第6話 水曜日2

 一度目の呼び出し音が鳴り終わる前に、セリナは電話に出た。

「助けてください!」

 私は自然と叫んでいた。

「すぐ行く」

 セリナはクールにそう一言だけ言って電話を切った。

 保健室のベッドに座って私は何度も深呼吸を繰り返した。私の太ももに落ちたはずの水滴はもう乾いてしまっていた。次は私。どういうことなのか。私はどうなってしまうのだろうか。


 数分後、セリナが保健室に飛び込んでやって来た。


「まだ下校する前で良かった。どうかした? 大丈夫?」

 セリナは颯爽とした身のこなしで私の横に座った。

「セリナさんはどういう力があるんですか?」

「霊視。あと除霊もできるよ」

 除霊────

 それなら私に付きまとう濡れた髪の女も除霊出来るだろうか。


「私の事……助けてください……」

 私は震える声を必死に抑えながら、月曜日から私の身に降りかかっていることをセリナに話した。そしてあの女を除霊して欲しいと頼んだ。

 セリナは立ち上がって保健室を見渡す。

 その後、出入口から廊下に出るとすぐに戻ってきて、今度は窓から校庭を見渡した。そして再び私の横に座った。


「除霊したくても幽霊やバケモノその物がその場にいないと除霊出来ないの。もう学校にはいないみたい。一瞬でどこからか現れて、一瞬でどこかに消えちゃうってタイプの幽霊っぽいね……」

 セリナは腕組みをしながら神妙な雰囲気でそう言った。

「でも西川さんがその幽霊を呼び寄せた原因は、はっきりしてるよ。あの文庫本に挟まってた写真だよ。だからあの写真をまずはどうにかしましょ」

 セリナの語気は力強く頼もしかった。


「私ね、幽霊やバケモノは除霊できるけど、物にこもった怨念や呪いを解くことはまだ出来ないの。修行中の半人前なの。でも私のお祖母ちゃんなら出来るかもしれない。ねぇ今日休校になったし私の家にこない?」

「はい。行きます」

 私に断る選択肢はなかった。

「まぁまず家に行く前に寄る所があるけどね……」

 セリナは軽々しく腰を持ち上げ立ち上がった。その身のこなしには生命力が溢れている気がした。

 私も踏ん張って立ち上がった。


 セリナが自転車を漕いで、私は後ろの荷台に座る。

 二人乗りで学校からセリナの家まで移動する。

 よく晴れていて暑いくらいだった。

 途中の道には、カメラを持ったマスコミ関係者であろう人たちがそこら中にいた。

 今日の夕方にはニュースになっているかもしれない。


「西川さんに付きまとってる幽霊の髪は濡れてる。今日発見された遺体も髪が濡れてる。偶然とは思えないね。というか偶然だったら逆にしらけるかも」

 回転するペダルが軋む音をかき分けて、セリナがそう言っている声が聞こえた。

 確かにセリナが言う通りだ。改めてその事を思うと底知れない恐怖に包まれそうになる。


「着きました」

 セリナがそう言って自転車を止めた。

「えっ。ここ……」

 流れる風景を気にしていなかったから気づかなかったが、私たちは駅前通り商店街に足を踏み入れていた。

 目の前にあるのは古書店。私が『イン・ザ・ミソスープ』を万引きしてしまった店だ。

「今日も持ってるでしょあの本。ちゃんと返すかお金払わないと。一緒に謝ってあげるから。ね?」

 私は目を閉じてどうするべきか、どうしなければいけないのか頭をフル回転して考えた。

 そして覚悟を決めた。

「分かりました。ちゃんと正直に言います」

 私は自ら歩きだして店の中に入っていった。


 この古書店はもう腰の曲がり掛けた年配の男性が店主をしている店だ。その店主が一人で切り回している。

 

 店主は基本、奥のレジにいてそこから動くことは滅多にない。そのレジから死角になっている場所が店にはいくつもある。『イン・ザ・ミソスープ』が置いてあった文庫本コーナーの棚も死角になっている場所にあった。防犯設備もこの店にはない。だから本を盗むのはとても簡単だった。

 なぜ私はあの本を盗んでしまったのだろう。魔が差した。そう言えば簡単だ。でもそれだけでは説明がつかない何かがあった気もする。

 この本を盗むのはあらかじめ決められていた事のように感じていた。ごく自然な流れのように何の躊躇いも、罪の意識すらなく、私は手に取った本を鞄に忍ばせた。

『イン・ザ・ミソスープ』を選んだのも、なぜそれにしたのか明確な理由はなかった。自然に目に留まり、自然に手を伸ばしていた。試し読みもせず、あらすじも読まず、私は鞄の中に入れた。

 後から読んでみたら、今の私が欲している話だと理解した。必然だったと分かった。

 だから余計に、まるで見えない何かに導かれるかのように、この本を盗むことはあらかじめ決められていたのでないかと、今は感じているのだ。


 私は本を鞄の中から取り出し、写真を中から抜き取りセリナに手渡すと、レジへと真っ直ぐ向かった。

 セリナは私の後をついてくる。

 私は店主に本を差し出し頭を下げて、

「私、この本をこの店から盗んでしまいました。すいませんでした!」

 と全力で謝った。

 その間、セリナは店の中を歩き回っていた。

 店主の反応は意外にもあっさりした物だった。少し驚いてはいたが特になんの感情も動いていない様子だった。

「あぁ。その本ね。同じその本を五冊持ってきて買い取りしてくれって人がいて、しょうがないから二冊だけ買い取ったんだよ。状態も悪いしタダ同然。売値も百円だからこちらとしては別にね……。まぁ盗むのは良くないことだし今後はしないで頂戴ね」

 店主は淡々とそう語った。私は財布から百円を取り出して店主に手渡した。


「ご、五冊も同じ本を売りにきた人がいるんですか?」

 いつの間にか後ろにいたセリナが大きな声をあげた。その手には『イン・ザ・ミソスープ』があった。私が盗んだ方ではない、もう一冊の『イン・ザ・ミソスープ』のページをセリナはペラペラと素早く捲る。

 何か薄い紙のような物がもう一冊の『イン・ザ・ミソスープ』から床に落ちた。

 セリナがそれを拾って私に見せた。

 どこかのレストランか何かで、料理を目の前にして笑っている若い二十代と思われる女性が写った写真だった。

 そっちの『イン・ザ・ミソスープ』にも写真が挟まっていたのだ。私は驚きのあまり言葉を失った。


「変な気を放ってる本があると思ったら……」

 セリナはそう呟くと店主に近づいていく。

「この本を五冊も売りにきた人のこと覚えてるなら、どんな人だったか教えて貰えませんか?」

 セリナは一段声を低くしてそう言った。

 店主が動揺するほどに凄みのある声だった。  


 


 




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