3 案内

「ヨシッ! じゃ、キミの名前教えてちょお」

遠藤えんどうです」

「え? めっちゃ面白いね」

「名乗っただけですけど……」

「細かいことは、まー置いといて。わたしは稲葉いなば。コレもある種の縁やね」

 私が訪れた旅行先――郡上ぐじょうの地で、無頓着に話しかけてきたのは稲葉と名乗る女性だった。彼女は快活さが魅力的で、かつ愛知と岐阜の方言を合わせたような口調が、より陽の属性を感じさせた。

 ほどなく稲葉が、小手をかざして頭上を見上げる。

「んじゃまず、ランドマークな城について教えたげる。ホラ、こっち来てみやあ」

 天守前てんしゅまえ広場。稲葉に手招きされるまま、ベンチが数脚設置された突き出しの眺望スペースへ移動し、柵の手前から郡上の町を見渡した。眼下のリアルタイムなジオラマの中に、この町を象徴する川が見える。

 まさに絶景。率直な感想を口にしようと、その横顔に目を移すと、

「遠くまで見えるでしょぉ」

 ショートをなびかせながら、表面で薄い笑みを浮かべていたが、そのくっきりとした目元と、瞳の奥には、言い知れぬ煩悶が窺えた。自然の広大さに面食らった時、ふと生まれる虚無感によって、自らのちっぽけさを感じていたのだろうか。憂いのあとに彼女が見せてくれた笑顔は、素直な感情には到底――

 出逢ったばかりの女性をジロジロ見るのは控え、私は慌てて郡上八幡を遠望した。

「こっから見える西側――街並の向こうに小駄良川こだらがわがあって、その山の向こうには長良川ながらがわも流れとるよ。ほんで南には町と町の間を吉田よしだ川が流れとるんやけど、川自体が城の外濠そとぼりとしても機能しとったんだわぁ」

「川を渡る必要があるから、攻めるのが大変だったんですね。でも、城の裏手から敵が来ちゃうんじゃないですか?」

「んだで、尾根おね堀切ほりきりを作ったんだわ。簡単に言やあ、山道をスパっと切ってまうの。ほいで搦手からめて――つまり城の裏手からの攻撃にも備えてたってわけ。ちなみに、この下の駐車場も元はおっきな堀切だったんやと」

「山も天然の要塞なんですね」

「そそっ。戦において縄張なわばりは大事やから。戦国時代までに作られた城――いわゆる中世城郭じょうかくは、ほとんど山城やまじろだったんやお。ここは近世城郭やけど、そのルーツと言われとるんが、ほら小牧山こまきやま城」

「小牧市ですか。意外と身近なところですね」

「あそこ、信長さんが本格的に石垣を使って築城したトコなんやと」

「へえ、知らなかったです。なんか、ちょっとずつお城に興味が湧いてきました」

 今と昔を見比べるのは、城を楽しむひとつの醍醐味である――と稲葉は続けた。確かに名古屋城も二の丸が体育館になっているし、今昔に風情が乗っかる現代ならではの楽しみ方かもしれない。

「ほいじゃ、郡上八幡の二時間パック行く? んふふ」

「え、そんなに……」

「そりゃあ天守で学んだあとは、搦手からめてに回って堀切ほりきり岸剱きしつるぎ神社に行ってかく。あとやっぱ、東軍同士が激突した、世にも奇妙な関ヶ原の戦いをおぼわるんには、まず赤谷山あかだにやま城跡じょうせきも――」

「あっ……! ビ、ビギナーなので天守だけで大丈夫です!」

「そぉ? んじゃまあ、楽しんできやぁ」

「え? 稲葉さん、登らないんですか?」

「え? わたしは靴脱ぐのめんどいからええよ」

 稲葉は、穿いているタイツと同じ色のトレッキングブーツを指差しながら、ヘラヘラと笑いかけてきた。地元民がわざわざ登城しないのも道理である。あくまで天守は、『観光地』なのだろう。

「土足でOKっぽいですけど」

「あ、そうだっけ? ふふっ、まあ大垣おおがき城を参考にした、。ゆっくり堪能してきやぁ」

「最古のお城なんですか?」

「違う違う。のは、犬山城いぬやまじょうやけど――」

「ん? じゃあ、天守を再建したのが古いってことですか?」

「それも違う。だと、白河小峰城しらかわこみねじょうが最古やお」

「えぇ? え、あぁ、なるほど! 解説ありがとうございました」

 自分で聞いておきながら頭がこんがらがってきた私は、話を終わらせるように首を垂れてしまった。

「今、テキトーに返事したでしょぉ?」

 一方、稲葉は流し目で微笑みながら手を振り、軽やかに石段を下りていった。随分と風変わりな歴女だったが、お別れは少し物寂しかった。

 気を取り直して、今度こそ郡上八幡城の攻略開始! と息巻いてみたが、売店横で入城チケットを購入したため、攻城気分は観光気分に上書きされてしまった。


 城内は木造建築の独特な香りが漂っており、城や合戦、また郡上に関しての資料が数多く展示されていた。歴史に疎い私は、『関ヶ原』や『三成』のような、それとなく知っている単語を探してみたが、意識は散漫だった。

 おそらく、のほうが刺激的で魅力的だったからだろう。城内でたまに感じる木の香りが薄れるほどに、今でも鼻孔に残るのは彼女の香り。――なんて言ったら気持ち悪いオジサン扱いされそうだが。

 そんな中、一生忘れられない学びになったのは、郡上八幡城の城主に『氏』と『氏』の名があったことである。

 自己紹介の時に彼女が笑っていた理由をようやく理解し、ただの偶然だとわかっていても、少しだけ嬉しくなってしまう単純な性格だ。

 私は天守から眺望した景色と、吹き抜ける風に目を細め、自ら選んだ一人旅に情緒を覚えた。

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