第5話 甘い果実のような日々

【前話までのあらすじ】


ロス・ルーラはライスに留守番を預けて、ラリホ・ポーラ婦人から『形のない宝石』の情報を聞き出すため、ペドゥル国へ向かった。一方、ライスは、数日後に帰って来るロスに自分の成長ぶりを見せようと、祠にある魔法の書で魔法の勉強をする。表紙裏に書いてある呪文を唱えると雲の向こうで鐘の音が成った。それを合図としたように果樹園を破壊しながら『闇の従者ラムダグ』が現れたのだった。

◇◇◇


【本編】


 ラムダグはバクのように長い鼻を上に押し上げると、やたら歯並びの良い歯茎を見せ、フンフンと匂いを嗅ぐ。


 「匂う.. 匂うぞ.. ここには何かあるな」


 不気味な声を吐くラムダグはブレンの桃畑に手をかざし[ —バル・ザクラ— ]と唱えた。


 手の平が歪む。それはエネルギーが蓄積されている証拠だった。


 その力を一気に解放すると、ロスが大切に育てていた果樹園の木々に吸い込まれていった。


 一瞬の静寂のあと、辺り一面の果樹が内側から破裂して宙に舞った。


 咲くことがなかった花芽が空中で無念そうにバラバラになっていく。


 それを見た瞬間、ライスの頭の中が真っ白になった。


 目の前で歯茎を見せながら、けたたましく笑う化け物に、怒りの激情が走ったのだ。


 「なにするんだぁあああ」


 ライスは右手から白い炎、左手から闇の炎を胸の前で合わせると2つの炎が螺旋状に爆散した。


 『 ぐがあ 』


 炎はラムダグの右腕を吹き飛ばした。


 「このクソムシ、生意気にルカの炎を使うか! きさま、リベイルの弟子だな!」


 「うるさい! お前は許さない! 絶対に!!」


 [ —メドレス・ランー ]四方から火炎の虎がラムダグに牙をむく。


 [ —カラキュエティ— ]炎虎は業火となってラムダグを包みこんだ。


 [ —ゼロ— ]ラムダグの周辺が爆発して飛散する。


 —ゼロ!  ゼロ!  ゼロ! ゼロ!!.


 —はぁ はぁ


 ライスは自分の知る限りの呪文を詠唱した。そしてライスの使える魔法の中で一番威力のある魔法ゼロを乱発したのだった。


 しかし、土煙が収まると、そこには無傷のラムダグが立っていた。


 「お前の炎など、来るとわかっていればなんてことはない。だが、この数の魔法を連発するのには..少々驚いたぞ」


 ラムダグの周りには圧縮した空気の防御壁が張られていた。さらに奴の腕は既に再生していた。


 「ムシかと思えば.. お前は確実に始末しなければならない存在のようだな。『丘陵の十字』に張り付いて死ぬがいい」


 ラムダグの瞳孔が光ると、ライスの手足から血が噴き出し、体がびくとも動かなくなった。


 「ぐが.. くっ ..こ、こんなもの!」


 「ほほう、元気だな。だが、あがいても無駄だ。お前の体は俺様の瞳孔に縛られたのだ」


 ラムダグの十字架のような瞳孔には、手足に釘を刺され、はりつけにされたライスの姿があった。


 「魔力ももう残ってはいないのだろう? もうお前に打つ手はない。 死ね」


 ラムダグが空に向かって手を振り切る。 


 轟音を鳴らしながら、風の大ナタが回転しながら、ゆっくりとライスに近づいて来る。


 「これがいいんだ。お前はゆっくり切り刻まれ、なぜ自分がこんな目にあうのか..と絶望しながら死んでいくのだ」


 ラムダグは大きな鼻を押し上げ、憎らしく笑っている。


 「くそぉ。悔しい.. ああ.. ロスさん、ごめんなさい」


 ライスが死を覚悟する。



 — ドガァン!!



 突然、空中から巨大な横槌が降ってくると、風の大ナタを踏み潰した。


 

 「ライス、あきらめるな。君はまだ、あきらめる時じゃない」



 「(ああ.. その包み込むような優しい声、私の名前を呼んでくれる声)」



 安心するライスの瞳から涙がこぼれた。


 ライスを庇うように立つ、頼もしい後姿。


 その人物は間違いなくロス・ルーラだった。


 「無駄な破壊は相変わらずだな、『深淵の指ラムダグ』さんよ。お前が俺の前から汚いケツを見せながら逃げて609年が経つな」


 「 ケケケケ、やはり生きていたな.. なるほど、見た目も魔力の性質も変えていたのか」


 「ふん、貴様は相変わらず醜いな。そして、その臭い口で俺の名前を連呼したことを後悔しながら消滅しろ」


 ロスが強い気を放つと、ライスに掛けられた『丘陵の十字』の術が解けた。


 ロスはふらつくライスを抱きかかえると、少し離れた木の下まで運んだ。


 「ロスさん..ごめん..なさい」


 「大丈夫だよ、ライス。あんな奴、すぐにやっつけてやるから」



 「リベイル、大口はいいが、ここは既に俺様が縄張りを引いた。今の貴様の魔力ではどうにもならんだろ。お前の貧弱な魔法では俺様に傷をつける事も出来まい」



 「確かに、もう式紙などではお前には勝てないな。だから俺は覚悟を決めたよ。お前を倒して俺は、俺の大切なものを守ることにするよ。 いいか、よく聞きやがれ、歯茎野郎! ここは俺とライスの果樹園だ!」



 「ならば、自分の果樹園の肥料になるがいい!」


 ラムダグが人差し指をクイっと上げると、地中から巨大なミミズ魔獣ストイルの大群が飛び出し、大きな口をあけて2人に襲い掛かった。


 [ —ラクト— ]


 ロスの詠唱が響くと魔獣ストイルが一瞬で凍り付いた。そして続いて詠唱を唱える。


 [ —ハリュフレシオ— ]


 小さな火が凍結したストイルにあたると、大きな音を立てて魔獣ストイルが破裂した。


 「ロ、ロスさんが魔法を..?」


 初めて見せるロスの魔法は基本的な魔法だった。しかし、その魔法の質は自分とは比べ物にならないほど上質なものだとライスにもわかった。だからこそライスの驚きは大きかった。


 「ライス、よく見るんだ。俺から君への最後の講義だ。 いいかい、大魔法でなくとも魔法の精度と魔法の組み合わせが大切なんだぞ」


 自分の使役魔獣を一瞬で破壊されたラムダグは地団駄を踏んで悔しがっていた。


 「ラムダグ様、いかがなされましたか?」


 ラムダグの右腕の『闇の従者ダルフ』が自分の使役魔獣を引連れ地中から現れた。


 「よく来た、ダルフ。 あいつがリベイル・シャルトだ」


 「リベイル・シャルト!! 私がいないところで、よくもドルフを消してくれたな」


 「そういえば、醜いバグの怪物には腰ぎんちゃくの下品なツチブタがいつも2匹ひっついていたな。今思い出した。お前も焼き豚にしてやるよ」


 ロスのテンションは闘いに身を置いていた頃に戻りつつあった。


 「ぎ、ぎざまぁ! ぐちゃぐちゃにしてやる!」


 ダルフは異様に大きく尖った耳をピーンと立てると、鼻息を荒く棍棒を片手に突進して来た。


 [ —ジマイザ・チェルツ— ]


 ロスの詠唱は土から巨大な龍の頭を呼び出した。その龍の口はダルフを一飲みにしてしまった。


 「あっ—」


 あっけない断末魔を最後にダルフは消え失せた。


 「焼き豚は取消しだ。お前は土の中に廃棄処分だ。土龍の胃の中のドルフと仲良くするんだな」


 「な、なぜだ!? なぜ俺様が張った縄張りの中で、なぜ、そこまでの魔法を使えるのだ」


 「なぜか? お前が張った縄張りなどせいぜい数十分だろ。俺がどれくらいの年月、この地を耕していたと思っているんだ。 ぽっとでの貴様が縄張りだと? おこがましいにもほどがあるぜ」


 [ —カラキエティ・ローキ— ]


 土のひび割れからマグマが噴き出ると巨大な業火が残りの魔獣どもを消し炭に変えた。


 「ひひぃ、ク、クソ!」


 圧倒的な力の差を思い出したかのようにラムダグは惨めにケツをあげて四つん這いになって逃げようとした。


 「ライス、精度を上げるんだ。より濃密な魔法こそが最強の魔法となるんだ」


 ロスが自分の右頬に手を当て『シャルト』とつぶやいた。


 ロスの髪が風にたなびく白銀の長髪へと変化していく。


 そしてライスにも感じていた。ロスの溢れ出る高密度な魔力を。


 ライスを包み込むこの魔力は、あの星が降る夜、肩を抱いてくれたロスの腕、ロスの胸から伝わる温もりそのものだった。



 [ —アクサタナトール・ラードン— ]



 空に積み重なる巨大な雲、空を切り裂く衝撃音。


 黄金の怪鳥がラムダグに突撃していった。


 「バ..バババ..ババ....」


 ラムダグは灰すら残らず光の中に分解されていった。


 ・・・


 「ライス.. ごめんな。俺は君との約束を果たせない」


 「ロスさん、約束って何? どういうこと?」


 「俺は、もう逝かなければならない。俺はもうじき灰になる」


 「な、なんで! なんで! いや! いやだ!」


 ライスはふらつく足で駆け寄ると、ロスの胸に飛び込んだ。


 「俺の名はリベイル・シャルト。勇者ソルトのパーティの魔術師だ。俺はあることの為に600年生きた。今、その魔法が解除される」


 「だから、なんでなの?」


 ライスが問い詰めてもロスは優しく微笑むだけだった。


 「君は素晴らしい素質を持っている。そして俺に似ている。俺はね、最初は土属性の魔法しか使えなかったんだ。だから俺はそれを誰も到達したことのないところまで極めた。 俺が書いた『魔法の書』を君は見つけたのだろ?」


 ライスは胸の中で頷く。


 「あとはそれを読むんだ。俺にできたことは君にもできるよ。ライス、顔をよく見せておくれ」


 「ロスさん」


 顔を上げたライスの涙を指で拭うとロスは言った。


 「君と過ごした数か月は俺の空虚な600年よりも濃密で、そう、まるで甘い果実のような毎日だった。ありがとう」


 「いやだ、そんな別れの言葉聞きたくないよ、ロスさん。ロスさん、私と一緒に居てよ」


 ロスはライスを強く抱きしめた。


 「ライス、出来れば.... いや.. ライス、どうか君と俺の果樹園をまた実らせてほしい」


 「...うん うん」


 ロスの腕からふっと力が抜けた。


 驚いたライスはロスの顔を見上げた。


 全ての色が抜けたロスは優しく微笑んでいた。


 そして粒子となったロス・ルーラは、春の風に乗るように消えていった。



 [ —私の名はドルヂェ。リベイル・シャルト、いや、ロス・ルーラは素晴らしい男だった。そして君を心から愛していたよ— ]



 いつものように精霊の声が聞こえると、ライスは大きな声で泣いた。



 雲がなくなり晴れ渡った空は、やたらと青い色をしていた。

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