第3話 火曜日

 図書室に来るのは怖かった。足がすくんだ。それでもやっぱり私はここへ来ざるを得なかった。

 教室にいるのは耐えられない。他に行く場所も思いつかない。

 昨日はあれから怖いことは起きなかった。髪の濡れた女も姿を見せなかった。きっと一人にならなければ大丈夫。そう自分に言い聞かせた。


 少し緊張しながらドアを開ける。

 いつもの図書室だった。メンバーもいつも通りの面々だ。異変はどこにもない。ほっと胸を撫で下ろす。奥の書架の方は見ないようにしながら、私はいつもの椅子に陣取った。


 手に持った『イン・ザ・ミソスープ』の表紙が目に入る。

 不気味な男が微笑んでいる。私は昨日見た濡れた髪の女を連想して、恐怖が甦ってくる気配を感じた。

 私は表紙が見えないように、本を裏返してテーブルに置いた。

 しばらくこの本は読めないな……。

 そう思いながら、私はテーブルに突っ伏して目を閉じた。もう今日はこうしていよう。


 心地よい静けさにうとうととし始めた時、眠りを妨げるように図書室の扉が勢いよく開く音がした。


「ここが図書室か。初めて来たわ」

「セリナ先輩静かにしなくちゃ駄目ですよ!」


 騒々しい声に私は思わず顔を上げた。

 見慣れない二人組の女子がいた。


 ショートカットで中性的な雰囲気の、背の高い三年生の方に思わず目を奪われる。

 遠目からでも端正な整った顔立ちなのがよく分かる。

 ただ目を奪われたのはその見た目のせいばかりではなかった。どこか神秘的なオーラを放っているせいだろう。


 もう一人は……見たことのある顔だった。

 一年の時に同じクラスだった尾木マナミだ。

 

「あのすいません。ユーチューバーとして成功するためのハウツー本って置いてあります?」

 ショートカットの三年生、おそらくセリナという名前の方が図書委員の女子にいたって真剣なモードでそう訊ねた。


「そういうのはたぶん置いてないですね……。町の本屋さんに行けばあると思いますけど」

 図書委員の女子が苦笑しながらそう答えた。

「セリナ先輩、ほらやっぱりないですよ。もう行きましょう」

 マナミがセリナを急かしたが、セリナの方は「一応、棚の方見てこようかな」と言って、くるりと回転して書架の方へと歩きだした。

 マナミは「私帰りますね」そう言って図書室から出ていった。


 セリナが私のいる方へと歩いて近づいてきた。私の目の前、テーブルを挟んだ向かい側の通路を通り過ぎようかという時、セリナは足を止めた。

 そして私の方へと体の向きを変えた。私は咄嗟に文庫本に手を伸ばした。セリナの視線が私を捕えたのが分かった。


「ねぇあなた何読んでるの?」

 セリナはそう言いながら向かいの椅子を引いてそれに座った。

「あっ、いや、小説を……」

 私はセリナの顔を上手く見れなかった。顔色を伺うように一瞬だけセリナの目を見たがすぐに反らしてしまった。そしてしどろもどろで手に持った文庫本に目を落としながらそう答えるのがやっとだった。


「ちょっとその本見せてもらって、いい?」

 セリナは私のおどおどとした態度から何かを察したのか、柔和で穏やかな口調になってそう言った。

「あっ……はい。大丈夫です……」

 人見知りせずに、すぐに知らない他人と距離を詰めようと迷いなく行動できる人は羨ましいなと思いながら、私は文庫本をセリナの方へと差し出した。


「私、小説なんて読んだことないや」

 セリナは文庫本を手に取ると表紙を見ながらそう言った。『イン・ザ・ミソスープ』の不気味な表紙がセリナの目に飛び込む。こんな本を読んでいるなんて危ない奴だ。そう思われてしまうだろうか。


「イン・ザ・ミソスープか……お味噌汁お味噌汁……」

 そう小声で呟きながらセリナは素早くページをパラパラとめくっていく。

「あったあった。これだ」

 セリナはそう淡々と言って、ページに挟んであった、私が栞代わりに使っている一枚の写真を手に取った。

 セリナは写真を私に見せながら「ねぇ。これ何?」と聞いてきた。


「これは本を買った時に挟まってて……」


 この本を手に入れてから読み進めて行くと、序盤の方のページにその写真が挟まれていたことに気づいた。おそらく前の持ち主が写真を挟んだまま古本屋に売ってしまったのだろう。

 写真には優しげに微笑む一人の女性のバストアップが写し出されていた。どこかの砂浜で海をバックにして撮られたものだ。女性はおそらく二十代、髪は茶髪でパーマがかかっていて、肌は綺麗な小麦色をしていた。

 この女性が、本の前の持ち主なのだろうか。

 詳しいことは知る由もないが、この写真を見ているとなぜだかノスタルジーで胸を締め付けられるような気持ちになったのだ。

 私はこの写真が気に入ってしまい、栞代わりにずっと使っていた。

 この写真がいったいなんだというのだろうか。


「ねぇ、この写真。お祓いか何かしてもらった方がいいよ」

 思いがけない言葉に私は思わずセリナの顔を見た。

 セリナは険しい表情をしていた。刺すような鋭い眼差しが私に突き刺さった。


「えっ……。どういうことですか……」

「この写真ね。たぶんだけど、呪われてる……」


 セリナは声のトーンを一段低くして、そう私に告げた。


 



 



 


 

 

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