2 到着

 高速バスは一時間半ほどで、郡上八幡ぐじょうはちまんインターに到着した。降車してすぐ、ダウンジャケットの防御貫通効果を付与した、山の気配を感じた。

 山のや側道には、降雪の名残がちらほらと見受けられる。肺腑をキンキンに冷やす透き通った空気を一気に吸いこんで、力なく吐き出す。風向きによって私の視界をホワイトアウトするそれは、可視化された青息だった。

 事前に予約したタクシーに乗り、私は『水の町』と謳われる郡上市ぐじょうし八幡町はちまんちょうの中心に位置する、観光案内所に到着した。

 郡上の地を見回すと、めかしこんだ観光客の姿がたくさんあった。私は普段の格好と変わらず、ネイビーのセーター、薄茶色のダウン、灰色のパンツ、黒いスニーカーだというのに。みんなのコーディネイトは、もっと配色が鮮やかで――あぁ、他人と比べるのは悪癖でしかない。

「自分を変えないとな……」

 時に私は、今回の旅行でを設けていた。

 現代のインフラ――スマホをリュックの奥底へと沈めたまま、一泊二日を楽しもうというものだ。現代人には苦行にも等しい制限だが、なにも成し遂げられない私だからこそ乗り越えてみせたかった。

 逆に、それさえ達成できなかったら――


 さて。

 一息ついて、山の頂に目をやった。郡上八幡ぐじょうはちまん城――このランドマーク的な存在は、観光の手始めにちょうど良いだろう。

 誰の居城だったのだろう? 思わずポケットへ手を伸ばし、そこにあるはずの長方形を感じられず、無意識の行動が恥ずかしくなった。気持ちを切り替え、いざ天守へ。私は今、山のてっぺんを攻略する武将になった気分だ。

 とまあ、最初は意気揚々と両手両足を動かしていたのだが、後続から男児に追い越され、お爺さんに追い抜かれ、果ては若い娘に悠々と抜き去られた。

 私が天守広場に着いた時には、とても感想なんて口にできなかった。

「はぁ……はっ、はあ……! はぁ……」

 城まで上がってきた感動ではない。単純に、息が上がっていたからだ。

 鼓動が落ち着いたところで、天守台の石垣を見上げる。適当に積み上げているようだが、その緻密ちみつな技術は近くで見てこそである。

「昔の人はスゴイなあ、これを積み上げるなんて」

 こうして石垣を眺めていると、歴史の知識がない私でも、それとなく城を味わっているようで気分が良かった。

「――ここ、天守もやぐらも再建やよ? 遺構は、来る途中にあった石垣や曲輪くるわくらいだもんで」

 が、私の優越感に対し、重箱の隅をつつくような補足が放たれた。まるで気配を感じず、驚いて目線をずらすと、石垣と櫓を見上げる痩身があった。ライトグレーのミディアムショート、揃った襟足が特徴で、私よりも年下の風貌――異性だった。

 独り言を聞かれるなんて、とんでもない失態だ。私は顔が熱くなってきて、

「え、あっ……昔の人は、た、た……大変っすよね……!」

 なにより、返答とともに行ったキョドり方が、もう中学生男子およびオタクのそれで、どこまでも自己嫌悪に苛まれた。

「城の規模によっちゃ、石垣を積む過程で人も亡くなっとったろうね。なにぃ、キミ観光で来たん? どっから?」

 そうして、個人空間をこじ開けるように話が広がってゆく。私は今にも逃げ出したい気持ちを抱きながら、別言語を紡ぐかのように単語のピースをつなぎ合わせた。

「あ、えと……お、オレ……あ、私は、な、名古屋から……」

「んー? 愛知県民全員が『名古屋から来ました』って言うやつ?」

 黒と白のボーダーセーターと、ブラウンのPコート。グレーのキュロットに黒いブーツ――なぜだろう、色合いだけなら私と似通っているのに、まるで雰囲気が違う。

「一応、尾張おわりです。畑ばかりですけど……」

「なんでまた、こんな山に?」

「なんか観光……っていうか。そ、そういう浮ついた理由です」

 どこまでも、まともに受け答えができない自分に嫌気がさす。相手が若い女性だと、決まってこうなるのだ。

「夏やったら郡上おどり、秋やったら紅葉も楽しめれたんやけどね。まあ、スマホありゃあ色んなトコ調べれるし、楽しんでいきゃぁ」

「そ、それが今スマホ使えないんです……よ」

「圏外?」

「いえ、今回の旅でルール決めて……そ、それがスマホ使用禁止……」

「ふっ……あははっ! キミってよったいな人やねえ」

 観光客に絡んでくる人間もなかなか変なよったい――もとい面白い気立てだと思うが。彼女の大きな笑い声を聞いていると、細かいことがどうでも良くなってきて、徐々に私のどもりも緩和し、会話に対する意識も安定していった。

「てことはヒマやね? 否、ヒマになるよ? だって、見るとこ見たら時間が余るだけやし。住んどるわたしが言うんやから間違いないって」

「じ、地元の方……?」

「ねえねえ、案内したげよっか? この辺のこと知りたいでしょぉ? ホラ、わたしもヒマしとったし、互いに得やしさぁ。あははっ!」

 たぶん、最後の一部分が本音だ。ただの暇潰しのために、一人旅をする冴えない男を選んで、適当に時間を過ごそうという魂胆に違いない。

 けれど、私の頭に浮かんだのは、『旅は道連れ世は情け』という趨勢だった。

「そ……っ、あ、せっかくなんでお願いします」

 であれば、この女の提案を受け入れるのが最適解なのだと思った。

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