第3話 火曜日
翌日。少しいつもより早く家を出て、学校に行く途中に一本欅公園に立ち寄った。
朝早い時間だからか誰も人はいない。カラスの鳴き声が聞こえるだけで、とても静かだ。
私は公園の入り口に自転車を置いて、滑り台の階段を昇る。滑り台に触れるなんていつ以来だろう。
久々に触れたそれは、手すりも足の踏み場も、中学生に成長した私には少し頼りなく感じた。
所々に付着した錆がその頼りなさに拍車をかける。
ユズハはこの階段を登れるだろうか。
ずっと閉じ込められいて歩いていないのだから、足の筋力は相当に落ちているはずだ。
もしユズハが自力で登れなければ、私が支えてあげるしかない。
果たして私にそれが出来るだろうか。何か良い方法を考えておかなくちゃいけないかもしれない。
てっぺんまで登って右を見ると欅の木がある。今までその存在をはっきりと意識する事はなかった。こうやって改めて欅にしっかりと向き合って意識して見てみると、その雄大さに圧倒される。そしてその雄大さが、少し怖い。
細かく枝が入り組み、青々とした葉っぱを広げているゾーンは、この世の物とは思えない異様で禍々しい雰囲気を漂わせている気がした。気を抜くと吸い込まれてしまいそうだ。
この世とあの世をこの欅の木が繋げているのだとしても何も不思議じゃない。そう思えて来る。
「あなた何やってるの? 駄目だよ! 言わないで!」
しばらく欅の木をぼんやり眺めていると、女の人の叫ぶ声が聞こえた。明らかに私に向かって叫んでいた。私は声が聞こえてきた方向を見た。
そこにいたのは、私と同じ制服を着たショートカットの背の高いスタイルの良い女の子だった。同じ中学の子なのは分かったけれど知らない子だった。
女の子が滑り台の方へと近づいてくる。
私と同じ制服だけどスカーフの色が違った。
私の中学の、女子の制服は学年ごとにスカーフの色が違う。
私は二年だからグレーだけど、その女の子はエンジだった。三年生だ。
三年生の女の子が私の方を見上げて、話しかけてきた。
「もしかしてあなた言おうとしてない? 一緒に死のうって」
私は下を見て少し驚きながら、
「バドミントン部に代々伝わってる怖い話の事知ってるんですか?」
そう答えた。
「だって私、バドミントン部だもん」
三年生の女の子の表情は少し強ばっていた。
私は滑り台から降りて、三年生の女の子の前に立つ。
「私、バドミントン部のマナミと同じクラスで友達の中村って言います」
そう言って私はお辞儀をした。
三年生の女の子は「マナミの友達? そうなんだ」
と言うと強ばった表情を少し和らげた。
「私は横山セリナ。あの話マナミから聞いたんだ?」
「はい。それで私、怖い話が好きなので、ちょっと興味が湧いて、滑り台に登ってそこから木を見てみようと思って。それで……」
私は真意を隠してそう適当に答えた。セリナさんは表情をさらに和らげた。
「せっかくなんで、一緒に学校行きながらあの怖い話の事もっと詳しく聞かせてくれませんか?」
私が精一杯明るい声を作ってそう言うと、セリナさんは笑顔で「うん。いいよ」そう言った。
私とセリナさんは自転車でゆっくりと並走しながら学校へと向かう。
「今日は朝練ないんですか? マナミはいつも朝練で私よりだいぶ早く登校してるみたいですけど」
「今日はちょっと用事があって朝練休んだの。ん? あの話について聞きたいんじゃなかったっけ?」
軽く違う話題を挟んだ方がいいかと思ったけどそんな事はなかったみたいだ。
セリナさんと話すのは初めてなのに、ぎこちなさや話しづらさをまったく感じなかった。友達みたいに話しやすい。私は本題に入った。
「はい。誰か実際に一緒に死のうって滑り台で言った人いるんですか?」
「分からない。でも絶対に言っちゃ駄目だよ。一緒に死のうって」
「セリナさんは信じてるんですか。その、ヒロミチ君の事」
「信じてない。信じてないよ。あなたは信じるの? あんな馬鹿みたいな話」
確かに馬鹿みたいな話だし、話を信じてユズハに実行させようとしているのも、冷静に考えれば馬鹿みたいな行為だ。
でも私は、あの話がユズハを救済する唯一の方法だという確信を、一瞬にして持ってしまったから行動している。
自分でも訳が分からないけれど、その直感めいた確信に突き動かされている。
「私は……ちょっとだけ信じたいんです……」
何も知らないセリナさんからすれば不自然に感じるであろう切実さが、私の口調にこもっているのが自分でも分かった。
「そうか……。私さっきあんな馬鹿みたいな話信じてないって言ったけど、でもあの欅の木から不気味な気をいつも感じてるんだ」
私はセリナさんの言葉を聞いて鳥肌がたった。
「霊感あるんですか?」
「はっきりと幽霊とかオバケが見えるわけじゃないの。でも不気味だなと思ってた交差点で交通事故が起こったりするのね。ある日隣の家から不気味な気を感じるなと思ったら、次の日その隣の家、火事になったんだ」
「本当ですか?」
「本当だよ。霊視みたいなやつもちょっと出来る。あなた、でっかい古いお家の庭に何か隠してない?」
私の心臓が大きく身震いした。思わず叫びそうになった。それを必死に堪えて、
「ちょっと身に覚えないですね……」
そう言うのが精一杯だった。
「そうか。まぁ外れることもある!」
そう言ってセリナさん声を出して笑った。しばらくして笑うのをやめると、セリナさんは声のトーンを落として真剣な口調で話し始めた。
「滑り台の上にいるあなたを見た時、私のあてにならない霊視力があの子はヤバいって感じさせたの。だから話しかけた。ヤバい女の子とヤバい欅の木の組み合わせはロクな事にならないって思って」
私の心臓の身震いは収まらない。それどころか、さらに激しさを増した。
セリナさんはさらに続ける。
「もしあなたがあの話を知っていて、一緒に死のうって口に出したら、きっとよくない事が起こるって気がしたの。矛盾してるよね。あんな馬鹿みたいな話信じてないって言ったのにこんな事に言うの」
私は何も言えなくなっていた。気づいたら校門が目前に迫っていた。
私は何とか必死に絞り出して、セリナさんに最後の質問をした。
「ヒロミチ君って本当にいたんですか?いじめられて首を……」
「さあ? どうなんだろうね。なんであの話が代々女子バドミントン部で言い伝えられてきたのか誰も知らないのよ。謎なんだ。でもきっと何かあるんだろうね。女子バドミントン部と関係してる事が」
校内に入り私もセリナさんも自転車を降りて歩きだす。
「セリナおはよう!」
三年生の女の子がセリナさんに駆け寄ってきた。セリナさんの友達だろうか。そのセリナさんの友達は私の顔を不思議そうに見つめた。
セリナさんはその女の子に挨拶を返すと、
「じゃあね。また何か聞きたいことあったらいつでも聞きに来てね。マナミに言ってくれればいつでも相談乗るから」
そう言うとセリナさんは私に手を振って、私から離れて友達と行ってしまった。
私はその背中を黙って見送った。
私の心臓の身震いはまだまだ収まりそうもなかった。
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