第6話 水曜日2
「べ、別に可愛がってる訳じゃないです! お祖父ちゃんから私はただお世話を頼まれてるだけで!」
私の顔が真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
「なんでそんなに動揺してるの? 別に私はあなたがどういうつもりでその女の人のお世話をしてるかなんて、そんな事はどうでもいい。ただ今の状況はどう考えても異常だよ」
どうして私は動揺しているのだろう。ユズハが中年の女の人だから何だっていうのだろう。私は私の気持ちが分からない。
「お願いです! 私たちのことは放っておいてください! そして秘密にしててください!」
私はもう一度思い切り頭を下げた。
「いいよ。黙っててあげる。まぁ面倒には関わりたくないし」
セリナさんの口調は一貫して冷静で、落ち着いた雰囲気を崩さない。
「ありがとうございます……」
「でもね。やっぱり異常だよ今の状況は。あなたがするべきは警察に通報して女の人を解放してあげること。助けてあげることだよ。あなたが考えてる馬鹿みたいな方法じゃない」
セリナさんの言う事は正論すぎるくらい正論だ。
でもやっぱりユズハを本当の意味で救うのは、一本欅公園でヒロミチ君に連れていってもらうことだと私は信じている。絶対にそうじゃなくちゃいけない……。
「まぁ最終的には好きにすればいいけどね。もう昼休み終わっちゃう。行かなけゃ」
そう言うとセリナさんは扉を開けて、私を外へと促した。
私は促されるまま外へ出た。部室の中に入るまでは確かに晴れていたのに、ほんの少しの間に空は重たい灰色に変わっていた。
私は黙って会釈をした。セリナさんは「じゃあね」とだけ言った。私はひとりで走って教室へと戻った。
放課後。
物置の扉を開けると今日もユズハが勢い良く私の方へと向かってきた。
ユズハの髪を手でとかしながら、私はユズハの顔をまじまじと見つめた。
肌に、私より何年も長く生きてきた証が刻まれているのが見て取れた。
目尻、おでこ、口元に皺があった。
手の甲や腕を見る。皮膚はごわついていてハリや艶もあまりない。そこにもやっぱり皺がある。汚れているからそう見えるのかもしれない。それでも私よりだいぶ歳上の人の肌だと分かった。
「ユズハ、今日も練習するよ。いっ、しょ、に、し、のう……」
ユズハは嬉しそうに涎を滴しながら言葉を発した。
「いいいいっ、じょおおお、でぃぃぃ、し、ぼおおおう!」
だいぶ上達してきた気がする。もうすぐきっと話せるようになる。
もう少し。もう少しだ。
背後でガサゴソと音がした。
振り返るとお祖父ちゃんが扇風機を持って佇んでいた。
「この間言ってたろう。扇風機持ってきたぞ」
「ありがとうお祖父ちゃん」
「ちょっと待っててな。延長コード引っ張ってくるから」
私はお祖父ちゃんから扇風機を受け取ると物置の扉の側に置いた。
ユズハはお祖父ちゃんの姿を見て物置の奥へと隠れていたけど、すぐにまた表に出てきた。
「良かったね。これでちょっとは涼しいよ」
ユズハはきょとんとした表情でじっと扇風機を見つめていた。ユズハは何を考えているんだろう。本当の所はどうしたいのだろう。
私を殺して。そう言っているのは本心なのだろうか。今の状況が永遠に続くならいっそ死んでしまった方が楽だから殺してほしいということなんだろうか。出来ることなら生きて家に帰りたいのだろうか。
部室でのセリナさんの言葉を思い出す。
私は間違っているんだろうか。いや、そんな事を考えるまでもなくきっと私は間違っているのだ。
でも、それでも────
頭では分かっている。でもやっぱり────
「持ってきたぞコード」
お祖父ちゃんが長い長い延長コードを地面に引きずりながら戻ってきた。
私はお祖父ちゃんの手からコードを強引に引き取って、扇風機のコンセントを延長コードに差し込んだ。
そしてスイッチを入れる。羽が回転して、風がユズ
ハの髪をなびかせた。
ユズハは甲高い奇声を上げた。喜んでいるのだろうか。
私はそんなユズハの姿を見ながらお祖父ちゃんに問いかけた。
「ねぇお祖父ちゃん。ユズハをどこからさらってきたの?」
「どこって……家によく来てくれてた人だよ。独り暮らしの老人の様子を見にいく仕事をしてた人だった」
私の胸がチクりと痛んだ。ユズハは立派な仕事をしていた。きちんと社会の一員として生活していた。今のユズハの姿からは想像するのは難しいけれど。
「家族は? 家族はいたの?」
「さぁな。そこまでは知らん」
「ユズハの本当の名前は? 本当の名前は知ってる?」
私の声は震えていた。ユズハはユズハじゃない。ユズハは私が勝手につけた名前。忘れたふりをしていた紛れもない事実。
「なんだっけなぁ……あっ、そうだそうだ確か、松下タカコさんだったな」
松下タカコ。それがユズハの本当の名前。
「ユズハって名前もいい名前だよな」
お祖父ちゃんの口調に、まだまともだった時の温かみと優しさが戻った気がした。
私はそんなお祖父ちゃんの声を聞いて、何故だか涙がこみ上げてくるのを感じていた。
「ユズハのことはもう忘れろ。お前のせいじゃない」
お祖父ちゃんは優しくそう言って私の肩に手を置いた。
私は涙を必死に堪えていた。
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