ゲーム返して五木さん!

 学校から帰宅するや否や、オサムはランドセルを投げ捨てて勉強机の引き出しを開けた。目的はたった一つ。ゲームである。つい先日両親に勝ってもらったばかりのゲーム機で、流行りの色塗りをするのだ。まだ父親の都合がついておらず、オンライン接続はできていない。本来であればオンライン対戦を主に楽しむゲームなのだが、オサムはまだオフラインである。

 にもかかわらず、彼にとってゲームで遊ぶ時間は何にも代えがたい特別な時間となっていた。早く遊びたい。その一心で学校生活を送り、早く遊びたい。その一心でまっすぐ帰宅する。

 そして無事、彼はゲーム機を手に取り遊ぶことができるのだ。

 と思いきや、引き出しを開けたままオサムは固まってしまった。

「……ない」

 そう。彼が心待ちにしていたゲーム機が、なんと引き出しの中から忽然と姿を消していたのだ。一瞬の静寂、彼の脳内で昨日の出来事が思い出される。

 昨日はいったいどこで遊んでいただろうか。確か、リビングでテレビを見ながらゲームをしていた。そうだ、ソファーに寝そべって遊んでいたはず。

 オサムは慌ててリビングへ足を運んだ。今日はゲームがしたくて早く家に帰ったのだ。早く見つけなくては本末転倒じゃないか。

 ところが、リビングを探してみても一向にゲーム機が見当たらない。

「どうして、ゲーム機がない」

 オサムは目に涙を浮かべつつソファーの隙間に手を入れてみたりした。テレビの舌に滑り込んだのだろうかと、頬を地面にこすりつけて目を皿のようにする。それでも見つからない。どうしてだろう。

 オサムは再び昨日の出来事を思い出した。

 たしか、リビングでゲームをしていたらママに怒られたはずだ。そんな体制でゲームばっかしてると目が悪くなりますよ、と母に言われた言葉を反芻する。小言が始まりそうだったので、オサムはゲーム機を持ってトイレに駆け込んだんだ。

 そうだ、トイレでうんちのふりをしながらゲームをしていた。きっとそのまま置きっぱなしにしたんだ。

 オサムは慌ててトイレへと向かった。

 便器の上、トイレットペーパーが収納されている棚、掃除用具入れ、どこを探しても見当たらない。やっぱり見つからない。どうしてだろう。

「ここにもない、えっとええっと、トイレでゲームしてて、どうなったんだっけ」

 再び記憶を呼び起こしてみよう。確か、トイレで遊んでたらすぐにノックされたんだ。父だ。父がトイレに行きたいから早く出てくれって言われて。それからどうしたっけ。

 そうだ、トイレから出たと同時に、お風呂に入っておいでと父に言われたんだ。オサムはそのままパパの言うことを聞いてお風呂に入って……。

「もしかして僕、お風呂にもっていったんだっけ?」

 オサムは冷や汗を零した。ゲーム機は水に弱い。それは小学生でも知っている常識だ。にもかかわらず、もしかしたら昨日のオサムはゲームをしたいがあまりにお風呂場までゲーム機を持ち込んでしまったのかもしれない。

「どうしよう、どうしよう、早く見つけないと!」

 オサムは慌てた。脱衣所に向かい、昨日脱ぎ捨てた服を探す。洗濯機の中は空っぽだ。もしやと思い乾燥機を開けてみると、そこにはすっかり乾いた昨日の服たちが絡まっていた。

「こ、この中にあるのかな」

 オサムは慌てて服を漁る。全部出して確かめるのも億劫だった。彼は手指の感覚に集中し、固いものを必死に探した。どこかにゲーム機は無いだろうか。結構大きめのゲーム機だ。もし紛れ込んでいるのであれば、きっとすぐに見つかるはず。

 ところが、どこにもゲーム機は無い。やはりここにはないらしい。流石のオサムといえども、ゲーム機を洗濯機に誤って入れてしまうような真似はしなかったということだ。

「じゃあ、どこに……」

 まさかお風呂場にまで持ち込んではいないはず。と思いつつも、念のため。バスタオルが並べられている棚にも、洗面台にもゲーム機は無い。お風呂場の桶や、湯船の中も大丈夫だ。チェックを終えたオサムは再び昨日の記憶にさかのぼった。

「思い出せ、僕、どこに置いたっけ」

 確か、そうだ思い出した。お風呂に入る前に着替えを取りにいったん自分の部屋に戻ったんだ。そして、机の上にゲーム機を置いて……。

「ってことはやっぱり机の上にあるはずじゃん!」

 オサムは慌てて自分の部屋へと戻った。絶対にあるはずだ。無くしていないはずだ。昨日はお風呂から上がって、そのまま眠った。ゲームはしていない。つまり机の上に置きっぱなしということだ。

「引き出しの中に仕舞ったと思い込んでたや」

 オサムは独り言で自分を窘める。ちゃんと基あった場所に片づける習慣をつけていないからこうなるんだぞと、自分に言い聞かせるように。

 ところが、オサムは机の上をガサガサと漁りつつ絶望した。

「やっぱり、ない」

 そう。無いのだ。仮に机の上に置きっぱなしであれば、帰宅と同時に目につくはずだ。何せゲームで遊ぶことを心待ちにしていたんだから。それでも見つからないということは、可能性はただ一つ。

 オサムは目を閉じた。呼吸を落ち着かせて、聞こえてくる音に集中する。

 独特のインクを発射する音と、かっこいい音楽が聞こえた。場所は、やっぱり押し入れの中。

「五木さん! 僕のゲーム勝手に遊んでるでしょ!」

 オサムはそう叫びつつ、押し入れの戸を勢いよく開けた。

 そこには、ぶかぶかのシャツと短すぎるホットパンツを身に着けた色白の女性が。五木さんが座っていた。彼女は冬用布団の上に胡坐をかいて、真っ暗な押し入れの中ゲーム機の光を顔面に受けつつニマニマと笑っている。

「あちゃー、バレちゃったかぁ」

「もー! 楽しみにしていたのに!」

「別にいいじゃん、お姉さんも遊んでみたかったんだもーん」

 五木さんはそう言って笑うと、ゲーム機の画面をオサムに見せた。

「じゃーん、実はストーリーモード、全クリしました!」

 彼女の見せた画面には、解放されたマップが表示されている。オサムは昨日の段階でまだ一面しかクリアしていなかったはず。

「え……うそでしょ」

 オサムの表情から血の気が引いた。まだオフライン環境でしか遊ぶことのできない彼にとって、ストーリー攻略こそが楽しみだったというのに。

「そんな……ひどいよ」

 オサムの目に涙が浮かぶ。それを見て、五木さんはニヤニヤと笑いながらオサムの頭を撫でた。

「ねぇ、嬉しい? 私が全部クリアしといてあげたんだよ。嬉しい?」

「嬉しくないよ! 五木さんのバカ!」

 オサムは彼女の手を強く振り払うと、涙をぬぐってゲーム機を奪い返す。

「楽しみにしていたのに!」

「あー、ごめん」

 五木さんは表情を暗くし頭を下げた。

「ごめんですまないよ! だって、もうネタバレされたようなもんじゃないか! どんな敵が出てくるのかとか、どんなストーリーが展開されるのかとか、とっても楽しみにしていたのに! 五木さんが勝手にクリアしたから、もう楽しめないじゃん!」

「いや、あのね」

「五木さんのバカ! もう知らない!」

「ちが、ちょっと待ってオサム君」

「やだやだやだやだ!」

 オサムは五木さんを振り払うと布団の中にくるまってしまった。手に持っていたゲーム機も、もう遊ぶ気が無くなってしまったのだろうか、枕の上に投げ捨てて。

「えっと……」

 五木さんはそっとオサムの隣に腰掛けて、うずくまる彼の背中をさすりながら優しく声をかける。

「ごめんねオサム君、びっくりしたよね。驚いたよね。ほんとごめん。ちょっと今回はやりすぎちゃったや」

 いつもは意地悪なことばかりして挑発する五木さんだったが、今日に限っては態度が違った。やりすぎたと自覚しているのだろう、申し訳なさそうに、オサムの背中をさする彼女はそっとゲーム機に触れた。

「あのね、私もちょっと気になっててさ。だって最近オサム君、私に構うよりずっとゲームばっかりで。そんなに楽しいの? って疑問だったし、それに私にももっと構ってよって不満だったし。だから、ちょっと意地悪したくて」

「……バカ!」

 オサムは泣き止む様子などない。それでも、五木さんは彼を撫でながら話をつづけた。

「あのね、私もオサム君と共通の話題が欲しかったんだ。それが、勝手にゲームで遊んだキッカケ。本当に、ごめんね。でも、そのあとちょっと意地悪したくなって。それでね、いろいろ調べたら分かったんだけど」

 五木さんはそう言いつつゲーム機を軽く操作し、オサムの毛布を捲った。

 オサムの視界に、ゲーム画面と五木さんの顔が入ってくる。

「ねぇ、見て?」

 彼女に促され、ゲーム画面に目を通してオサムは声を上げた。

「え?」

 そこには、つい昨日遊んでいたオサムのゲームデータが表示されている。まだ一面の第三ステージしかクリアしていないゲーム画面。

「な、なんで?」

「……えへへ、じつは、このゲーム機っていくつもアカウントを作れるみたいなんだ。だから、こっそり私のアカウント作って遊んでたの。全クリしたのは私のデータで、オサム君のデータじゃないから安心していいよ」

「……ほ、本当?」

「うん、本当だよ。ほら、試しに遊んでみてよ」

 オサムは彼女に促されてゲーム機を手に取る。彼女の言う通り、昨日セーブしたときと全く同じ状態だ。

「ほ、本当だ。よかったぁ」

 オサムは嬉しさと安心とで感情がぐちゃぐちゃだった。そんな彼の頭を、優しくぎゅっと抱きしめて、五木さんは口を開く。

「嫌なドッキリしかけてごめんね」

 オサムの頬に、柔らかいものがむぎゅっと押し付けられている。その事実に気づいた彼は、恥ずかしさで顔が熱くなった。

「だ、大丈夫。僕こそ怒りすぎてごめんなさい」

「んーん、オサム君の大切なものなのに。私の配慮が足りなかった。でもねオサム君、これで私の方がオサム君よりこのゲーム詳しいんだよ。もし何か知りたいこととか聞きたいこととかあったら、いつでも相談してね」

 オサムはゆっくり五木さんを引きはがしつつ、頷いた。

「うん、五木さん。ありがとう」

「えへへ、どういたしまして」

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