第5話 水曜日

 朝登校すると、学校が物々しい雰囲気になっていた。

 パトカーが何台も校庭に止まっていた。救急車に消防車まで来ている。校庭の西側にあるプールの周辺に警察官や救急隊員と思われる人たちが、腰に手を当てたり、腕組みをしながら立って話をしていた。

 プールを取り囲む金網にはブルーシートが張られて、中の様子を隠しているようだ。

 登校してきた生徒たちが教室に入らずに集団で野次馬になっている。先生たちが数名掛かりで野次馬たちに教室に入るようにと大声で呼び掛けていた。

 その野次馬集団の中にセリナとマナミがいるのが見えた。

 セリナは神妙な表情でプールの方をじっと見つめている。その横でマナミは今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 私は野次馬集団をうつむきながら黙って通り過ぎようとした。


「おはよう」

 そう声が聞こえて、気づくといつのまにか私の前にセリナが立っていた。

 私は驚いて後ろに体が思わず仰け反った。


「あっ、ごめんごめん。驚かせちゃった?」

 セリナは申し訳なさそうに優しくそう言うと私の顔を覗きこんだ。私はセリナの顔を見れず視線を右下の地面に反らした。

「あっいたいた。セリナ先輩本当に気づくとあっという間にどっかいっちゃいますね。ってあれ? 西川さん? セリナ先輩と知り合い?」

 小走りでセリナを追いかけてきたマナミが私の顔を見てそう言った。マナミが私の事を覚えいるのは意外だった。


「昨日図書室にいたの西川さん。マナミが戻ったあとお話しして仲良くなったんだよ。ね?」

 セリナが同意を求めてきたが、仲良くなったというのは間違いな気がするから私はただ何のリアクションもせずに黙っていた。

「そうなんだ。西川さん休み時間に本読んでたイメージあるから図書室にいるの納得。私と西川さんは一年の時同じクラスだったんです。ね?」

 マナミも同意を求めてきた。これは事実なので私は「うん」と小声で言って頷いた。


「西川さんうちの学校で大変な事が起きたんだよ!」

 マナミが誰かに話したくてうずうずしていたかのようにそう捲し立てた。

「何か……あったの?」そう私が恐る恐る聞くとセリナが、「プールで変死体が見つかったんだって」そう神妙に言った。


 マナミが勢いよく話し出した。

 それによると、校庭で朝練中のサッカー部員がプールの近くに飛んでいったボールを拾いに行ったときに、プールサイドで女の人が倒れているを発見したそうだ。

 その部員がすぐに顧問の先生に報告。その先生が職員室からプール出入口の鍵を持って中に入って女の人の様子を確認すると、すでに息をしていなかった。そして警察を呼び現在の状況に至っているという。


「それでね。死体を発見した子が言ってたんだけど、亡くなってた女の人、髪の毛と顔だけが濡れてたんだって。首から下、服は濡れてないのに」


 髪の毛と顔だけが濡れている?私はぞっとして全身の毛が逆立ちそうになった。

 図書室で私を見下ろしていた女の髪から滴り落ちる水滴の〈ぴちゃん〉という音が脳内で鳴り響いた。

 私は動揺を隠せずにきょろきょろと忙しなくあちこちに視線を飛ばした。体が震えてきた。


「ちょっと西川さん大丈夫?」

 マナミが私の横に立って腰に手を回して優しく寄り添ってくれた。だからなんとか立っていられた。


「もしかして西川さん何か知ってるの?」

 優しいマナミとは正反対にセリナは厳しい目つきで私を捕えながらそう言った。 


「ほらお前らも早く教室入れ!」

 そう大声を上げながら体育の片山先生が私たちの所へとやって来た。震え続けて今にも倒れそうになっている私を見て、片山先生は急に慌て始めた。

「おい大丈夫か? 確か二年の西川だよな? 尾木、保健室連れてってあげなさい」

 私はマナミに介抱されながら保健室へ行った。そしてすぐにベッドに寝かされた。


「ごめんね西川さん。私が怖い話聞かせたからショック受けちゃったんだよね……」

 マナミが涙声で優しくそう言った。

「大丈夫だよ……ありがとう尾木さん」

 私は自然にそう声に出していた。こんな事を他人に言うなんていつ以来だろう。

 私は最近、人との関わりを避けてきた。昔はこんなやり取りは沢山していた気がする。何で今はこんなことになってしまっているのだろう。

 私はマナミの優しさに触れて嬉しくなったと同時に、酷くやるせない気持ちにもなった。

「じゃあね。私行くね」

 マナミは手を振って自分の教室へと向かった。


 私は眠れず、頭を真っ白にしてひたすら天井を見つめていた。

 すると次第に震えは止まりはじめた。


「西川さん大丈夫? 歩ける? 休校が決まったの。全員帰宅よ。自力で帰れないようなら親御さんに迎えにきてもらう?」

 養護教諭の清水先生が寝ている私の顔を覗き込みながら早口でそう言った。

「大丈夫です。自力で帰れそうです」

「そう。良かったわ。あんまり無理しないでね」

 そう言うと清水先生は保健室から足早に出ていった。事件のせいで忙しいのだろうか。

 保健室には私一人きりになった。 

 私はベッドから降りるために、足をベッドの横側から下ろして、床に置いてあった上履きの中に足を入れた。

 上履きの中が濡れていた。

 落ち着きを取り戻したはずの体に悪寒が走る。


 ぴちゃん────


 水が滴り落ちる音がした。


 突然、背中側から私に何かが覆い被さった。

 私の物じゃない髪の毛が視界を黒く染めた。

 髪の毛が濡れていると理解するのに一秒もかからなかった。

 ぽたぽたと水滴が何粒も何粒も私の太ももに滴り落ちた。


 私の耳元で、抑揚がなく、感情のこもっていない、不気味なほどに淡々とした、機械的で人間らしさがまるで感じられない女の声がした。


「西川さん西川さん西川さん。次はあなた」


 その声のあと、私の背中に覆い被さったものはすっと消えた。

 私は鞄の中からスマホを取り出してセリナに電話を掛けた。


 


 

 

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