第3話 火曜日

 駅前商店街の商店会長、永田キヨマルとの懇談会を行うために午後三時に商店街事務所にやってきた。

 元々は理髪店が入居していた二階建てテナントビルが今は事務所になっている。

 地方都市ではシャッター街と化している商店街多い中、K市の駅前商店街はそれなりの賑わいと活気を保っている。

 とはいえ昔ながらの個人商店は減り、どこの街にもあるようなチェーン店舗が徐々に増えてきているのが現状だ。

 永田キヨマルは七十代のスポーツ用品店の店主だ。今、店の運営はほぼ息子夫婦に任せて隠居状態だという。しかしなが商店街への愛着は人一倍で熱心に会長職を勤め精力的に活動している。シニア野球で鍛えた体力は衰え知らずで恰幅がいい。

 私も彼には大変世話になっている。選挙の時は票を取りまとめてくれている。私が長い間議員を続けられているのも彼のおかげといっても過言ではない。


 事務所に入る。先に到着していた永田がソファーから立ち上がり「あぁどうもどうも先生。相変わらずお元気そうでなによりです」そう言って少し黄ばんではいるがまだ健在なしっかりとした前歯を見せて笑った。

 取り留めもない世間話をしながら私はテーブルを挟んで永田と対面する形で彼の向かいに腰をおろした。

 永田は事務所の奥に置いてある冷蔵庫から瓶ビールとグラスを二つ持ってきた。

 慣れた手付きで素早く永田は栓を開けると、グラスを私に手渡しビールを注いだ。

 軽く会釈をして私はそれを一口飲んだ。

 正直言えば最近はビールを美味しいと思えなくなっていた。ビールだけではなく、種類関係なく酒は体が受け付けなくなってきている。歳のせいといえばそうなのだろうが、何か体質自体が若い頃とは違ってきてしまっている実感があった。

 しかしやはりもてなしと言えば酒である。永田も私をもてなそうとして毎回酒を出してくれている。その気持ちを無下には出来ない。ここ最近の懇談会では、ぐっと吐き気を堪えながら精一杯美味そうな顔を作って、毎回酒を流し込んでいる。


「先生、クーポンの件は今回もお世話になりました」

 

 永田は私の酒を飲む作り物の表情に満足気な笑みを浮かべながらそう言った。

 クーポンとは駅前商店街で使える割引クーポン券の事だ。市が予算を組んで発行し市民に配布している。

 駅前商店街振興策としてK市で私が初当選した二十年前から行われている。私が中心となってこの振興策を取りまとめ予算を議会で通し実現させたのだ。


「クーポンについてはもう恒例行事みたいになっていますからもう私の力なんて関係ありませんよ。毎年すんなり予算が通ります」


 私の謙遜に永田は大袈裟に首を振った。


「いやいや先生がご健在でらっしゃるから恒例行事になってるんじゃないですか。再開発も進んでますし、これからますますクーポン券が私たちにとって重要になってきます。これからもどうぞお力添えよろしくお願いします」


 永田はそう言って大きく広げた両足の腿に手を置いて深々と頭を下げた。

 駅前商店街にとっても再開発は懸念材料になっていた。

 計画では大型ショッピングモールが建設される予定になっている。駅から直結でモールに入店できるそうだ。

 このショッピングモールに客を取られることになれば商店街の衰退がさらに進んでしまうのではないかという危機感が商店会側にあるのだ。


「市長も駅前商店街とショッピングモールは共存できるように力を尽くすと言ってくれています。私もそこの部分はこれからも議会で出来る限り主張していきたいと思ってますし、クーポン券も継続できるよう頑張りますよ」

「これはこれは。やはり城定先生は頼もしいですな。これからもお世話になります!」

 そう言って永田は豪快に笑い声を上げた。


 それから話題は再開発の事へと移り変わった。

 話しているうちに私は昨日ミズエから聞いた、森への信仰の話を思いだした。

 七十代で、この街に古くから住んでいる永田なら何か知っているのではないかと思い至って、私は水を向けてみた。

 すると永田は少し顔をしかめた。


「いやぁ知らないですねぇ……あの森が信仰されていたなんて……。先生はあの占い師と懇意にしてるみたいなので、お耳にお入れして頂いた方がいいかと思うんですが……」


 永田が言うべきか少し迷っている表情をしている事を読み取った私は、遠慮なく何でも言ってくださいと永田を促した。


「あの占い師に悪い噂が最近たってるんですよ。霊感商法まがいのことをやってるんじゃないかって……」


 初耳だった。私が知る限りでは悪質な事はしていないのだが。しかしオカルトめいた事を良く思わない人たちにとって見れば除霊などというのは霊感商法みたいなものだと思われても仕方あるまい。


「それから中学生の孫娘がいるでしょ。その子にホステスまがいの事をさせて客を取ってるっていう噂まであるんですよ」


 そう言う永田の声はいつにもまして小声になっていた。あまりおおっぴらに言ってはいけない事という認識はあるようだ。

 セリナにまでそんな悪い噂がたっているとは。ミズエの人となりを知っている身からすれば、さすがにそんな事を孫にやらせる訳はないだろうと私は思った。

 しかしそんな風にミズエとセリナに悪い噂が立ち上るのは何故なのか。

 あまりに羽振りがいいゆえに嫉妬でもされているのだろうか。


「だから先生も気をつけてくださいね。変な事吹き込まれて金をぼったくられたらたまったもんじゃないですから」

 永田は本気で心配しているかのように大袈裟に表情を作って私に訴えた。

 それからたわいもない世間話や市政についての話をして午後六時に懇談会はお開きになった。


 自宅に戻る。家内は留守にしていた。買い物にでも出掛けたのだろう。

 寝室でスーツから部屋着のシャツに着替えてリビングに行くと、〈もう一人の私〉がソファーに深く背をもたらせながら座っていた。

 私の存在に気づくと、こちらを見てニヤリと笑った。


「やぁやぁ。懇親会ご苦労様だったねぇ」

「なんでリビングにいるんだ」


〈もう一人の私〉が書斎の外に出てくるのは初めてだった。家内に見られたまずい。どう説明するべきか。まったく分からない。


「別にいいじゃないかリビングにいても。俺はお前でお前は俺なんだからリビングにいてもおかしくはないだろ。それに書斎に閉じ籠ってるのは息苦しいのさ」


〈もう一人の私〉が出てくるようになってから私は書斎で過ごす事がまったく無くなった。だからその物言いに私は少し怒りを覚えた。


「それでお前どう思ってるんだよ」

〈もう一人の私〉は顔をにやつかせたまま続けた。

「永田が言ってたミズエとセリナの事だよ」

「私が知る限り、ミズエさんはそんな事するような人じゃ……」

 私が言い終わるのを待たずに、もう一人の私は腹を抱えながらゲラゲラと笑い転げた。

「お前ミズエの何を知ってるんだよ。昔から懇意にしてる? 年に一、二回あって昔話をするだけじゃないか」

 笑いすぎて出てきた涙を拭いながら〈もう一人の私〉は、私を詰るようにそう言った。何も答えずただ黙っている私にさらに言葉を浴びせてくる。


「野狐がどうとか言ってたじゃないか。あれ脅しじゃないのか? あぁ言ってお前から金をふんだくろうと思ってたんじゃないのか? あと孫のセリナ? ミズエが忙しいからセリナがお前の世話をする? そんな話信じるのか? お前にホステスまがいのことさせるためにあぁ言ってただけじゃないのか? どうなんだ?」


 私の中にあったミズエに対する信頼が薄れていくのが分かった。もしかして本当に……。いや絶対にそんな事はあり得ない。私は自分に強く言い聞かせた。


「セリナにホステスまがいの事をさせてるって聞いたとき、お前少し期待しただろ。清廉潔白な議員さんのふりしてるけど、本当はいやらしい男だもんな!」

「やめろ!」


私は思わず叫んでいた。私にそんな気持ちなどあるわけがない。


「何かまととぶってるだ議員さんよぉ!」


〈もう一人の私〉が私に向かって唾を飛ばしながらそう叫んだ。


「やめろ! やめろ! やめろ! 断じてそんな気持ちなど私にはない!」


 私も負けじと叫んだ。

 すると〈もう一人の私〉は鼻で笑い飛ばしながら、

「まぁいいさ。そうやって強がっていたらそのうち足元ぐらぐらになってお前立ってられなくなるぞ。その時が楽しみさ……」

 そう言ってその場からすっと消えた。


 家内が帰ってくる前に消えてくれた事に、私はほっと胸を撫で下ろし、その場にしゃがみこんだ。

 気づくと部屋着のシャツが汗でぐっしょりと濡れていた。そして大きく肩で息をしていた。



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