うまい棒だよ五木さん!
「またな!」
「またね!」
「また明日!」
「せんせーさようなら!」
「今日帰ったらゲームしようぜ!」
小学校の校門からあふれ出た子供たちが、各々口々に挨拶しては四方八方に散っていく。そんな子供たちの群れに紛れて、オサムも下校していた。
オサムの表情は、喜びに満ち溢れている。
それもそのはず。なんと今日はポケットに五十円が入っているのだから。
昨日の夜、食器洗いのお手伝いをしたお駄賃にと、母親からもらったものだ。彼は今日一日それをポケットの中に入れて学校生活を送っていた。理由はたった一つ。帰りに駄菓子屋へ寄るためである。
五十円で何を買おうかな、キャンディーでもいいし、グミも好きだ。そんなことを考えていると、ますます楽しみでいっぱいになっていく。歩くよりスキップ、いや、走った方がいいかもしれない。
そう思い立つや、オサムは地面を蹴って駄菓子屋のある方へ向かった。
いつもはママに「お夕飯食べれなくなるからお菓子は後で」と窘められている。でも今日は、こっそりお菓子を食べちゃうんだ。
彼のわくわくした気持ちは時間を一瞬で消し飛ばしてくれたらしい。
気が付けば、彼は駄菓子屋の前に立っていた。
「よし、何食べようかなぁ」
口の中に唾液があふれてくる。オサムは店頭に並んだ駄菓子を一つ一つ見て回りつつ、どれにしようか頭を抱えていた。
「んー、お姉さんはこれが食べたいかなぁ」
「うまい棒かぁ、美味しいよねぇ……って五木さん!?」
「やっほー、オサム君、奇遇だねぇ」
いつの間にか背後に立っていた五木さんが、ニヤニヤと笑っていた。相変わらずすらりと伸びた長い手足、銀に輝く白い髪、意地悪な表情を浮かべた釣り目の彼女は、オサムの頭をポンっと撫でた。
「今日はいつもよりテンション高いなぁって思ってたら、なるほどそういうことだったんだねぇオサム君」
「な、何のことだよ! 知らないよ! テンション高くないもん!」
「本当かなぁ? 朝から行ってきますの声、とっても大きいからどうしたのかと思っちゃったよお姉さん。でも今理解したなぁ。そっかそっか、オサム君は買い食いするって決めていたから元気だったんだねぇ?」
違うやい! と言いかけたオサムだったが、図星をつかれてしまったためだろうか、ぐぬぬと言葉を飲み込むことしかできなかった。そんな彼を愛おしそうに眺めてから、五木さんはうまい棒のチーズ味を持ち上げる。
「ねぇオサム君、お姉さんにこれ買ってよぉ?」
「え? 嫌だよ! だってこのお金は僕のだもん!」
「えー、そんなこと言わずにさぁ」
「やだやだ! これは僕のだもん!」
「五十円もあったら、うまい棒五本も買えちゃうでしょぉ? そんなに食べたらオサム君、またお夕飯食べれなくてママに怒られちゃうぞ?」
「食べれるもん!」
ムキになって言い返すオサムだったが、ふと何かに気づいて首を傾げた。
「五本?」
「ん?」
「五木さん、うまい棒は五十円じゃ五本も買えないよ?」
オサムの言葉に、五木さんはピタリと表情を硬くした。
「え? なんで……? え、だってうまい棒一本十円でしょ? 五本で五十円……ほら、ぴったりじゃん? え?」
「五木さん、落ち着いて聞いてね」
「……うん?」
「うまい棒は一本、十二円だよ」
「うえぇぇぇぇ!? なんで!? え? 嘘、いつから!?」
「2022年から」
「うえぇぇ!? そうなの!? 知らなかった、え、なんで?」
あまりのことに動揺したのだろう。彼女は上体をのけぞらせたまま口をパクパクさせていた。
「う、うまい棒ドリームが……え、じゃあ、うまい棒換算とか今の子どうしてるの……? ここのコンビニバイト、一時間でうまい棒80本分しか稼げねぇのかぁ、しけてんなぁ! みたいな会話、今の子たちどうしてるの……」
「聞いたことないよそんな会話」
「うまい棒80本分のコンビニバイト、時給800円って分かりやすかったのに……え、今だと960円……2023年10月以降の北海道の最低賃金と一緒……なんか絶妙にリアルな……」
「小学生に伝わらない独り言やめてよ」
「うぅ……だってショックだったんだもん」
「五木さん、いつも引きこもってるからそういう情報入ってこないんじゃない?」
「ひき!? 引きこもってないもん!」
顔を赤くして起こった彼女が地団太を踏む。ショートパンツの隙間から覗く太ももが揺れて、オサムはそっと目線を逸らした。
「私はただ、オサム君の寝室の押し入れに居候してるだけですぅ」
「いつもそこで隠れて出てこないじゃん」
「出る必要がないだけだもん!」
頬を膨らませてプイっとそっぽむく五木さんをよそに、オサムはせんべいへと手を伸ばした。
「あ! ちょっとちょっと、なんでせんべい買おうとしてるの! うまい棒買ってよぉ。せんべいとうまい棒、ほぼ似たようなもんじゃん。うまい棒にしようよぉ!」
「似たようなものだったらせんべいでもいいじゃん!」
「いーやーだー、うまい棒が食べたいのぉ」
「そもそもあげないよって僕言ったよね?」
「えー、やだー。もらいたいー」
「あーげーなーいーのー」
「ちょーだい? ほら、ご褒美にお姉さん、何でも言うこと聞いてあげるから」
突然五木さんはそう言うと、オサムの頬にそっと手を当てて笑う。
「何でもしてあげるよぉ? お姉さん嘘つかないから。ほぉらぁ、何でもしてあげちゃうんだぞぉ?」
よれよれのシャツが重力に従って下がり、五木さんの襟元から艶やかな谷間が覗く。
「オサム君、お姉さんにうまい棒を買ってあげるだけで、ご褒美もらえるんだよぉ? ほぉらぁ?」
「いらないもん!」
オサムは五木さんを両手で突き飛ばしてから、顔を真っ赤にした状態でせんべいに手を伸ばす。
「むー、買ってよぉ」
駄々をこねる五木さんをよそに、オサムはカレー味のせんべいを持ってレジへ向かった。そんな彼の背後で、ぼそりと五木さんが呟く。
「学校帰りに買い食いしてたってママに言いつけてやる……」
「!?」
「いいんだね? 今お姉さんを満足させておかないと、後々後悔するのはオサム君の方なんだからね?」
「ちょ、五木さん!?」
「お姉さん、本気だからね。覚悟はできているんだよね?」
「ちょ、本気で言ってるの?」
「当然、お姉さんは嘘つかないよ? さっきのタイミングでお姉さんにうまい棒買ってくれたら、きっと今頃オサム君はお姉さんにえっちなお願いできたはずなのにさ。そのお誘い断ってまでお姉さんを放置プレイしちゃうんだもん。ならお姉さんだって、やり返していいよね?」
「ちょっと何言ってるかわからないんだけど、ママに言うのはだめだよ!」
「えー? どうしようかなぁ」
「ダメダメ! だって怒られちゃうじゃん! お夕飯前にお菓子食べたのばれたら怒られちゃうよ!」
「だって、ママの言うこと聞かなかったのはオサム君の方だもんね? なら怒られても仕方ないんじゃないかなぁ?」
「うぅ……」
母親に怒られる姿を想像してしまったのだろう。オサムは唇をかみしめてせんべいをもとあった場所へ戻した。
その姿を見て、涙をこらえるオサムを見て、五木さんはゾクゾクとした表情を浮かべ彼に近寄り、そして優しく頭を撫でた。
「いい子だね、オサムくん。じゃ、私のためにうまい棒買ってくれるよね?」
「うぅ……僕の五十円なのに」
「いいじゃんいいじゃん、ね?」
「……あれ?」
ふと、何かに気づいた様子でオサムは顔を上げ、まじまじと五木さんを見つめた。
「ど、どうしたのオサム君、急に見つめて……」
まんざらでもなさそうに五木さんは顔を赤らめる。
オサムは、自分の頭を撫で続ける五木さんの手を取って、それから彼女の表情をじっと見つめたまま言い放った。
「そもそも五木さん、僕のママと話したら居候がバレて追い出されちゃうじゃん」
「あ……」
二人の間に、ほんの一瞬だけ沈黙が訪れた。
「おばあちゃんこれください!」
直後、沈黙を破ったオサムはカレー味のせんべいを手にレジへと走る。
「あいよ、百円ね」
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