第8話 水曜日4

 銀閣寺のインパクトに目を奪われて気づかなかったが、銀閣寺の後ろには二階建ての一般的な佇まいの一軒家がちゃんとあった。

 こちらも古風な日本家屋だが、それと同時に今時のモダンさもあった。

 銀閣寺と二階建て一軒家は渡り廊下で繋がれていて、行き来できる造りになっていた。


 コンパクトな玄関から銀閣寺に上がると六畳ほどの和室にセリナは私を通した。

 四方を真っ白い襖に囲まれている。部屋の真ん中に綺麗な流線型をした木目が目を引く木製テーブルがひとつ置いてあった。部屋に置いてあるのはそれだけで、とても質素な部屋だった。

「この部屋でお祖母ちゃんがお客さんの占いしてるんだ。お祖母ちゃん二階にいると思うから呼んでくるね。適当に座って待ってて」

 そう言ってセリナは部屋から出ていった。

 私は座るのはなんとなく失礼な気がしてそのまま立っていた。


「お祖母ちゃーん! ちょっと来てー! 会ってほしい子がいるの!」

 セリナの大きな声が聞こえた。それからすぐにハスキーだが、どこか気品のある艶やかな声が聞こえてきた。

「今行くよ。そんな大きい声出さないで。二日酔いで頭痛くて響くのよ」

 セリナお祖母ちゃんの声だろうか。大きな声を出しているのに、嫌な雰囲気がまったく漂わない。

 どんな人なのだろうか。少し緊張してくる。


 しばらくすると襖が開いてセリナが姿を見せた。その後ろにセリナのお祖母ちゃんと思わしき女性が立っていた。

 セリナに負けず劣らず、背が高くすらっとしていてスタイルが良い。

「お待たせ。こちらがうちのお祖母ちゃん。そんでもって私の先生」

 セリナが一歩前に出て横にずれた。セリナのお祖母ちゃんが私を見据えると、

「どうもいらっしゃい。セリナの祖母のミズエです」

 そう言って深々とお辞儀をした。

 所作になんともいえない気品があった。

「西川ヒナタと言います」

 私もぎこちくお辞儀を返した。

 

 ミズエさんの年齢はいくつだろう。おそらく六十代か七十代だと思う。でもメイクがばっちりと決まっているせいか、年齢の割にとても若々しい。

 髪の毛は肩くらいまで伸ばしていて、ふんわりと緩いウェーブがかかっている。そして綺麗に茶色に染められている。

 服装は意外にもカジュアルだった。黒いパーカーにジーンズ姿だ。黒いパーカーの下半分に金色のロゴマークのようなプリントがいくつも施されていた。そのプリントをよく見てみると、ルイヴィトンのモノグラムだと気づいた。

 大きな緑色の宝石があしらわれている指輪がキラリと手に光っていた。


「遠慮しないで座ってねってセリナ。座布団がないじゃないよ。座布団くらい用意しなさい。お客さんに失礼よ」

 ミズエさんが柔らかくセリナを叱った。

 セリナは慌てて部屋を出ていった。

「ごめんなさいねぇ」

 ミズエさんは私には微笑みながらそう言った。

 すぐにセリナが座布団を二枚持って部屋に戻ってきた。素早く床にそれを置くと、「ごめんごめん。座って座って」そう言って私の肩をぽんと一回叩いた。

 私は座布団の上に正座した。セリナも私の横に正座した。私の向かいにミズエさんが座る。私はミズエさんと向き合う形になった。


「あなた変な物に追いかけ回されてるわね」

 座って落ち着く間もなく、ミズエさんは私の顔を真っ直ぐ見据えながらそう言った。

「あっ、はい……」

 小声で相槌を打ったあと、私の今の状況をどう伝えればいいのか言葉を探していると、助け船を出すようにセリナが、

「その事でお祖母ちゃんに見てもらいたい物があるの」

 そう言ってポケットからあの写真を取り出してテーブルに置いた。

「西川さんも出して」

 セリナに促され私は、鞄の中から『イン・ザ・ミソスープ』を取り出すと、そこに挟まっている写真をセリナが置いた写真の横に並べた。


「これか。さっきから嫌な気を放ってたのは」

 ミズエさんは苦々しい表情で、顎を右手で触りながら三枚の写真を眺めている。

「この写真に写ってる女の人って何だと思う?」

 セリナがミズエさんに訊ねた。

「写真の女たちは怨念を放ってる。たぶん良くない死に方をしてる……」

 ミズエさんのその言葉にセリナは「良くない死に方……」と一言だけ呟いた。私は唾を飲み込んだ。

 無邪気になんだか気に入ったからと栞代わりにしていたが、写真に写ってる女の人は死んでいたのだ。しかも良くない死に方で……。

 私は自分のしていた事が急に恐ろしくなって、見ていた景色がぐらついて色が変わってしまったような感覚に陥った。


「この写真は危険。これは持っていない方がいい。写真自体が怨念を放っているけど、それだけじゃない。その上さらに強力な呪いがかけられてる」

 ミズエさんは私の顔を鋭い眼差しで見つめながらそう言った。

 言葉の節々からとてつもない重みと説得力を感じた。私はミズエさんの言葉を否応なしに受け入れるしかなかった。


「この写真を持ってる限り、あなたは常に命の危険に晒されるわ。これは私が預かっておく。信頼できる坊さんに頼んでお焚き上げしてもらうから」

 そう言ってミズエさんは三枚の写真をひとつにまとめた。

「お祖母ちゃんでも物に宿ってる怨念や呪いを解くこと出来ないの?」

 セリナがミズエさんに疑問をぶつけた。

「微小なものならなんとか出来るのよ。呪物にも強弱がある」

「っていう事は、この写真にかかった呪いは強力ってことか……」

「そういうこと」

 

 私はセリナとミズエさんの会話を聞いて愕然とするしかなかった。私に付きまとっているあの髪の濡れた女。あれはとんでもなく恐ろしい物だったのかもしれない。

 もし写真に呪いをかけたのが図書委員のあの女子だったとして、あの子にそんな事が出来るのだろうか? 


「そんな強力な呪いがかけられてるってことは、その呪いによって産み出されたバケモノがいたら、そのバケモノってやっぱり超強いのかな?」

 セリナは熱っぽい口調でミズエさんにそう訊ねた。


「この間のデビュー戦ほど簡単じゃないよ。あれは低級霊がはったりかましてただけだからね。もしそういう機会が訪れる時が来たなら、そりゃもう命懸けだよ」

 ミズエさんは上目遣いでセリナを見ながら低い声でそう言った。

 セリナは溜め息をひとつ吐いてから「はい」と短く、それでいて気合いが籠った語気で言った。


「西川さん、この写真を持っていなければ変な物に追いかけられることはないわよ安心して」

 そう優しく言うとミズエさんは写真を手に取って立ち上がった。

「じゃあこれで私は失礼するわね」

「ありがとうお祖母ちゃん」

 私は立ち上がってミズエさんに頭を下げた。

 ミズエさんは「また困ったことがあったらいらっしゃいね」と微笑みながら言うと部屋から出ていった。


「ありがとうセリナさん」

 私はセリナにも頭を下げた。

「いいのいいの。とりあえずあなたの身に降りかかってる危険はこれで去った。髪の濡れた女だっけ?もう来ないんじゃない?」

「でも……」

 私は図書委員のあの子の事が頭に浮かんでいた。私だけ良ければそれでいいのだろうか。彼女が本当に呪いを拡散しているのなら、止めなくてはいけないんじゃないか。

 セリナは目を閉じて私の頭に手を置いた。数秒、時が止まったような気がした。しばらくしてセリナが口を開いた。

「私も同じ気持ちかも……。明日昼休み図書室で待ち合わせね。命懸けだから気合い入れなくちゃ」

 セリナは目を開けて私の頭から手を離す。そして私の目を真っ直ぐ見つめた。

 私は黙って頷いた。


 私は自宅へ帰った。

「ヒナタ学校であんな事あったのにどこ行ってたの?」

 リビングから母親の大声が聞こえた。

 私はリビングに入って、母親に友達の家にいたと嘘のような本当の事のような事を説明した。

 リビングのテレビは、私たちの学校を映していた。

 やっぱり今日の事件は騒ぎになっているようだ。

 ニュース番組のレポーターが警察の前から中継をして、事件の概要を話していた。


〈倒れていたのは学校のあるK市の隣、H市に住む女子大生、山下ユキコさんであると判明しました。山下さんは一昨日アルバイト先の大型古書店を出てから行方不明になっており……〉


 大型古書店────

 何かが繋がったような気がした。

 

 





 



 


 

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