友達は出来なかった。だったら僕は誰と遊んでいたのか? もしくは何と遊んでいたのか?


『人と人、人と物』


 真意を聞く前に居なくなってしまった母の言葉。それが生きていなくても、例えこの世の物とは違う存在だったとしても・・・・・・?

導かれる様に自然に動いた手は開いたノートを裏返した。

「うわわわわっっっ!!!」

 表表紙の真ん中からこちらを見つめるくすんだ浅緑色の目に、思わず叫び声を上げた。



 その少し前、居間では鳴海が泣きそうな顔で正座し、その目の前にはセツが鬼の形相で仁王立ちしていた。

「申し開きする事はありますか」

「・・・・・・な、ないです」

「叱られると分かっていてどうして隠そうとしたのですか?」

「それはその・・・・・・つい魔が差したと言うか」

「つい、魔が差したと」

「いや、そのほら、驚かせようと思ったみたいな。折角の再会にはサプライズが必要かなって」

「サプライズですか」

「サプラーイズ・・・・・・すみません冗談ですごめんなさい」

「はぁ・・・・・・その気持ちはありがたいですが、普通に連れて来ても私は嬉しく感じましたよ。鳴海、あなたが連れて来てくれた事には感謝していますし、連れて来たのがあなただったのもとても良い事だと思います」

「じゃあ」

「それとこれとは話が別です。あんな危険な場所を案内して二人に何かあったらどうするんですか? 重之が病院送りになった事を忘れたんですか? 全く、あなたにはがっかりさせられるのは何回めですか」

「でっ、でもゲンさんは自分から入って行ったし死んでないし!」

「見苦しい言い訳はよしなさい。あなたには罰として一週間廊下と池の掃除、塀の修理を命じます」

「嘘嘘嘘! あれ無茶苦茶大変なのに! お願い! せめて廊下だけにして!」

「いいえ、もう決めました。きちんとやれていなければ更にあの場所の貼り替えもしてもらいます」

「やります、やらせて頂きます」

「宜しい。ところで鳴海、他にも何か話したい事がありそうですが、聞きましょうか?」

「あ・・・・・・あいつが持ってるの間違いないよ。もう長くないと思う」

「そうですね。そろそろかとは思っていましたが、これも縁でしょう」

「知ってるの?」

「昔馴染み、とは少し違いますけれど懐かしい方です。燈が作り、継に譲り渡した物です」

「・・・そっか。あんな柔らかい雰囲気、初めて見た」

「知ってか知らずか・・・あの子はどうしたって燈の息子だと痛感しますよ」

「やっぱり居なくなって悲しい?」

「まだ昨日の事のように思い出しますけどね、多少は慣れるものです」

「たまに写真眺めてるの知ってるよ。あ! 覗き見したんじゃないよ!? たまたま! ほんとに偶然見かけただけ!」

「はいはい、別に隠してる訳でもないですから気にしませんよ」

「それとお婆ちゃん、もう一個大事な話が」

「何?」

「あいつ、本殿に入ろうとしてた。遥拝場の方から」

「・・・・・・詳しく教えなさい」

「初めから見てた訳じゃないからどんな流れかはちゃんと聞いてないよ」

「知ってる部分だけでいいから細かく話して」

「えっと、私が来た時は丁度こんな感じで前に手を突き出す動きをしてて、ただの参拝客かなと思って気にせず立ち去ろうかとしたんだけど、なんかほら、違和感? があった気がしてもう一度見たの」

「それで」

「よく見たら伸ばしてる腕の肘から先が無くて。手を自分の顔に近づけて何か確認したかったのか知らないけど、その時は腕がちゃんと付いてた。だから何かに巻き込まれてるなってすぐに分かって、あいつの前を見たの・・・・・・何て表現したらいいかな。空間が無かったっていうと語弊があるか、焦点が合わない、とも違うし・・・・・・眼鏡って感じ?」

「眼鏡?」

「そう、そうだ、見えないけど大きな眼鏡とか望遠鏡がそこに置いてある感じ。歪んでるって言い換えてもいいけど、あいつの前に奥の景色が拡大されてそこにあった。ぬるっとした感覚じゃなかったから悪い物だとは思わなかったけど、あいつが何かに呼ばれてるんじゃないかと思って引き戻した」

「継はなんて?」

「鈴が聞こえて、白い服の人がいた気がして、門があったって」

「・・・・・・」

「どうなってるの? あいつ一体何なの?」

「ありがとう教えてくれて・・・・・・やはり只の気紛れに過ぎなかったという訳ね。きっと分かってやっているのでしょうが、戯れにも程がありますね、あの方々は」

「ねえ、いつものはぐらかしはいいから何が起きてるのか教えてよ」

「少し込み入った話で、いずれあなたにも話さなければならないとは思っていました。ええ・・・・・・その時が来たのかもしれませんね・・・・・・あの子がこの土地を訪れたのも先程のあなたが見た事象も、全ては二十七年前から始まっているのです」

「二十七年前?」

「そうです。いいですか? 今から話す事は、私が良いと言うまで継には秘密にしなければいけません。約束出来ますか?」

「・・・・・・約束します」

「もし破れば今後一切この山に立ち入る事も禁止します。いいですね」

「・・・・・・分かりました」

「よろしい・・・・・・・・・・・・ふぅ・・・・・・今から二十七年前、私がまだ師の背中を追いかけていた頃、とある宮司から依頼がありました。その宮司と特別親交があった訳ではありませんでしたが、今後の仕事のコネを作っておくのも必要だと内容も碌に聞かず安請け合いしてしまったのです。委細は長くなるので省きますが、その仕事は正に凄惨の一言でした。それを発見するまでに四人、捕縛するまでに八人、ここに運び込むまでに三人。計十五人が犠牲になりました。残念な事に師もそのうちの一人となってしまいましたが、その甲斐もあってそれを囲い込む事に成功しました」

「お婆ちゃん、それってもしかして・・・・・・」

「ええ、あなたが考えているのと同じものです。本来ならばそこで依頼は完了するはずでした・・・・・・」

「完了しなかったの?」

「そうです。いえ、むしろそちらの方が依頼の本質だったと言っても差し支えないでしょう。恐らく依頼主である宮司はそこまで見越して依頼してきたのでしょうが、当時の私はそれを見抜く事が出来ませんでした」

「その本質って?」

「そう焦らないで、あなたの悪い癖ですよ。まあ、そうですね・・・・・・あれを追っている最中に燈と出会いましたが、とても良い出会いだったとは言えませんでした。何故なら・・・・・・彼女は」

「(離れの方から響く叫び声)」

「・・・・・・でもそれじゃ一体どうやって」

「鳴海、見てきてちょうだい」

「え? でも話は? こんな中途半端な所で終わらないでよ」

「この話も大事ですが、それよりあの子をこっちに連れてきて事情を説明する方が先です。明日、きちんと時間を作りますから」

「でも」

「鳴海」

「もうっ・・・・・・明日絶対だよ!」

「ええ勿論・・・・・・鳴海」

「何?」

「あの子と仲良くね」

「んー・・・・・・努力はしてみる」

「ありがとう」



 叫び声を上げた後、僕はその『目』と一定の距離を保ちつつ睨めっこしていた。

「な・・・・・・何これ。こんな機能ついてたっけ」

「儂を機能とか言うでない、不敬だぞ」

「ドッキリ・・・・・・にしては雑な?」

「なんかお主・・・・・・可愛げが無くなったな。昔はもっと純粋だったはずだが、反抗期というやつのせいか」

 勝手に人を馬鹿にしてくる間にも、喋る目は忙しなく動き回ってはこちらを見つめを繰り返す。一応瞼もあるようで時折閉じようとしているけれども

「くっ、ぬっ・・・・・・ぬぁ・・・・・・ふう」

 相当苦労していた。人間なら目薬の一つでも差してあげたい所だけど、本に目薬は劣化に直結しそうだし、第一効くのか怪しい所だ。指で上からなぞってあげればすんなり閉じれそうなものだけど、それだと外国の映画とかで良くある誰かが死んだ時にするあれみたいになるし不謹慎だろうか。

「何を考えておるのか大かた予想はつくが、手伝ってくれても構わんぞ?」

「いえ・・・・・・遠慮しときます」

「そう言うな、普段から儂を丁寧に扱ってくれておる事に感謝しておる。じゃからそれくらい片手間ではないかと儂は思うのだが」

「感謝の気持ちが厚かましいですね」

「はっは、そりゃあ物は作り手に似るのが常よ。そして使われる内に性格の機微が備わっていく。その辺りは人の子と然程差は無いと言えるか。即ち、儂とお主は兄弟になるのだろうな」

「意味がわかんない」

「そう恥ずかしがらずとも良いではないか。一昔前は転げまわる程喜んでおった癖に」

「そんな事した記憶無い」

「で、あろうな。詳しくはあの老嫗に聞くといい」

「祖母が何か隠してるって事?」

「む? これはあれか、成る程。ふうむ・・・・・・」

「ちょっと勝手に一人で納得して考えないで教えてよ」

「いや、これは儂から話すことではなかった。すまんが忘れてくれ」

「そんな」

「兎に角暫し待て、急がば回れ、急いては事を仕損ずる。これ肝要なり」

「いい感じで締めなくていいから」

「ああもう全く、本当に捻くれた餓鬼に育ちおってからに」


 彼(?)なりにため息を吐いたらしく、風に靡く様にページの端がペラペラと捲れている。僕も一旦息を吐いて落ち着きを取り戻す。

ここでやっとこの奇妙な状況に何故か「しっくり」きている自分に気が付いた。理由は僕だけが知らない、忘れているけど皆知っている、誰も教えてくれない事実。島根の人々は匂わす喋り方が流行りなのか。思い返せば島根に着いてから終始はぐらかされっぱなしだ。交番でも知らんの一点張りだったし、東京よりタチが悪い。

 手がかりを探そうにもノートはずっと瞬きに四苦八苦してとても近寄り難い。

「んっく、むう。ふっ! しかしこうも瞬きに手間取るのも難儀だな。どうしても手伝わんのか?」

「・・・・・・心の準備がまだ必要みたい」

「強情なやつだな・・・・・・仕方あるまい」

「何するの?」

「いいから黙ってそこで見物しておれ、さて」

 意気込んだや否や、彼が爆発しそうな勢いでブルブルと震え出し(!)、背の地の方がウニョウニョと膨張し始めた。瞬く間に元の大きさの三倍に膨れ上がると今度は左右に伸び始め、やがて煤けた白い手へと変形した。同じ要領で足が生えてのそのそと立ち上がり、まだ形が安定していない服を見やるとその場で宙返りをして綺麗に着地。何処から出て来たのか丁度良い高さの杖まで持っている。

 長着に羽織、袴と雪駄を履いた出で立ちに、頭の部分に本が乗っかった頓珍漢なものが出来上がった。

 袖に付いた埃をパタパタはたき落とし、こちらに向き直って自慢げにほくそ笑んだ。

「儂は九十九。付喪神でもあり妖怪変化の類でもある。ここに連れて来た事心より感謝するぞ継」


 僕は足元の座布団を抱き寄せ、ただただ彼の変容を呆然と眺めていた。

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