3 案内
「ヨシッ! じゃ、キミの名前教えてちょお」
「
「え? めっちゃ面白いね」
「名乗っただけですけど……」
「細かいことは、まー置いといて。わたしは
私が訪れた旅行先――
ほどなく稲葉が、小手をかざして頭上を見上げる。
「んじゃまず、ランドマークな城について教えたげる。ホラ、こっち来てみやあ」
まさに絶景。率直な感想を口にしようと、その横顔に目を移すと、
「遠くまで見えるでしょぉ」
ショートをなびかせながら、表面で薄い笑みを浮かべていたが、そのくっきりとした目元と、瞳の奥には、言い知れぬ煩悶が窺えた。自然の広大さに面食らった時、ふと生まれる虚無感によって、自らのちっぽけさを感じていたのだろうか。憂いのあとに彼女が見せてくれた笑顔は、素直な感情には到底――
出逢ったばかりの女性をジロジロ見るのは控え、私は慌てて郡上八幡を遠望した。
「こっから見える西側――街並の向こうに
「川を渡る必要があるから、攻めるのが大変だったんですね。でも、城の裏手から敵が来ちゃうんじゃないですか?」
「んだで、
「山も天然の要塞なんですね」
「そそっ。戦において
「小牧市ですか。意外と身近なところですね」
「あそこ、信長さんが本格的に石垣を使って築城したトコなんやと」
「へえ、知らなかったです。なんか、ちょっとずつお城に興味が湧いてきました」
今と昔を見比べるのは、城を楽しむひとつの醍醐味である――と稲葉は続けた。確かに名古屋城も二の丸が体育館になっているし、今昔に風情が乗っかる現代ならではの楽しみ方かもしれない。
「ほいじゃ、郡上八幡の二時間パック行く? んふふ」
「え、そんなに……」
「そりゃあ天守で学んだあとは、
「あっ……! ビ、ビギナーなので天守だけで大丈夫です!」
「そぉ? んじゃまあ、楽しんできやぁ」
「え? 稲葉さん、登らないんですか?」
「え? わたしは靴脱ぐのめんどいからええよ」
稲葉は、穿いているタイツと同じ色のトレッキングブーツを指差しながら、ヘラヘラと笑いかけてきた。地元民がわざわざ登城しないのも道理である。あくまで天守は、『観光地』なのだろう。
「土足でOKっぽいですけど」
「あ、そうだっけ? ふふっ、まあ
「最古のお城なんですか?」
「違う違う。現存してる天守で一番古いのは、
「ん? じゃあ、天守を再建したのが古いってことですか?」
「それも違う。天守の木造復元だと、
「えぇ? え、あぁ、なるほど! 解説ありがとうございました」
自分で聞いておきながら頭がこんがらがってきた私は、話を終わらせるように首を垂れてしまった。
「今、テキトーに返事したでしょぉ?」
一方、稲葉は流し目で微笑みながら手を振り、軽やかに石段を下りていった。随分と風変わりな歴女だったが、お別れは少し物寂しかった。
気を取り直して、今度こそ郡上八幡城の攻略開始! と息巻いてみたが、売店横で入城チケットを購入したため、攻城気分は観光気分に上書きされてしまった。
城内は木造建築の独特な香りが漂っており、城や合戦、また郡上に関しての資料が数多く展示されていた。歴史に疎い私は、『関ヶ原』や『三成』のような、それとなく知っている単語を探してみたが、意識は散漫だった。
おそらく、先ほどの体験のほうが刺激的で魅力的だったからだろう。城内でたまに感じる木の香りが薄れるほどに、今でも鼻孔に残るのは彼女の香り。――なんて言ったら気持ち悪いオジサン扱いされそうだが。
そんな中、一生忘れられない学びになったのは、郡上八幡城の城主に『遠藤氏』と『稲葉氏』の名があったことである。
自己紹介の時に彼女が笑っていた理由をようやく理解し、ただの偶然だとわかっていても、少しだけ嬉しくなってしまう単純な性格だ。
私は天守から眺望した景色と、吹き抜ける風に目を細め、自ら選んだ一人旅に情緒を覚えた。
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