万屋の虎と牙⑤

 鬼一が用意してくれた食事を鱈腹食べた虎太郎と牙千代はひっくり返りながら、極楽極楽とおなかをさする。鬼一はクライアントとの話し合いがこれからあるという事らしく、虎太郎達には風呂にでも入ってくつろぐように言われていた。


「とりあえず風呂でも行こうか?」


 虎太郎の申し出に牙千代は喜んで飛び起きる。虎太郎と牙千代が住む家には風呂はない。冬は三日に一回、秋、春は二日に一回夏場は毎日銭湯に通っている。虎太郎と牙千代のある種贅沢である風呂。二人ともお風呂は大好きなので長湯してしまう。そしてここは旅館付きの料亭、広い温泉が完備されているのだ。手ぬぐいに浴衣をもって並んで行くと、そこには男・女というくくりがない。十八時から二十二時までは混浴らしい。牙千代は横目に虎太郎を見るが、虎太郎は気にせずにずけずけと入っていく。それに恥じらいがないわけではないが牙千代も温泉の誘惑には勝てなかった。


「主様、男女七歳にして席を同じゅうせずといいましてですねぇ!」

「今の時代、その言葉もTPOに引っ掛かりそうだね。牙千代さんとお風呂は小さい頃に何度か入ったし、まぁ今更じゃない?」

「いえ、混浴という事はですよ? 他の異性もいるという事で、その」

「こんなところに入ってくる女性は余程の自信があるか、男性はまぁ、しかたなくね?」


 虎太郎はそう言うと「柚子湯!」と看板にテンションを上げて走っていく。それに牙千代はやむなしとついていく。タオルを体に巻いた牙千代。タオルを下半身に巻いた虎太郎。お互い見つめるとうんとうなづく。

 ガラスの戸を開けた先は露天風呂だった。かけゆをして二人でならんで浸かる。牙千代は目を瞑り、虎太郎はもともと前髪で表情がみえないが、あきらかに緩んでいる。


「ほふぅ、温泉という文化は実に甘美ですね? 主人様」

「日本人は風呂好きだからな。ギリシャはテルマエ文化捨てたから病気はやったらしいよ」


 虎太郎のどうでもいいトリビアに牙千代は顔を緩めながら、「まぁ、こんな天国を手放せば地獄行でしょう。私、地獄でも心地よく生きていけるんですけどね」

 牙千代は何が面白いのかわからない、独り言にウケる。虎太郎はやや滑るその温泉の中から手を出すと指をさした。牙千代がそこを見つめると、それはとても冷えた水が飲めるのである。至れり尽くせりなそこに牙千代は一度湯舟から出ると自分と虎太郎の分の水を入れてもってくる。


「主人様。デトックスウォーターらしいですよ! 野菜や果物のエキスがたっぷりだとかなんとか、とてもいいかおりですし」

「うん、こんな贅沢をしていいのだろうか? 鬼一兄さんが用意してくれたマグロも1本丸々食べてしまったし、今の俺たちは世界最高消費者かもしれない」


 大飯を食らって風呂に入っただけだが、一人が食す量としては大げさとはもはや言えない量を食べているので、虎太郎の言っている事は当たらずとも遠からずと言ったところだった。だが、ぽかぽかとした温泉の中で牙千代は思考能力も奪われているのでデトックスウォーターを飲みながら「どうでもいいじゃないですか、そんな事」と適当に流す。牙千代と虎太郎が独占していたと思われるこの混浴温泉に、ガラガラと誰かが入ってくる。それにあまり気にもしなかったが、虎太郎と牙千代は入ってきた人物がいやに白く。妙な冷気を漂わせる女性。そして服を着たまま入ってきた事に一つ牙千代は注意をした。


「貴女、恥ずかしい気持ちはわかりますが、限度があるでしょう! 完全着衣での入浴は迷惑ですのでおやめなさい! それに主様は性欲なんて皆無な御仁ですからお気になさらずヌーディストビーチだと思ってお楽しみください!」

「いや、牙千代さん、さすがにあの人引いちゃうよ」


  虎太郎の言葉を聞いて、女性は嗤った。そして「真祖の姫を狙う者だな?」と一言いうと二人に手を向け、そこから吹雪が……

 ゴォオオオオ! とその吹雪は虎太郎はおろか、温泉には到達しない。ふやけた顔をした牙千代が温泉から指を出して炎を噴出。その炎は吹雪を相殺した。今までふやけた顔をしていたハズの牙千代が開眼し、鬼灯のような瞳の色で見つめる。


「夜は私たち、鬼の時間です。それに鬼はこと温泉とは相性がよいらしくてですね。鬼神力を使わずとも貴女のそよ風くらいは消せますとも」

「くっ!」


 白い女性は焦る。すると服装が白い死に装束のように変わった。本気のつもりなのだろう。それを見て虎太郎が少し焦ったような顔をする。それに女性は虎太郎は自分の強さが分かったのかと少し余裕を取り戻す。


「牙千代さん、この人。まさか、雪女じゃね?」


 虎太郎のその発言に、女性は「は?」という表情。何をいまさらという顔をしていたが、牙千代がじっと見つめる。そして驚く。


「いや、まさか。雪女なんて絵本や昔話の世界のキャラクターでしょうに! こんな高級旅館の温泉にくるなんて、どういう状況ですか! バカですね主様っ」


 あははと笑う牙千代。女性は本気を出しているのに、虎太郎と牙千代はかたくなに温泉から出ようとしない。さすがにここまで舐められっぱなしでいられるはずもなく女性は名乗った。


「私は秋田の山奥から、私たち雪妖の生きる世界を提供してくれるという人間に従ってここまで来た。まずはお前たち御剣を処刑する!」


 虎太郎が、授業では絶対に手をあげないのにまっすぐに手を挙げる。それに雪女は驚き、「な、なんだ?」と焦った。人外化生達からしても御剣という名はビックネーム。それ相応の覚悟をもって立ち向かわねばならないとそう伝えられてきていた。一説によると鬼ヶ島の鬼を虐殺した一族の末裔だともいわれている。


「雪女さん、それ絶対騙されてると思います! そういう成果報酬詐欺のテレビ番組、この前家電量販店でやってたので見ました!」

「あー、田舎の方は騙されやすいとも言ってましたね。私たち仕事もなく、日がな一日暇でしたのであの番組、頭から最後まで見ましたものね?」


 ここまで乗り込んできた雪女は依頼者に騙されていると虎太郎が言うので、雪女は叫ぶ。それは怒りだった。自分が騙されているという事ではなく……


「あの人間、いや、あのお方がそんなウソを言うわけがない! 黙って聞いていれば、氷漬けにしてバラバラにしてやる!」


 そう息巻いて襲い掛かろうとする雪女に次は牙千代が手を挙げた。雪女は慌てて、攻撃をやめて「次はなんだ!」と言うので牙千代はゆっくりと語る。


「雪女殿。絵本や昔話同様惚れやすいというのは本当のようですね。それも、相手の御仁は雪女と知りながらも受け入れてくれた。違いますか?」


 図星だった。何故そんな事をこの小娘の鬼が知っているのかと雪女は戦慄を覚える。御剣には鬼神を連れる者がいるといわれている。それがこの小娘かと思った雪女。


「それは、デート商法や結婚詐欺のよくある手口です。雪女殿、悪い事はいいません。その男とは手を切りなさい」


 牙千代はまたもや詐欺という、それに雪女もさすがに堪忍袋の緒が切れる。そんな雪女相手に虎太郎がトドメとばかりの言葉を述べた。


「雪女さん、頼む相手を間違えたよ。それに、今日は場所も悪すぎた。もし、俺や牙千代をどうにかできたとしても、ここには鬼一兄さんが来てる」


 御剣鬼一、その名前は人外化生にとって、御剣の中で最大級のヤバい名前の一つ。もう一つは言わずもがな、貴子。虎太郎は震え上がるだろうかと思ったが、雪女は違った。顔を真っ赤に染めてしおらしくなる。


「えっ? どういう状態?」

「あの、鬼一様? 怪異殺しの?」

「ええっと、はい」

「やだぁ、化粧もおしゃれもしないできてもたよ……はずかしいっちゃ。いるの知ってたらもっといい服えらんでたのにぃ」

「ん?」


 これはおかしい、慌てようがビビるではなく完全に恋する乙女だ。それも若干古い感じの……そこから虎太郎の頭脳はこの場の攻略に対してもっとも簡単に無血開城する方法を割り出した。


「雪女さん、鬼一さんに会わせてあげようか? なんなら握手と写真とかも……」


(いや、主様。むりですよ。一族の存亡かけてここまできてるんですよ? それをあの鬼一殿に会わせるだけだなんて)


「ほ、ほんと!」


 完全に先輩の第二ボタンあげようかと言った後の昭和の生娘の反応をする雪女に牙千代は開いた口がふさがらない。


「マジですか!」


 虎太郎と牙千代は温泉から上がると、完全に敵意をなくしもじもじしている雪女を連れて、鬼一の部屋で待っていた。犬井の声が聞こえるので鬼一はクライアントとの会話も終わり、戻ってきたんだなと虎太郎達は安堵する。


「当主様、何か物の怪のにおいがします」


 やばいと思った牙千代は扉を先に開ける。するとお札を取り出した鬼一と、身体の一部を獣化させた犬井が襲い掛かろうとしていた。牙千代が出てきた事で鞘に戻した二人に虎太郎が理由を話す。

 俯いている雪女。犬井は見知らぬ妖怪がその場にいる事で不快感をかもしだしていたが、虎太郎のジェスチャーを交えた説明に対して鬼一は承諾。


「うむ、そんな事で丸く収まるのなら、一肌でも二肌でも脱ごうか、握手でいいのか?」

「ひゃ、ひゃい!」


 鬼一と握手をする雪女。まさにそれはアイドルの追っかけのようだった。変な笑顔で何度も鬼一にお礼を言う雪女。そんな彼女が言い出せないので、虎太郎が言う。


「あ、あと写真もいいですか? 鬼一兄さん」

「あぁ、構わんぞ。なんならお前達もみんなで」


 雪女がやや残念そうな顔をするのでそこには牙千代が断りを入れた。


「いえ、雪女殿と鬼一殿の2ショットがばえるんですよ! ぜひ、若いお二人で! あっ、これ本当に私からすれば雪女殿も鬼一殿も若いからですねぇ……」


 牙千代の謎の説得を前に、鬼一はそうかと、まさか雪女の肩を抱いて写真に写る。それに雪女は感極まって泣き出した。その様子を見た虎太郎は思う。


(これなんかそういう商売できるんじゃないかな?)

(主様、邪な考えはおやめなさい。どの道、主人様は財を持てないのですから……)

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