第8話 金曜日

 重たい体と気持ちを無理やり引きずって学校へ行った。

 教室に入るなりマナミが走ってきて私に正面から抱きついてきた。そして私を軽く抱き締めたまま、

「ねぇ! もう大丈夫なの? やっぱり具合悪かったんじゃん! 心配したよ!」

 そう泣きそうな声で言った。

 マナミに抱き締められてその腕の感触に包まれた瞬間、私の重たい鉛のような心が少しだけ軽くなったのが分かった。

 マナミは私から離れると今度は横に立って、私の腰に手を回し、そのまま席までエスコートしてくれた。


「ライン既読にならないし死んだかと思ったよ」

「ごめんごめん。スマホ見る余裕すらなくて……」

「そんなに大変だったの? 今日よくこれたね」

「一日中死んだみたいに寝てたおかげで良くなったみたい」

「死んだかと思ったっていうのある意味間違いじゃなかったんだ」

 そう言ってマナミはケラケラと笑った。私も釣られて笑った。いつも通りの二人の、心地いい空気感がそこにはあった。マナミといる時だけは、ほっと息をつける。

「そういえばセリナ先輩が伝えたい事があるって言ってたよ」

「うん……」

 面倒な事には関わりたくないと言っていたのに、いったいなんだろう。

 

 昼休み、三年三組の教室に行った。

 私に気づいた女子生徒の一人がセリナさんに「年下の彼女来たよ」と冷やかしの声を掛けた。

 セリナさんは私の方をチラッと一目見ると「そんなんじゃないってば」と言いながら颯爽と立ち上がった。早足で私の所へ来ると「じゃあまた部室で話そうか」そう言って教室を出ていく。私はそれについて行く。

 セリナさんは動きに無駄がなくて身のこなしがスマートだ。どこかおどおどとしてぎこちない私とは大違いだった。

 周囲の生徒たちがニヤニヤと私たちの方を見ながら小声で何かを話している。変な噂が広まっていると厄介だなと思ったけど、そんな事は気にしていられない。


 部室に到着し中に入る。


「体調悪かったみたいだけどもう大丈夫なの?」

「なんとか大丈夫です。さっそくなんですけど伝えたい事って何ですか?」

「いきなりだね。あのね。面白い物発見したんだ」

 私の苦しみと不安をよそにセリナさんはどこか楽しそうだった。笑みを浮かべていた。それが少し癪にさわった。

「なんですか面白い事って」

 語気にセリナさんに対する苛立ちが現れてしまう。

 セリナさんは私のそんな苛立ちなど意に介さず、笑みを浮かべたまま「これ見て」と壁に貼られている写真を指差した。

 歴代の女子バドミントン部員たちが写った集合写真の中の一枚だった。体育館でラケットを持った白いユニフォーム姿の女子たちが数人で整列している。

 古ぼけて色褪せている。だいぶ昔に撮られた写真だった。

「この人見て。ねぇ見覚えない?」

 一列五人で三列。その三列目一番右端の部員をセリナさんは指差した。

 私は写真に顔を近づけた。

「これ……」

 現在の姿よりとてもあどけないが、目鼻立ちがほとんど一緒だから一目で分かった。

「この人、あなたが物置に隠してお世話してる女の人じゃない?」

 ユズハ。いや、中学生の頃の松下タカコだ。


「何気なく壁の写真眺めてたらあれっ? って思ったの。あなたを霊視したときに見た顔だって思ってさ。この人の名前知ってる?」

「松下タカコさん……」

 セリナさんは写真を差した指を今度は私に向けると「ビンゴ!」そう言った。


「実はこの写真に、今私たちの顧問やってる長浜先生も写ってるのよ。元々うちの中学出身で巡りめぐって母校の先生になったんだけど。それで長浜先生にこの人の名前覚えてますかって聞いたら、松下タカコさんだって」


 驚いた。凄い偶然だと思った。その事を私は自然と声に出して呟いていた。


「確かに凄い偶然だね。でもただの偶然とも私は思えないの」

 セリナさんの声色が、さっきまでの楽しそうな声から打って変わって急に神妙さを帯びた。

 私は思わずセリナさんの顔を見た。微笑みは消えていた。


「あなたが女子バドミントン部に代々伝わる一本欅公園の話を聞いて、それが松下タカコさんを救う手段だと思ったって、それってさ、気づかないうちに見えない何かに導かれてるってことじゃない?」

「どういうことですか?」

「松下タカコさんが、あの話に何か関係してるんじゃない? 松下タカコさんが広めた話だったりとか、松下タカコさんの何かの行動によってあの話が生まれたとか、そういう可能性があるんじゃないかなって」


 私が見えない何かに導かれている?

 そんな事があるのだろうか。でも────

 私が一本欅公園の話がユズハ、いや松下タカコを救う手段だと確信したことに理由なんてない。

 ただの直感でしかないのだ。

 直感でしかない以上、見えない何かに導かれているという仮説は否定したくても否定できないのは確かだった。

 

「長浜先生に聞いてみたの。一本欅公園の話の事。そしたら何も知らないって。そんな話、悪ふざけで作られた話だからって言われておしまいだった」

「何か隠してるんですかね?」

「さぁね」


 セリナさんは腕組みをして口を尖らせた。


「私、この間は面倒に関わるのは嫌だって言ったけど、ちょっと興味湧いて来てるのよね。一本欅公園の話の事も、あなたとお祖父さんと松下タカコさんの事も」

 セリナさんは私に近づくと、私の頭頂部に右手を置いて目を閉じた。

 何かを視ているのか。私の身体が強張った。


「うん……初めて会った日に視た物以上の事は何も分からないわ……」

 セリナさんは落胆したようにそう言って目を開けた。

「直接松下タカコさんに会って霊視すれば何か分かるかもだけど……」

 再びセリナさんは腕を組んで今度は眉間に皺を寄せた。何かを思案しているようだった。


「駄目だ駄目だ駄目だ。やっぱり駄目だ。無理無理無理。面倒にはやっぱり関わりたくない。ごめんね。あとはあなたに任せるわ。ごめんごめん」


 慌てた様子でセリナさんはそう言うと、部室の扉を開け私を外へと促すように腕を広げた。

 私は素直に従った。


「気をつけてね。もし本当に実行するなら」


 会釈をして去ろうとする私にセリナさんはそう一言だけ優しく声を掛けてくれた。


 



 







 

 

 

 


 


 

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