第2話 月曜日2

 それは無理だ。一秒の猶予もなく頭の中で私はそう結論を出した。動き出した工事を止めることなど出来やしない。私はその事を包み隠さず率直にミズエに伝えた。


「城定先生は再開発反対派でいらっしゃったはずです」

 ミズエは食い下がった。

 確かに私は反対派だった。ずっと手付かずの自然は守るべきだと、緑豊かな場所である所こそK市の良さだと思っていたからだ。

 しかし、今のK市長は駅周辺再開発を公約に選挙に出馬し当選した。大都市に負けるとも劣らない街づくりをする。大型商業施設を誘致し、タワーマンションを建て他所から新しい市民を多数迎え入れて街を発展させると宣言した。そしてそれは大多数の市民からの支持を得たのだ。

 議会でも反対派は少数で大部分の議員は市長に同調している。

 私に出来る事と言えば森林を全て斬り倒すのではなく、僅かばかりでも緑を残すために、開発計画を注意深く目を光らせ監視する事くらいである。


「反対派として再開発を止められなかったのは私の不徳の致すところですが、もう動き出してしまった物を止めるのはねぇ……。それになんと理由をつけて計画を変更させるのか。オカルトめいた事を口にしたら私の立場も危うくなるよ……」


 計画を変更するにはそれなりの大義名分がいるはずだ。森林を伐採することによって市民生活に重大な危機が訪れるような現象が起きるような何かが。しかしそれはあくまでも科学的に実証されるようなものでなければならないだろう。幽霊だか妖怪だかバケモノが出るからなどいうのは絶対に通用しない。

 ミズエの能力を私は疑ってはいない。ミズエが言うならばそうなのだろう。ただ私には出来ることは何もない。ただそれだけだ。

 私はミズエにその事をそのまま伝えた。


「そうですか……。ならば他の方法を探すしかありませんね……」

 ミズエは神妙な面持ちでそう呟いた。

「悪いね。しかしミズエさんの調査結果には個人的に興味がありますよ。もしよろしければもう少し詳しく聞かせてくれませんか?」

 私はこのまま帰って貰うのは気が引けたのでそう水を向けてみた。

「分かりました……」

 ミズエがゆっくりと語りだす。


「今回再開発によって切り開かれる事になったあの駅北西の森ですが、昔から神聖な場所としてこの辺りでは取り扱われていたのです」

「神聖な場所?」

「はい。郷土史を調べましたら、あの森は昔からこの辺りの人たちにとって神が宿る森として信仰の対象だったのです」

 全国各地にそういった場所があるのは知っている。しかしあの森がそういった類いの場所だったとは初めて聞く話である。ミズエは続ける。

「竜神川が洪水により氾濫し多数の犠牲者を出したとき、疫病が蔓延したとき、その他様々な災難に見舞われた時に昔の人々はあの森に事態収拾の祈りを捧げたのです。その人々の祈りが長い長い年月をかけて蓄積していったことで、より強い魔除け、厄除けの力をあの森は宿したのです」

 長い期間あの森は信仰されていたということだが、少なくとも六十代の私が物心ついたときには、あの森が神聖な場所だという人々の認識は完全に忘れ去られていたように思う。

 両親からも祖父母からもあの森については何も聞かされなかったし、学校でも教育されていない。

「あの森が神聖な場所だという事を、現代の我々はなぜ忘れてしまったのだろうねぇ……」

 心の中の疑問を私は思わず口に出してしまった。

「私も今回の調査で初めてあの森の事を知りました。どこかの時点で口承が途絶えてしまったのでしょう。意図的なのか、それとも自然な流れだったのかは知りませんが……」

 ミズエは深く溜め息をついてそう語った。


「しかしミズエさんの言うバケモノはなぜこの街を狙い打ちするのだろうね? この街だけではなさそうなものじゃないか、魔除けの力が衰えてる街は」

 私はソファーの背もたれに深く寄りかかり腕を組みながらまた疑問をミズエに投げ掛けた。

「おそらくこの街全体が大きな霊道になっているのではないでしょうか。いや、考えてみればこの街だけではないのかもしれません。他にも同じような状態になっている街があっても不思議じゃありません。ニュースを見れば不可解な事件が日々起こり続けてますから」

「つまり日本全体があの世とこの世の境界が曖昧な状態になってるかもしれないと?」

「そういうことです……」

 そう一言呟くとミズエは腕時計で時間を確認した。


「先生、長々と失礼しました。私たちはもうこれで」

「おかえりですか? 力になれなくて本当に申し訳ない」

 私はそう言って深々と頭を下げた。頭を上げるとミズエが神妙な眼差しで私を見ていた。


「先生もお気をつけください。油断すればバケモノに簡単に取り込まれますよ……」

 ミズエは横に座ってじっと黙っていたセリナに何か目で合図した。

「失礼します!」

 体育会系らしい溌剌とした声でそう言うとセリナは私の頭に手を当て目を閉じた。

 私の体が強ばる。

 しばらくしてセリナは目を開け手を頭から離した。

「何か見えたかい?」

 ミズエのその言葉にセリナは首を捻りながら、「特に何も……。因果関係は分かりません……」そう小声で言った。

 おそらくセリナは私を霊視したのだろう。

 セリナもミズエと同じ力を持っていたのだ。ミズエには一人息子がいるがその息子、つまりはセリナの父親は霊能力は持っていないと聞いた。隔世遺伝で能力が受け継がれたということか。

 霊視の結果、特に何も見えないというのなら安心していいのだろう。だが因果関係という言葉は引っ掛かった。

 その私の気持ちを察したかのようにミズエが口を開いた。

「不躾にすいません。先生申し上げにくいのですが、私もセリナも同じ物をこの家に来てからずっと見ているのです。この家に何匹も野狐がうろついています」

「の、野狐? そんな物は飼っていないが……」

 私の言葉にミズエは軽く微笑んだ。

「いいえ先生、野狐というのは妖怪の狐です。先生の目には見えていないのでしょうが……」

「なぜそんなものが家に?」

「はい、その疑問のヒントになればとセリナに練習がてら霊視させました。野狐に憑きまとわれている事が、何か先生の心の中の暗部と関係があるのなら、危険な事になるかもしれませんが、特に何もないというなら安心です」

 そう言うとミズエとセリナはソファーから腰を上げて立ち上がった。

「先生がご希望ならお祓いして帰りますがいかがなさいますか?」

「私はそういう類いの事は……先生の力は疑ってないですよ。でもやはりどこか抵抗感があって……」

「そうですか。ならばこのまま帰ります。何かお困りの事があればいつでも遠慮なく仰ってください。私は忙しいのでセリナが対応することになると思いますが」

 セリナはそんな話の展開になるとは思っていなかったのだろう、すっかり部屋の出入口の方を向いていたが慌てて私の方へ向き直って深々とお辞儀した。

「そうですか。じゃあ何かあったらセリナさん頼むね……」

 私のその言葉にセリナは忙しなく頭を下げた。こういう改まった大人のやりとりにまだ慣れていないのだろう。


 応接間を出て玄関までミズエとセリナを見送った。

 軽い挨拶を交わした後、家を出ていった二人は車で帰っていった。


 私は応接間に戻り天井を見つめた。

 あぁ……ミズエとセリナがいる間、がおとなしくしていてくれて助かった……。

 

 私は二階に上がり書斎へと入る。

 ドア横にある証明のスイッチをオンにする。

 部屋が明るくなる。

 ライトに照らされて革張りの椅子に座っている、私と姿形が瓜二つの、〈もう一人の私〉の姿が露になる。

〈もう一人の私〉が椅子を回転させて私の方を見るとニヤリと笑った。


「やぁ落ち目で無能のロートル議員さん。陳情なんて珍しいねぇ。まだあんたに頼ろうって市民がいるんだねぇ」


 ひひひひひひひひ────


〈もう一人の私〉の噛み殺した笑い声が部屋中に響き渡った。


「お前は狐なのか?」

 私は〈もう一人の私〉のすぐ側まで近づきそう呟いた。

「狐? 何言ってんだお前。俺はお前だよ。それ意外にあるかよ……」

 そう言って〈もう一人の私〉は、右の口角を不自然なほど上に吊り上げながら不気味に微笑んだ。

 

 私は踵を返して照明を消しドアを開ける。

 後ろを振り替えると〈もう一人の私〉の眼球が、ぎょろりと暗闇の中で光っていた。 

 

  

 

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