第4話 火曜日2

 放課後。

 コンビニでいつもの食料と一緒に、二リットル入ったミネラルウォーターのペットボトルを三本と、汗拭きシートを買って、ユズハの所へ行った。

 物置を開けるとユズハがいつもよりも勢い良く私の方へと向かってきた。人懐っこい犬みたいでかわいらしいと私は思ってしまった。

 私の腕にユズハは頬を擦りつけてきた。ひどく汚れた髪が私の制服の袖の一面に、細かく白い粒をびっしりと降らせた。

 だけど不思議と私はその事に嫌悪の感情など湧かなかった。どちらかといえば神経質な方で綺麗好きであるという自覚があったのに。

 私はまず、いつもみたいにパンをユズハに差し出した。今日は上に大きなソーセージが乗ったパンにした。ユズハはそれに一目散に食らいついた。


「ユズハ。今日は汗拭きシート買ってきたよ。ちょっとは綺麗になるね」


 私は湿ったシートを一枚手に取り、それでユズハの二の腕をすっと撫でた。

「あっ!」

 ユズハが声を上げた。

 汗拭きシートの水分とアルコールのひんやりとした感触がユズハを刺激したみたいだった。

 口の中に詰まったパンとソーセージの奥から、人間らしい女の子の声が漏れ出てきた。

 今まで聞いていたユズハの声は獣みたいだった。

 でも今ユズハが出した声は、確かに現代に生きた人間の、私と変わらない普通の女の子の声だった。

 私の胸にチクリとした痛みが何故か走った。


 私はシートでユズハの全身をまんべんなく丁寧に拭いていった。三ヶ月分の汚れがシートを真っ黒にする。すぐにユズハは慣れたのか声を出さなくなった。

 最後に顔を拭く。ユズハは所在なさげに視線をあちこちに動かした。私はシートをユズハのおでこに滑らせながらユズハに語りかけることにした。


「ユズハ、あのね。この近くに公園があってね。そこの滑り台のてっぺんから一緒に死のうって呟くと、ヒロミチ君って子があの世に連れていってくれるんだって。バドミントン部の子から聞いたの」

 ユズハの所在なさげだった視線が、私の顔に向かって留まったのが分かった。

 私は手を止めユズハの目を見た。微かに光があった。そして穏やかだ。私はユズハの目を見たまま続けた。


「ユズハ、私を殺してっていつも言ってるでしょ。でも私には出来ないよ。ユズハを殺すことなんて。そんな勇気ないもん」

 ユズハの目の微かな光が消えていく気がした。

「でも大丈夫。私がお祖父ちゃんの目を盗んでユズハを公園に連れていってあげる。それで滑り台の上からヒロミチ君に話しかけるの。一緒に死のうって。そうすればユズハをヒロミチ君があの世に連れていってくれるんだよ」

 ユズハの視線が再び所在なさげにあちこちに散らばった。そして体を左右に揺さぶり始めた。そして声を出した。


「べっ、びょっ、でぃぃぃ、じ、ぼぉぉ……べっ、びょっ、でぃぃぃぃぃぃ、じ、ぼおおおお!」


「そう! 上手だよユズハ! いっ、しょ、に、し、のう。だよ!」


 ユズハはまるで激しいロックに体を揺らすコンサート観客みたいに上半身をジタバタさせながら声を出し続けた。


「べっ、びょっ、でぃぃぃ、じ、のおおおおおお!」


 私はそんなユズハの姿を見て声を上げて笑った。

 ユズハが甲高い奇声を上げた。

 きっと私と同じように笑っているんだろうと思った。


 しばらくするとユズハは疲れたのか、動きを止めて物置の床に寝転んだ。

 私はユズハの顔の拭き残した部分をシートで丁寧に拭いた。


「どうユズハ。少しは気持ち良くなったんじゃない?」

 私が訊ねるとユズハはこくっと一度だけ頷いた。

「じゃあ私帰るね。また明日」

 そう言って立ち上がり後ろを振り返ると、今日は出掛けて夜遅くまで家にいないはずだったお祖父ちゃんがいた。

 手に斧を持っていた。

 心臓が飛び出そうになった。


「ずいぶん楽しそうだったなぁ」

 お祖父ちゃんはどんよりと沈んだ暗い目でそう呟いた。

「お祖父ちゃんいつからいたの? 出掛けたんじゃなかったの? いたなら話しかけてくれればいいのに」

「いやぁ。楽しそうだったから邪魔しちゃ悪いと思ってな」

「お祖父ちゃんその斧で何するの?」

「えっ? あぁ。斧で何しようと思ったんだっけなぁ。忘れてしまったわ。年取ると物忘れ多くていかんね」

 そう言うとお祖父ちゃんは暗い目のまま声を出してケラケラと笑った。

 その姿がとても恐ろしかった。


「じゃあ、私帰るね」

 私はユズハの身に恐ろしい事が起きないように祈りながらその場から逃げた。

 出口に向かう途中。背後でユズハの悲鳴が聞こえた。

 私は震える足をなんとか動かして家へと帰った。

 

 お祖父ちゃんは私がユズハに話した公園の話を聞いただろうか。

 私がお祖父ちゃんの目を盗んでユズハを連れ出す計画をしている事を知ってしまっただろうか。

 もし聞いていたらお祖父ちゃんはどう思い、どう行動するだろう。

 私の頭の中は恐ろしい想像でいっぱいになった。


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