ティアドロップ;オンステージ~Episode of AMEDAMA~

だいこん

第0話 歪な歯車は正確にずれていく


 かち、かち、かちと、壁掛け時計の秒針が静寂に時を刻んでいた。


 暖色系のあたたかみのある壁に木製のテーブル、椅子。窓辺に飾られた瓶には一輪の花が生けられ、ガラスで区切られた水面が陽の光を反射してきらめいている。


 指摘されなければ、ここを取り調べ室だと思う人間はまずいない。


 透けるガラスの表面にうっすらと室内の様子が映し出される。テーブルを挟んで二人の女性が着席すると、耳心地のいい清らかな声が響いた。


「すみません。今日は人が多いようで、ここしか空き部屋がありませんでした」


 黒を基調とした着物は袖や帯にレースがあしらわれ、身に着けた手袋までを上品に飾り付けている。居住まいは堂に入ったものこそあれど威圧感はなく、身に纏う雰囲気はしとやか、かつ心を許してしまいそうな包容力さえ帯びている。


 栗色の髪は長く、あでやかに。その隙間から生える一対の角は彼女――シオンが、亜人種と呼ばれる種族である事の証明だ。


 みやびやかな装いに身を包んだ彼女は翡翠ひすいのように深い、緑色の瞳を相手に向ける。


「別に……腰を落ち着けられるなら、どこでもいい」


 対面に座した彼女は長い足を持て余すように小さく曲げて座り直し、


『頼まれた作業もひと段落したトコだしなぁ! あーあ、オレちゃんも疲れたぜ、っと』


 陽気な声がほんのりと艶気つやけを感じさせる声をかき消してしまう。部屋の隅に設けられた止まり木には、その身を漆黒に染めた黒鳥が羽を休めていた。


「午前のお仕事、お疲れさまでした――タオジェンさん。ミゼリアさん」

「……どうも、ありがとう」


 淡雪のような白から、桜を思わせる桃色へグラデーションした髪の毛がもてあそばれる。黒のワンピースはスカート丈が短く、シースルー素材によって透けて見えるデコルテと背中がなまめかしくも美しく肢体したいを際立たせている。


 しかしその存在感が淡く、儚いものに感じられるのは、物憂げな表情を浮かべているせいだろうか。


 席に着く彼女らを横目にあくびがひとつ、タオジェンの口から漏れ出て行く。まるで人間のようですね。シオンの呟きに一言、「そうね」と相槌あいづちが返ってきたところで話題が切り出された。


「あなたがギルドに自首してから、今日で三十七日目です。自身の魔法で人を操り、住民に迷惑をかけてしまった」

「……そうね。以前、あなたに話した通り」

「ですが普段、および奉仕活動中を含めて見ても、ミゼリアさんの態度は極めて良好です。与えられた仕事を整然とこなし、感謝をされた事さえある。……直近では家族経営のお花屋さんから、特にお子様から喜ばれていましたね」


 ミゼリアにとって記憶に新しい出来事だった。


 三日前、その店の従業員であり、一家の父にあたる男性が作業中に怪我をしてしまった際、ミゼリアは補充要員として駆り出されていた。


 異世界で罪を犯した者は騎士団の人間、あるいはギルドの職員監視の下で、街の奉仕活動等に無償で従事する事が定められている。期間も内容も罪状によりけりだが、積極的に人と接するような仕事が与えられることは多くない。


 にも関わらず、ミゼリアに白羽の矢が立てられたのは、彼女の誠実な態度と人柄を買われての事だった。彼女なら立派に務めを果たせると思います。職員が多忙な業務に追われる中でされた進言は、はたして良好な結果をもたらした。


「サジに何か言われたの?」


 わずかに開放された窓から吹きこむ風が生けられた花を揺らす。


「あなたがわたしの事を気に掛けてくれているのは気付いてる……でもそれは、ここで働く者としてどうなのか疑問に思う時があるの」

「平等性に欠けるから、でしょうか?」

「……贔屓ひいきが過ぎたせいで、悪目立ちするのは避けたいから」


 シオンは顎先に指を当てて思案し、


「たしかに。ですが報われるべきかたが報われないのは、公正とは言えません。平等よりも、私はそちらを尊重したいのです」

「……善悪じゃなくて、好き嫌いで物事を判断しているの?」

「時と場合により――というお返事では、お気に召しませんか? 一応、比率も考えているのですが……」


 淡い微笑みを見てミゼリアはなかば確信した。おそらくではあるが、やはりミゼリアを気に掛けてくれるよう、サジがシオンに頼み込んだのだろう。


 通常であればそんな横暴がまかり通る訳はないのだが、シオンは傍目にもわかるほど優秀だった。己の業務はもちろんの事、他者との連携のすり合わせにも余念がなく、さらには人当たりも良いので街の住民からの信頼も厚い。


 実力、信頼、そしてそれらに裏打ちされた実績が、ギルドの受付に過ぎない彼女に越権的な力を与えていた。


 それでよくギルドの職員が務まるものだ、平等さが何よりも重要な仕事だろうに――ミゼリアのため息に嘆きと納得とが入り混じる。そういえば、まだ肝心な事を聞いていなかった。


「……シオン、そろそろ休憩時間が終わりそうなのだけれど。あなたはいったい、何の為にわたしを呼び出したの……?」


 秒針の音が結論を急がせる。しかしシオンはゆったりと頬杖をつき始め、


「時間の心配なら必要ありません。ミゼリアさんのお仕事は他の方に替わって頂きましたから」

「……どういう事?」

紅白べにしろなづな――という子は知っていますか。ミゼリアさんが転移者をけしかけた、『星の踊り場』という店で働いていた女の子です」


 彼女はいったい何の話をしているのだろう。


 湧きだした疑問を吐き出すより先にミゼリアは「……女の子の方は知らない。でもお店なら、一度訪れたことがある」と答える。端的かつ正確に、今のシオンは、余計な情報を欲していない。


 そうして次に語られたのは、シオンが知っている限りの紅白なづなという子に関する情報だった。


 マスカルーナという街に住む転移者で、一度だけ接触した経験がある事。頭に血が上りやすい性格だが、根は素直な子である事。大まかな服装、外見的特徴――情報量はさほど多くなかったが、語られた事柄はすぐ頭の中に刻まれた。


「今から口にするのは、ただの独り言」


 ゆえにこれは、意図的に情報を漏洩ろうえいしているわけではありません。

 言外に含まれるニュアンスを、ミゼリアは姿勢を正しながら読み取った。


「先日、なづなさんの親だと名乗る方々が私の下を訪ねてきました。三十代前後の男女で、本当に親なのかはまだ不明です」

『確かめようがねェもんなァ。転移者たちの住む世界での関係性なんてよ』


 異世界に存在するギルドと転移者たちの住む世界に存在する役所は、性質的に似通う点がいくつかあれど、備えている情報には大きな差異がある。


 転移者個人の情報ならまだしも、転移者同士の血縁関係や戸籍上の繋がりなど、間柄については把握できていない事の方が多い。転移という事象を挟む分、証明が難しく、複雑な手順を踏む必要があるからだ。


「親をかたる赤の他人という可能性もあるけれど、そうして何の意味があるのかしらね……」


 考えても詮無せんなき事かと片付けて、ミゼリアは視線を送り話の続きを促した。


「心当たりがある以上、この件を放置しておくことは出来ません。なのでまずなづなさんに確認をとり――可能であれば三人に対し、事実確認までを行いたいと考えています。本当に親であるという可能性もありますから」

「……そうね。そうした方がいいと思う」


 単なる相槌ではなく、心からの言葉だった。同時に必然的にと言うべきか、ミゼリアの脳裏には彼女の弟である、サジの顔が思い浮かぶ。


 親が先に、いで子供が異世界に転移を果たした。


 そんな事もあるのかと内心驚きを隠せなかったが、家族と離れ離れになる寂しさを知っているミゼリアにとって、今耳にした話を聞き流すような真似はできなかった。


『ってこたぁオレらがやんのはァ……アレ? ナニすりゃいいんだ?』

「お二人には私の付き添い兼ボディガードをお願いしたいのです。万が一、何かトラブルが発生しないとも限りませんし」

「……散々引っ張っておいて、随分と物騒な役目を押し付けてくれるのね」


 憎まれ口を叩きつつも、語気に含まれる感情は前向きなものだった。


 罪を償う身である以上、拒否するという選択肢は最初から存在しない。自分の仕事が他人に任されたのも、この件を見越したうえでの計らいだろう。


 成すべき事を成す為に、指針が固まればあとは行動に移すのみ。何人かの職員に連絡を告げて、シオン達はギルドを後にする。


「そういえば……そのなづなって子の両親は今、どうしてるの?」


 道中、ミゼリアの問いかけにシオンは正面を向いたまま、


「王都で待っているので、今から迎えに行きます。はぐれないでくださいね、お二人とも」

『ハイヨォ! ハハッ、オレちゃんだけおてて繋げないのがザンネンだぜ!』

「……ピクニックに出かける訳ではないのよ、タオジェン」


 弾んだ声が賑やかに二人の耳を震わせる。

 ではおやつは何にしましょうかというシオンの言葉に、ミゼリアは小さくため息をついた。

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