第10話 一通の手紙から始まる不穏
目を覚ますとデスクに一通の手紙が置いてあった。
差出人は不明。
手に取ると紙からは香水の残り香のような華やかな匂いがした。
『ヴィル・ファンダイク殿へ
たとえ機械でも直せないものがあるのじゃ。お主ならわかるだろう?
早めに引き上げるか元凶を取り除かない限り、お主もわしも損するからな。
もしかしたら届いている頃には遅すぎるかもしれんがの。
生き残っていることを願っておるよ』
「なるほどな……」
文面は明らかに警告だ。
この世界で機械というと、おそらくメカニックラビットのことだろう。
直せない、ということはダンジョンのメカニックラビットが減るということか。
なぜ、この手紙が俺のところに来た?
確かに兵士を派遣しているのは俺だし、メカニックラビットを討伐しているのは兵士たちだ。
しかし、ダンジョンの問題ならまず、管理人のイレリアの元に話が行くはず。
「聞いてみるしかないか」
軽く身支度をして、俺は一人で『ヘカテ』に向かった。
☆
相変わらず、『ヘカテ』の店内は寂れた外観とは対照的ににぎわっていた。
「イレリア、この手紙なんだが」
「読んでくれたかしら?」
「イレリアから? だったら別に……」
「違うわ」
彼女は首を横に振る。
「ルートは詮索しない約束でしょ」
「……なるほどな」
裏ルートづてで届いたのか。
イレリアの情報ルートに口出ししないというのがダンジョンを解放する時に決めた誓約だ。警戒感はあるが、今はこちらから動くことはできない。
手紙の内容を伝えるとイレリアは少し考え込んでいた。
「──今までずっと閉鎖していたからねぇ。解放した後のことはまだ不明な部分が多いんだよ。それにそもそもダンジョン内のモンスターは倒されても、コアがある限り魔力が循環して再出現するはずよ」
「コアに異常があるんだろうな」
ダンジョンコアはダンジョンを形作る基礎にして魔物が生み出される母体だ。このコアの存在によって魔力は循環し、魔物が生まれ、殺され、魔力に還る、独自の生態系を形成している。
通常、ダンジョンコアの付近にはその生態系の頂点に君臨するダンジョンボスが生息しており、コアを外敵の攻撃から守っている。
「兵士たちはコアに近づいていない。無駄死にするのが分かっているからな」
基本的にボスのレベルはダンジョン内のどの魔物よりも高い。メカニックラビットとの1対1でも時間がかかるような兵士たちは本能的にダンジョンの奥へ進むことを避けていた。
「あのダンジョンは特別なダンジョンさ。想定外のことは起こりうる。気まぐれな子供みたいなもんさ」
「じゃあ直々にあやしてやるとしますかね」
立ち上がろうとした俺の前にウイスキーが滑ってきた。
「一杯だけでもいいから飲んできな。疲れた顔してる」
「だが……」
「いいから。酒がもったいないぞ」
目の前にグラスが差し出される。
俺は小さくため息をつくとグラスを受け取り、口をつけた。
俺が座りなおしたことを確認するとイレリアは自分用のグラスを取り出してウイスキーを注ぎ始める。
「貴族だかなんだか知らないけどね、あたしもあんたも同じ人間。休息は必要さ。あんた昨日、椅子で寝てただろ? 身体が限界に近づいてるんだよ」
カラカラと氷が鳴る。
「なんかね。その姿見てたらあんたの性格が分かってきた気がするわ。あんた、集中しすぎて休憩忘れるタイプでしょ。休憩忘れて、思い出した頃にはタスクが増えてて休まないまままた動いて、休息を忘れる。そんな感じじゃない?」
「……半分あたりだな」
「半分かあ。どのあたりかしら」
ちなみに斉木アラタとしてだったらおおむね正解だ。
必要以上の仕事を与えられ、夜明けまで残業してこなし、また始業から新しい仕事が与えられる。そんな社畜生活を続けていた。
ただヴィル・ファンダイクとしての俺だったらそれは性格の内の基礎的な部分でしかないように感じる。
「やらなければならない仕事が単純に多くて休む暇がないだけさ」
「あたしと同じこと言ってない?」
「最後まで聞け。ただ、そのやらなければならない仕事ってのに人命が絡んでくるんだよ。俺のために働いてくれている人たちだ。俺はその人たちを守る責任がある。休んでいる暇がないんだよ」
斉木アラタとヴァン・ファンダイクの一番の違いは立場だ。
俺はもうただ社畜として働いていればいい一般人じゃない。俺の一挙手一投足で人の命を左右する立場なのだ。
俺が生きながらえるための行動でも俺はその行動に付き添う人々の命も背負う責任がある。
「貴族ってのは案外大変なものなんだな」
「だからこそ、ここにいるときは休みな。一人の人間としてさ」
そう言うイレリアの笑顔がまぶしかった。
グラスを傾けた瞬間、勢いよくドアが開かれる。
「おい! マスターはいるか!? 勇者が来てやったぞ!!」
寝起きにステーキを出されたような光景に、俺は深くため息をついた。
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