第10話 土曜日
午前九時。起床。
ほとんど眠れなかった。
眠ろうとしても、つい頭の中で何度も何度も計画をシミュレーションしてしまう。
それでも上手く出来る気がしなかった。
不安のせいで余計眠気から遠ざかった。
でもやるしかない。
スマホを見るとマナミからラインのメッセージが届いていた。
〈今日は練習試合だよ〉〈がんばる〉
〈がんばれ!セリナさんはいる?〉
私がそう返信するとすぐにマナミからメッセージが届いた。
〈いるよ!〉〈ねぇ! セリナ先輩取らないでよ!〉
顔を真っ赤にして怒っているアニメキャラクターのスタンプが添えられていた。
それを見て少し気持ちが和んだ。
そしてやる気が湧いてきた。
いつも通り夕方にお祖父ちゃんのお屋敷に行き計画を実行する事にした。
まず事前にお祖父ちゃんに電話をして、手伝って欲しい事があるから家に絶対いてねと伝えておかなければならない。
私が変な事をする意思はないと、お祖父ちゃんを油断させるためだ。
それにユズハの首輪を外すためにお祖父ちゃんの力が絶対必要なのだ───。
顔を洗い、歯を磨いてコーヒーを飲む。その後少し落ち着いてからお祖父ちゃんの家に電話をかけた。
怪しまれないようにいつも通りの雰囲気で話さなければいけない。そう意識すると途端に緊張で胸が痛くなる。
呼出音を聞きながら深呼吸をする。
八回目の呼出音の後、お祖父ちゃんが電話に出た。
「もしもし。私だけど。あのね……」
つつがなく自然に要件は伝えられた気がする。
お祖父ちゃんの口ぶりもいつも通りでおかしい所はなかった。
第一関門を突破して少し自信が湧いてきた。
午後四時、家を出た。
自転車でお祖父ちゃんのお屋敷に向かう。
バッグの中には昨日帰りにホームセンターで買ったナイフを忍ばせてある。御守りみたいなものだ。
途中コンビニに寄って、パンを買った。
今日はハムとチーズが上に乗ったパンにした。
お祖父ちゃんのお屋敷に着いた。
自転車をなるべく物置の近くまで持っていきたい誘惑に駆られる。でもそんな事をしてお祖父ちゃんに怪しまれてはいけない。
いつも通り、お屋敷の出入口付近に置いた。
「お祖父ちゃんいる?」
玄関からお祖父ちゃんを大きな声で呼んだ。
すぐにお祖父ちゃんが中から出たきた。
「俺を呼ぶなんて珍しいな。お前が小さい時を思い出したわ」
お祖父ちゃんは上機嫌だった。
お祖父ちゃんにとって私はかわいいかわいい孫だった。そんな事は忘れかけていた。
でも、もうすぐ、そんなかわいい孫はお祖父ちゃんを裏切る。そこに心苦しさがないといえば嘘になるが。
「お祖父ちゃん、この前私言ったじゃん。ユズハをお風呂に入れてあげたいって。今日は駄目かな?」
お祖父ちゃんは少し困ったように頬を指で掻いた。
「ねぇ。お願い!大丈夫、お風呂の近くでお祖父ちゃん見張ってていいからさ」
私は少しぶりっ子な口調で両手を合わせて頼み込んだ。
「分かった分かった。確かに綺麗にしてあげなくちゃかわいそうだな。ちょっと待っててな。鍵持ってくるわ」
そう言ってお祖父ちゃんは家の中に入っていった。
しばらくすると鍵を手に持ってこちらにやってきた。そしてつっかけのサンダルを履いて外へと出ていく。
裏庭の物置まで、私はその後ろをついていく。
その途中、地面に落ちている手のひらより少し大きな石を拾った。
それを右手でしっかり掴んで、後ろに手を回し背中に隠した。
物置の扉は少しだけ開いていた。扇風機の風を中に入れるためだ。
お祖父ちゃんが扉を全開にする。
カナコは奇声を上げて後ずさった。
お祖父ちゃんはしゃがんでカナコの首輪を外そうとしている。
私はお祖父ちゃんの斜め後ろに立ってその様子を伺った。
お祖父ちゃんが鍵を回す。首輪が緩む。
お祖父ちゃんがカナコから首輪を外すのを私は確認した。
今だ。
「お祖父ちゃんごめんなさい!」
私は右手に掴んだ石で、お祖父ちゃんの頭を思い切り殴打した。
お祖父ちゃんは叫び声を上げ、頭を押さえながらうずくまった。すぐに体から力が抜けたのが分かった。気を失ったようだ。
私はお祖父ちゃんの手首を掴んで思い切り引っ張り、物置の外へと引きずり出そうと試みた。
カナコの足首を結んでいるロープをほどくのにスペースがいるし、きっと歩けないカナコを物置の外へと連れ出すのにもお祖父ちゃんが邪魔になるからだ。
お祖父ちゃんの体は華奢だが想像よりもだいぶ重たい。
苦労していると、カナコが手錠で繋がれた両手をお祖父ちゃんの体に押し付けているのが分かった。
「手伝ってくれるの?」
息を切らしながら私が言うと、カナコは頭を上下に激しく振って頷いた。
せーので息を合わせて、私は引っ張りカナコは押した。
何度かそれを繰り返すと、お祖父ちゃんを物置の外へと引きずり出す事に成功した。
これでカナコの両足首を結んでいるロープをほどける。
ロープの巻き付け方は意外なほど単純だった。
結び目が固いがなんとかなりそうな気がした。
焦りと汗で手が滑る。
それでもなんとか数分でロープをほどくのに成功した。
「さぁ行こう。立てる?」
カナコは必死に私の肩に、手錠で繋がれた両手を置いて、そこに体重をかけて立とうとする。
立てた。そう思った次の瞬間にすぐ崩れ落ちてしまった。やはり駄目か。もう三ヶ月も座ったままだ。足の筋力が落ちているのだろう。
「しょうがない。おんぶする」
私はカナコに背を向けてしゃがんだ。
カナコは手錠で繋がれた両手を、輪っかを頭に通すようにしてなんとか私の肩に置いた。
私は全身にありたっけの力を入れて踏ん張り立ち上がった。
私は後ろに手を回してカナコの太もも裏を支えた。
私の背中でカナコの体が少し浮き上がったのが分かった。
公園までこれで行くしかない。覚悟を決めた。
私は歩きだした。
倒れているお祖父ちゃんのすぐ側を通ろうとした時、足元で低く唸るような声がした。
「ま……て……」
私は歩みを早めた。
足首に何かが触れた。足首を掴もうとしたが、すんでの所で逃した。そんな感触だった。
しばらく進んでから、くるっと回転して後ろを振り返った。
うつ伏せに倒れているお祖父ちゃんが立ち上がろうと必死に苦闘しながら叫んだ。
「行かないでくれ! 頼む! 俺を一人にしないでくれええええ!」
叫び声が途絶えた瞬間、お祖父ちゃんは再び地面に倒れこんだ。
そして動かなくなった。
私は複雑な想いを振り切って再び歩き出した。
お屋敷を出て、周りに目もくれず必死に道を歩いた。
土曜日の夕方。不思議なことに一台の車とも、一人の人間ともすれ違わなかった。
物音も聞こえない。カラスの声すら聞こえない。
この街にはもう私とカナコしかいないかのようだった。
どれくらい歩いただろうか。肩も腕も腰も、全身に限界が来ていた。それでも必死に歩いた。
気づくと一本欅公園の滑り台の下に、私とカナコの
はいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます