万屋の虎と牙④
虎太郎と牙千代にエリーチカの居場所を答えた老人は虎太郎に言われた通り、出頭した。が、不思議な事にそのニュースは大々的に騒がれる事なく秘密裏に処理された。テレビが家になく、スマホも持っていない虎太郎には生涯そんなことは知るよしもないのだが、次の目的は決まっている。エリーチカをさらった愚か者に鉄拳制裁を与える事。
「牙千代さん、準備ができたらいくから」
「自分はいつでもいいですよ主人様」
二人は視線を合わさずにゆっくりとザッザッザ。歩く。その背中には哀愁と覚悟を感じる。それに牙千代は思う。
(きゃー! 主人様。今の私達、めちゃくちゃカッコよくないですか?)
(これは黒澤明監督がほっとかないやつだわ!)
二人はそんな事を腹の中で思いながら歩いていると目の前に巨大な犬が現れる。完全に化け物なのだが……
「うわっ! シシガミの森にいるやつだ!」
「も、モロですか? モロなのですか?」
虎太郎と牙千代が騒ぐとその巨大な犬は人型をとる。それは二人が知る人物だった。現・御剣家当主。御剣鬼一の式神。
「確か乾さん?」
「いいえ、犬井です」
(い、一緒じゃないですか……)
「違います。牙千代様。私は乾いてはいません。犬井、でございます。鬼一様がお仕事で近くにきており、お二人の顔を見たいと申されていますので、良かれと思ってお迎えにきました」
この犬井、虎太郎と牙千代は初対面ではない。虎太郎と同じく御剣六家の当主の一人であり、六家の実質元締めのような存在。そして、虎太郎にも牙千代にも優しい人間として出来た人なのだが、この式神の犬井はマナー等も厳しくとにかくややこしいのだ。
「犬井殿、大変ありがたいお誘いなのですが、私達は急いでおりましてですね……鬼一殿には大変、もう大変申し訳ないのですが……ほら! 主様も何とか言ってくださいよ」
虎太郎は頭を掻きながら、今は急いでいる事を説明しようとしたが、服の裾を掴んで今にも犬井は泣きそうだった。泣くのを堪えているので、それ以上は虎太郎は何も言えずにいると業を煮やした牙千代は怒鳴る。
「犬井殿! 泣いてもダメですからね! 私達はエリ殿を助けにいかねばならんのです! それにはどんな用事よりも優先すべき事なのです!」
おぉ! と虎太郎が感心していると犬井は号泣した。ワンワンと犬だけに泣く。それに牙千代は焦り、虎太郎は小さな声で歌い出す。
「なーかした、なーかした。キーバチよがなーかした」
「ちょ、ちょっと主人様ぁ! そりゃないでしょう! この場合、犬井殿が空気を読めなさすぎる事が問題じゃないですかっ!」
虎太郎は犬井の涙を拭いてやるとハンカチを渡す。それを受け取った犬井はそれで涙を拭き。
チーーン!
「うわっ!」
鼻をかまれた。ありがとうございますと泣き声で虎太郎に鼻水付きのハンカチ返す。
「牙千代さん、ちょっとだけ鬼一兄さんに顔見せて行こうか?」
牙千代がむすっとした顔で虎太郎を睨む。随分ヘソを曲げた牙千代に対して、犬井はできる女の顔に変わると淡々という。
「では二人とも、鬼一様が滞在している高級料亭までお連れします」
高級料亭という名を聞いて虎太郎と牙千代は暗い顔をする。そう、そもそも御剣家というのは良家なのである。それも随分と……そんな中でも虎太郎の家は財を持たない家。超、貧乏人なのである。あの破戒者と言われた御剣貴子もまた自分の好きなように生きている大金持ち。虎太郎達はそんな悠々自適に生きている彼らを妬ましいとは思わないが、たまに心が折れそうになる。犬井は鬼一が滞在しているというその部屋をノックし、虎太郎と牙千代が来た事を告げる。
「二人を通して」
犬井が襖を開けるとそこには着物をきた黒髪の男前の姿があった。お札を大量に貼った刀を横に置き、お茶菓子を前にしてお茶を飲んでいる。
「久しぶりだな? 虎太郎。しっかり食べているか? 牙千代、今日も愛くるしい。何か困ったことはないか?」
本当にできた人なのである。鬼一は虎太郎と牙千代にお菓子を振る舞ってくれて、気がつけば虎太郎と牙千代は鬼一に可愛がられ、至福の時間を過ごす。牙千代に至ってはゴロゴロと喉を鳴らす。夕食の準備を鬼一が進めてくれている中で虎太郎は鬼一に質問した。
「鬼一兄さん、今回はどんなお仕事なんですか?」
熱いお茶を飲んで鬼一は両目を瞑る。そして虎太郎と牙千代が驚く事を言ってのけた。
「なんでも吸血鬼の王がこの街にいるとかでな。俺と角狩太夫が必要と聞いてきた。静には留守番を言いつけたら犬井を俺につけたのだ。心配症な妹だ」
静は鬼一の血の繋がった妹でありながら鬼一の事を心から愛している。かなり痛い子なのだ。特に鬼一に人間、人外ともに女子が近づく事をよしとしない。犬井に関してのみそれを許している。
「あー静ちゃんいないなぁと思ったらそんな感じですか、うん。良かったね牙千代さん」
「えぇ、毎回お札やら退魔具なんかをぶつけられてあれは地味に痛いですからね……にして鬼一殿。その吸血鬼の王というのは……」
虎太郎と牙千代の事を貴子から聞いていたのかもしれない。貴子はこの鬼一より遥かに強いのだが、この鬼一の言うことは貴子はある程度聞く。そして代わりに貴子がどうしてもお願いしたい時、この鬼一に頼むのだ。
「吸血鬼とやらは、何度かぶち殺したことがあるが、王。真祖とやらを滅した事はないな」
虎太郎が話す。
「ねぇ、鬼一兄さん、吸血鬼の王ってエリちゃんの事じゃないですよね?」
「ほぉ、知ってるのか? そうだな。エリーチカなる真祖の女王だそうだ」
虎太郎は少し、声の温度を下げてから鬼一に言った。
「鬼一兄さん、その子。俺たちが助けにいく子なんで斬るのやめてください」
ドストレートにそう言う虎太郎に鬼一は熱いお茶を飲む。
そして、睨みつけた。
「主様っ! 鬼一殿は……」
虎太郎を突き飛ばす。牙千代は虎太郎を突き飛ばした事で鬼の力を解放。そんな牙千代を見て冷静に鬼一は呟く。
「牙千代。角と牙を引っ込めなさい。鬼神第四位如きが、この俺と、鬼神第三位の角狩太夫を止められるか?」
「お望みとあらば」
挑発された牙千代は瞳孔を開き鬼一に襲い掛かろうとするが、そんな牙千代の首根っ子を掴んだのは虎太郎。
「牙千代さん、鬼一兄さんはダメだ。悪じゃない。むしろ、正義の味方だから、犬井さんもめっちゃくちゃ睨んでるし」
牙千代が本気を出せば殺し合いになるだろう。それもこの周囲がとんでもない事になる。
「鬼一兄さん、俺は鬼一兄さんに勝てるとは思わないけど、俺の眼は御剣最強だから」
「ふふっ、御剣最弱でもあるがな。これからしばらく吸血鬼の王について調べようと思っている。そのアルバイトを探していたんだが、ちょうどいい万屋が目の前にいるなと思っての」
その為に鬼一が二人を呼んだと言うのだ。貴子には絶対にできない二人の育て方。虎太郎はやや涙腺が緩みそうになった。
「鬼一兄さん、ありがと」
「あぁ……が、どうせだ。少し手合わせをするか? 鬼と共存する家の御剣家当主殿」
御剣家の人間あるある。体が異様に頑丈か、弱いか、そして異常なくらい好戦的か……その中で虎太郎は頑丈な身体を持っているだけだった。
「いやぁ……鬼一兄さんとは流石に……鬼を倒す家の御剣家当主殿……なわけでしょ? はぁ……俺はさ喧嘩とか全然好きくないんですよ。でも、牙千代さんはそうじゃないんですよ」
牙千代は鬼一の申し出に乗ったのだ。鬼一とやる気でいる。それに鬼一はパンパンと手を叩くと犬井がやってくる。
「お呼びですか? 当主様」
「一つ、結界を作ってもらえるかい? 鬼神同士がぶつかって壊れない程度の物を」
それに犬井が目を丸くする。犬井は犬神、人間の式神程度が鬼神同士の戦う舞台を作れと言うのだ。それは鬼一の希望を叶えられない可能性が高い。泣きそうになる犬井を見て牙千代が言う。
「鬼一殿、あまり犬井殿をいじめないように、局所結界程度であれば私が作りますよ」
指をがぶりと噛むと血を流す。牙千代の赤い血は黒い深淵に変わり、広大な闇に変わる。鬼一はお札を大量に貼ってある刀を掲げると叫んだ。
「御剣鬼一、そして鬼神第三位角狩太夫。参る」
「鬼神第四位。牙千代。押して通ります!」
牙千代は爪を鬼一に向ける。鬼一は化け物専門の祓い屋。それも国家の仕事を請け負うような人物。鬼と戦う御剣は伊達じゃなかった。角狩太夫を使わずとも牙千代と互角に渡り合う人間。
「ぐっ……貴子以外ですと鬼一殿はおそらく最強の人間です」
「それは光栄だ。そして、随分強くなった。その姿でこの俺の化け物を殺す技が何一つ通じる気がせんな」
腐っても牙千代は鬼神。そもそも人間に殺せるような存在ではないのだ。牙千代は目の前の鬼一を貴子の仮想敵として両手に暗黒の力を溜め込む。そして牙千代は自分の十八番を叩き込む。
「行きます! 死んでも怨まないでくださいねぇ! 撃ち抜け! 鬼神砲ぉおおお!」
開眼した鬼一は笑う。
そして日本刀型の鬼神。角狩太夫を抜いた。
「鬼神力解放! 角狩太夫よ。暴れ舞え! 鬼神砲・二の太刀」
鬼神と鬼神の衝突、激突というものを虎太郎は知っている。かつて牙千代は虎太郎の鬼神ではなかった時、御剣貴子と殺し合っていた時。それに比べればこれは準備運動以下のそんな児戯に等しい。
「ねぇ、二人ともそれ以上やるとテンション上がった貴子姉さんが参入してきそうなんでやめてエリちゃん助けにいく作戦考えませんか? あと鬼一兄さんの奢りでご馳走食べて……」
さらっと虎太郎がそんな事を言うのを鬼一は笑う。そして電話をかけると、持っている角狩太夫を振るう。すると牙千代の作った結界を切り裂き、鬼一は札を角狩太夫に貼っていく。そして鬼一は二人に言った。
「では夕餉にしようか? お前達の腹を満たすのに、マグロを一匹準備してもらったからな」
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