万屋の虎と牙①

「牙千代さん、ちょっといいかな?」

「えぇ、どうぞ」

「エリちゃん、さらわれちゃったじゃん!」


 ジェル状のそれはエリーチカを包むと暴れるエリーチカを窒息させて、すごい勢いで地面を這い、エリーチカを連れ去った。それを追おうとした虎太郎と牙千代だったがタンパク質が焦げる嫌な匂いを嗅ぐ。そして何かボールのようなものがゴロンと飛んできた。それが落ちるのを見ると虎太郎は一瞬だけ止まり、そしていつも通りの真顔に戻る。

 牙千代はそのボールのようなものを拾う。自分の手が煤で汚れる事もお構いなしに……


「たまに主人様。私は思うのですよ。人間とは残虐非道をさせれば、あらゆる生き物の中で最も上手なんじゃないかと」

「だろーね。俺さ、少しだけ後悔してる。おじさん達を助けて、みんなで協力すべきだったってさ」


 牙千代が拾ったボールのような物は、先ほどまで虎太郎達と話していた吸血種の男だった。この様子だとこの場にいた吸血種は皆……


「正義執行だ。牙千代」

「はい」


 虎太郎の腹部を思いっきり殴る牙千代。それに虎太郎は蹲り、痛みで痙攣している。そんな二人の元に、巨大な銃火器を持った巨人と、ナイフを両手に持った耳の長い男が並んで歩いてくる。


「まだ生きてるのがいる。チビと人間の男だ。殺せ、キプロス」


 口に大きな酸素マスクのような物をつけた巨人をキプロスと呼んだ。巨大な銃火器・ミニガンを装備している。そんな巨人に向かって牙千代はゆらりゆらりと歩み寄る。


「撃てぇ! 蜂の巣だぁ!」


 ギャハハハはと笑う男。舌にはピアスをつけて人生舐め腐ったような顔で下卑た笑いを見せる。その男の指示でキプロスは大量の弾丸を牙千代に叩き込む。牙千代はその弾丸をよけもせず、受ける。受け続ける。男の言う蜂の巣……にはなり得ない。


「力を解放した鬼に、こんな豆鉄砲が効くとお思いですか?」


 ガチ、ガチ……キプロスは引き金を引くも弾丸が出ない事にミニガンを捨てた。そしてその巨木のような太い腕で牙千代を叩き潰そうとする。


 ピタッ!


 そんな音が聞こえたような気がした。小さな牙千代は暖簾でもまたぐようにキプロスの太い腕を支える。そして一言。


「もうおしまいですか? そんなに大きいのにか弱いですね?」


 ぐるん! 


 牙千代は人差し指と親指だけで巨人を摘むと放り投げた。そし引きずりぶん殴る。そして持ち上げて連打・連打・連打。


「あがっ亜がああアアアア」


 悲痛、悲痛すぎる叫び声、鳴き声、巨人は苦しみ痛みに逃げ出そうとするが牙千代の指につままれている。その牙千代の指を牙千代の何倍も大きなキプロスが必死に外そうとするが、外れない。


「静かに、安らかに眠りたければ言いなさい。エリ殿をどこにやりました?」


 ナイフを持っていた男の顔からは余裕がない。当然だろう。小さな女の子にしか見えない牙千代が巨人を引きずりまわして殴る蹴るの暴行を加えているのだ。その巨人は泣き叫び、本来男が見たかった図の真逆。


「た、助けてくれぇ……」

「無理ですよ。貴方もこのでくの坊殿も、もう助かりません。鬼神を怒らせたのですから、ですので少しくらいは罪を軽くしてあげようとご提案しているでしょう? エリ殿はどちらです?」


 男は逃げ出そうとするフリをして、高速でナイフを放り投げた。そのナイフは牙千代の頭にぐさりと刺さる。もう一つは心の臓に……それを見て男は狂気の声をあげた。


「どんなやつでも殺しちまえば一緒だぜぇ! なぁおい!」


 虎太郎に話しかけるので虎太郎は男を見て「何? うっさいんだけど」と面倒臭そうな相手を見る顔で告げる。


「お前の相方が死んだって言ってんだよ」

「おや、人望のない主人様に相方なんていたんですねぇ。初耳です。そして死なれてしまったと、ご愁傷様です主人様」

「うん、悲しいね。誰のことだか知らないけど」


 男はジーパンを失禁で濡らす。頭に胸に刃物が突き刺さった少女が、何事もなかったかのように喋っているのだ。そして頭に刺さったナイフをグシュリ、グシュリと嫌な音を立てて引き抜く。

 カラン。それを男の足元に投げる。虎太郎はその様子をつまらなさそうに見つめ、男は牙千代の額から長いツノがそそり立っていることに気づく。


「ほら、返しますよ。拾ってくださいな……あと胸に刺さった方も」


 牙千代はもう一本のナイフも抜いて、それも同じように放り投げたその姿に男は土下座をする。


「助けてください助けてください助けてください! 死にたくない死にたくない死にたくない!」


 牙千代は優しく、猫なで声で男に話しかける。それはそれは優しい牙千代の姿だった。


「早くエリ殿の場所を話してくれませんか?」

「本当に知らないんです。俺は博士に好き放題していいと言われて……あの女の子を連れて行ったのは……別のやつで」


 男は何かを喋って言い訳をしていたが、すでに自分の首がねじ切られている事を知らない。牙千代を、鬼神の主人である虎太郎を本気で怒らせた報い。そして男は自ら失態を招いたことを地獄で後悔する。


「正直に関係ないと言うものなんですね。ですが、主人様。エリ殿、どうしましょうか?」

「貴子姉さんに連絡を取ろう。貴子姉さんに聴けば大抵のことはどうにかなるでしょ?」


 虎太郎は、今し方牙千代が殺害した男の胸ポケットに入っているスマホを取り出して男の指を使い指紋認証し解除すると操作……操作。


「……牙千代さん、この電話。数字のボタンがない」

「主様、高校生でスマホが使えないなんてかなりあり得ないですよ……ちょっとかしてください。で? 貴子の電話番号は?」


 ええっとと虎太郎は牙千代に告げる。何もメモも見ずに虎太郎はそれを告げるので牙千代はスマホでその電話番号にコールする。そして耳に持っていく。牙千代の表情が険しくなる。


(よく考えれば私、貴子に電話をかけているじゃないですか)

(うん、俺は絶対かけたくないからね)


 牙千代はしまったと言う顔を見せる。虎太郎がスマホ如き操作できないわけがない。それは要するに貴子に電話をかけたくないからである。牙千代の耳には最近流行の曲がコール音代わりに聞こえてくる。悲恋の歌だ。貴子には全く似合わない。そんな事を牙千代が思っていると電話に貴子はでた。


「私、御剣貴子、今羽田空港にいるの」

「貴子、あのですねぇ」


 ブチっと電話が切れる。そしてトゥルルルルルルルとその電話が鳴る。牙千代は青い顔をしながらスマホ画面を見ると先ほどかけた貴子の電話番号である。牙千代は渋々それに出ると当然貴子がでた。


「私、御剣貴子、今西日暮里駅にいるの」

「ヒィいいいい!」


 ブチっと電話は切れる。羽田から西日暮里、そんな電話を切った一瞬で移動できる距離じゃない。が、嘘ではないのだろう。御剣貴子は、御剣一族の破戒者。人外化生達からは出会えば最期の災害のように思われている。不思議なことに虎太郎と牙千代は貴子に虐待される日々だが、なんとか命までは奪われていない。恐らくは気に入られているのだろう。


 トゥルルルルルルル


 そして再びかかってくる電話。涙目の牙千代に虎太郎は顎を動かして電話に出るように促す。牙千代はそれを首を振って嫌がるので再度虎太郎は顎を動かした。牙千代は据わった目で虎太郎を睨みながら電話に出る。


「もしもし」

「私、御剣貴子、今貴女の後ろにいるの」


 目の前の虎太郎が全力ダッシュで逃げる。虎太郎は電話の声なんて聞けるわけがない。牙千代を見て恐ろしい物を見たような表情をした虎太郎だったが、それは牙千代を見たからではない。牙千代は深呼吸をしながらゆっくりと後ろを向く。


「あら牙千代、今日も可愛いわね」

「ご、ご機嫌麗しゅう。貴子」


 東京くらいなら地獄にたやすく変えられる力を持つ牙千代を一度殺した事がある女。鬼神を超えた人間。そんな牙千代の頭をぐりぐりと撫でる貴子。それはそれは見下した目で見られるので、牙千代は殺したくて、殺したくて泣きそうになる。


「ここで少し待ってなさい」


 そう言うと貴子は消える。腰にさした日本刀の形をした鬼神。牙千代の上位種であるそれを人間の身で使いこなし悠々自適な生活を繰り返す虎太郎曰く、人類悪。その人類悪は逃げた虎太郎をすぐに捕まえて戻ってくる。


「虎太郎。昔みたいに私には向かってみなさいよ! お姉ちゃんは悪いことをしてるー!って、また両腕に両足を折ってあげるから」

「貴子姉さん、小学生の頃の俺はそれでトラウマになったんですよ」

「後遺症もなく、綺麗にくっついてるでしょ? 虎太郎は弱すぎるのよ。もう少し頑丈にならないと、で? わざわざ私に電話をして何? カレーでも食べたくなったの?」


 毎週金曜日、貴子の思いつきでカレーが振る舞われる。うまくもまずくもない。良くも悪くも家庭のカレー。常に栄養失調の虎太郎と牙千代は本来喜ぶべき事なのだが、その量や悪意を感じる程。


「じゃなくて……貴子姉さん、ごめん。エリちゃんさらわれた」


 それには牙千代も頭を垂れる。どんな風に虐待されるかはわからないが、貴子の力を借りなければどこに今彼女がいるかもわからない。


「そう、今までご苦労様。じゃあこの分の依頼料を払っておくわ」


 信じられなかった。依頼は失敗したハズなのに、貴子は金を払ってくれてそれでこの事は終わり。


「貴子姉さん! エリちゃんを助けなきゃ!」

「そうですよ貴子! エリ殿が」

「どうして? どうして助ける必要があるの? 拐われたんでしょ? 守れなかった子じゃない。ならあの子の運命はその程度、持ってなかったのよ」


 貴子は力無き者をこれでもかと言うくらい踏みにじる。そして今も無力な虎太郎と牙千代を嘲笑い帰ろうとするのだ。


「今、エリちゃんは泣いてるんだ! 貴子姉さん、エリちゃんの場所。教えてよ!」


 虎太郎はコンタクトレンズを外し、貴子を見つめる。幾何学模様のような瞳。それに貴子は狂気的な笑顔を見せてから抜刀。


「何? そこまで? 御剣の魔眼を使うつもり? 好きになったの虎太郎? あんな人間じゃない作り物で金持ち御用達の……」

「貴子、それ以上はおやめなさい。貴女の最後の品格を損ないますよ?」


 虎太郎と牙千代が本気で怒る。その姿に貴子はハァハァと興奮しながら、刀を鞘に戻した。


「まだね。今のあなた達とやっても五分終わっちゃうわ。今回の事があなた達を育てるならそれもいいわね。教えてあげる」

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