昭和のショートショート 遠き花火

阿賀沢 周子

遠き花火 

 遠くで、打ち上げ花火がはじける音がする。曾祖母を背負った早坂博康は、転ばないように慎重に足を運んだ。月明かりがあるといっても、木々に囲まれた夜道は暗かった。

 家の裏道を栗林へ向かう。湧き水が流れる小川の、細い板切れの橋を渡ると上り坂だ。

 7月の末、中空知のこの村にも夏らしい暑さが訪れた。例年、この数日だけが、川遊びをしても鳥肌が立たない北国の真夏だ。月が明けると風の気配は秋になり、イルムケップ山から流れてくる水は冷たさを増してくる。

「ひろ、大丈夫か」

 曾祖母のかちの声がした。

「おばあ様、この林を過ぎて、隣の田んぼの畦道を通ると花火が見えるはずです」

 かちは、重くはなかった。15歳の博康にとっては、スキー授業の荷物よりよっぽど軽く感じられた。

「すまんのう、我儘いって」

「おばあ様、僕も見たかったから、ちょうどよかったのです」

 ボタンの花柄の、銘仙の夏掛けをかちに回しかけて負ぶっていた。

 早坂家はこの寒村の中では、裕福な暮らしのほうだ。曾祖母のかちについては、実母が内地、東北地方の伊達藩ゆかりの豪農の娘だったこと。母親が早くに亡くなったあと、後妻に疎まれ、13歳の時油問屋の早坂家へ嫁いだということ。仙台の大火で二度焼きだされ、一族で、この地へ渡ってきたということなど、大まかなことしか聞かされていない。

「おばあ様、もう少しですよ」

 博康は、隣家の田の畦道に入った時、かちに伝えた。


 かちは膵臓がんだ。小暑のころ、病院を受診した時には既に手の施しようがなくなっていた。医師はなぜもっと早く受診しなかったのか、と家族に問うたが、かちの勝気が災いしてか、本人が便所に立てなくなるまで、家族は何も知らなかったし、気づいてもいなかった。

 早く受診したとしても、それだけ入院生活が長くなるだけの話だと、かちは自分の病の行く末を承知していた。診断が下ってからも、入院せず自宅にいると、意を通した。

 この数日は食事もままならず、見るからにやせ細ってきている。昨日、博康を寝室へ呼んだ。

 かちは寝具から抜け出し、縁側にちょこんと座り日向ぼっこをしていた。

 幼い子どもかと思うほど小さな姿だった。

「ばばの頼みをきいてくれんか」

「なんですか」

「明日の花火を見たいちゃ」

 どうして、と訊きそうになって、博康は口をつぐんだ。いつも、かちが何か云う時は、決定事項を伝えるだけだというのもあるが、何か手伝いをすれば、多めの小遣いをくれるのは魅力だった。

 幼い時は、両親と空知川沿いで開かれる花火大会へ何度もいった。中学へ入ってからは博康が、家族と行くのを避けていたが、かちと行った記憶はない。博康が物心ついてから、かちが花火大会へ行ったことも行きたいと言ったこともないのではないかと気づく。

 曾祖母の世話は、下働きの小女がしていた。小女は、かちの夕餉を準備すると自宅へ帰ってしまう。

 父も母も村落の仕事や農作業に忙しく、かちの望みをかなえるのは博康しかいなかった。

 夏休み中、博康は独りで過ごすことが多い。この村で産まれたのだが同級生等とは幼い時から馴染めず、友人と呼べる相手はいない。

 小学の低学年の頃、かちを『おばあ様』と呼んで級友のからかわれたことが原因だろうか。家族全員が『おばあ様』と呼んでいたが、世間の祖母等は、『ばあば』か『ばあちゃん』あるいは『おばあちゃん』と呼ばれていた。

 指摘されて、幼いころから使っていた呼び名に違和感を覚えたが、呼び方を変えるより、同級生と過ごさない方を選んだ。家の掟のほうが強力だったのだ。

「街まで行くの?」

「いや、その辺から見えないか」

「隣の家だったらはここより高いし、少しは見えると思うけど」

 博康は自信がなかった。

「ちょっといってみるちゃ」

 父母は夏祭りの会場へ行って不在だが、内緒だからと約束させられた。

小遣いを弾んでくれるというだけで、引き受けたわけでもない。「頼む」と言ったかちの眼は少女のように澄んでいて、少しばかり元気になったようにみえた。断りきれなかった。


 南東の空が一瞬明るくなって、くぐもった花火の音がする。畦道が途切れ風よけの林を抜けると、隣家の生活道路に出た。

 砂利道を渡り庭のへりの生垣に沿って進む。時々隣家へ目をやる。垣根の隙間から窓の明かりは見えているが人の気配はしない。二階から花火を見ていたとしても、生垣のイボタノキの細かい葉叢が目隠しになってくれるはずだ。

 花火の音がする前に、町の方角が明るくなるがまだ姿を見せていない。にぎやかな虫の声が博康の歩みに合わせて止まり、通り過ぎると始まる。

「おばあ様、見えました」

 生垣の端から、遥か遠く丘を切り込んで作った国道の上に、大輪の花火が扇型に見えた。遅れて音が来る。

 かちに見えるよう、体を斜めにして次の花火を待つ。

「おばあ様、丘の右側にみえますからね」

 花火が上った。青、朱色、白色と輝きは変化し、消えて黒い闇と煙が残る。

「ひろ、見えたっちゃ。ここの花火をはじめてみたっちゃ」

 かちの、はしゃいだ声が聞こえる。

「はじめてなの? おばあ様」

「小さい時、仙台の花火は見たよ。ここへ来てからは、今日がはじめてだちゃ。一度は見たいと思っていたっちゃ」

 なぜ今まで見に行かなかったのか、とは聞かなかった。かちの気丈さの何かが行かせなかったかもしれないとぼんやり思った。しかし、初めてならそのままの大輪を見せたかった。

「おばあ様、来年は僕が会場へ連れて行くよ。大きいのを見せるよ」

「これで充分。満足だちゃ」

 かちは花火が上がる度に、声をあげた。

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