吸血鬼の居候④

「テメェ! ウチの弟に何してくれてんだヨォ!」


 巨人に襲いかかるロイ。されど殴っても蹴っても爪すらも巨人には通じない。何やら揉めているこの状態。牙千代の元に虎太郎が近寄ると耳打ちする。さっさとずらかろうと。勝手に潰し合いをしてくれるのであればそれに越したことはないし、今ほど逃げるチャンスがあるのは儲け物だ。


「主人様」

「何、牙千代?」


 牙千代は指をさす。苦しそうにしている狼の姉、弟。それを見ても尚逃げようと言うのが虎太郎。


「うん、大変だ! 逃げよう」


 虎太郎が言うことは間違いない。危険なことに自ら首を突っ込むのは愚か者の極みなのだ。それもエリーチカを自分たちは守らなければならない。牙千代は虎太郎が心の底からそう言うのであれば当然それに従う。牙千代は虎太郎と共存する鬼神なのだ。故に主である虎太郎の考えは第一に尊重する。

 食べ物以外に関してはであるが……


「夢見悪くなければいいですが、逃げるでいいんですね?」


 虎太郎は巨人に対してなす術なく困っている狼の少女。そしてその弟という狼男が今、殺害されそうになっている。頭をトントンと何度か叩く虎太郎はハァとため息をついた。


「あの狼兄妹はエリちゃんを狙っている。違いないよね?」

「えぇ、ですが、残念ながら姉弟のようです」

「マジで!」

「はい、狼王ロボだとかマジンガーだとかわけのわからない事を言ってましてですね……」

「シートン動物記の有名な狼のボスじゃん……それの末裔ってわけか……俺たちを襲わない約束できそう?」


 虎太郎はすでに助けようと心が決まっている事が牙千代にはすぐに分かった。そしてそれはエリーチカも……


(虎太郎、優しいな)

(エリちゃん、こーいうのはお人好しっていうんだよ)

(まぁ、主人様の唯一の長所とも言いますね)


 虎太郎はやる気のない少年である。人のよっては不快に感じる程に何もしない。それが虎太郎のスタンスであり、虎太郎を虎太郎たらしめるアイデンティティ。されど、彼には一つの大きな信念がある。

 正義である。正義という言葉を嫌う者もいる。それは自己満足でしかなく、何の為の、誰の為の正義かと問われたら虎太郎はいう。

 俺は正義の味方であると……俺の正義は世界平和を望む事。その大義名分を前に虎太郎は夜の根源、破壊の神、死の化身である鬼神を従える。

 よって覚悟は示された。両手を開いて虎太郎は言った。


「牙千代、バッチこい!」


 牙千代はカシアスクレイのように体を揺らして虎太郎の腹部を思いっきり殴る。それにエリーチカは声をあげそうになった。


「……っ」


 虎太郎の腹部に大きな穴……虎太郎は涙目になりながらゲボっと吐血する。牙千代が虎太郎を支えるとその傷は最初からなかったかのように消え、代わりに……エリーチカの前に、見たこともない美女が立っている。黒い着物は今し方牙千代が来ていた振袖のハズ、大きな腹部を隠しきれないその女性は懐からキセルを取り出した。

 そして虎太郎を恋い焦がれた相手でも見るように見つめる。


「主人様、痛くしすぎたかの? にしても、雑魚がじゃれあう中に飛び込もうとは、妾としても実に……実に戯言がすぎる……のぉ?」


 エリーチカは流石に別人になった牙千代。彼女が牙千代である事は頭では分かっているのにこう尋ねた。


(貴女はだぁれ?)


 その問いかけに牙千代は紫色の煙をふぅと色っぽく吹き出すとエリーチカの頬に触れる。エリーチカは顔を赤らめながら目を背けるので牙千代は語る。


「エリ殿、寂しい事を言ってくれるなよ? 妾の事を牙千代と呼んでおったではないか? それとも母と呼ぶか? くはは! そして妾の昔の名を教えておこうかの? 鬼神・第四冠位。深淵鬼しんえんき


 ペタンと腰が抜けたエリーチカ、本来の牙千代の姿。それは死の体現。殺意衝動の塊、そしてこれこそが凝縮された地獄・夜。そんな物を感じ取ったエリーチカは動けずにいた。

 エリーチカを支える虎太郎。


「エリちゃん、大丈夫。あの状態の牙千代が勝てなかったのは貴子姉さんだけだ。多分すぐに終わるよ。それにしてもあの姿になると喋り方を変えるのは多分、変身ヒーローにハマってるからだな」


 シャラン、シャランと下駄についた鈴がなる。それは命を奪う鈴の音。牙千代は花魁道中を一人で行うようにキセルに口をつけて、一吸する度に満足したような表情をする。そして今殺されかけている狼の弟と殺そうとしている巨人の間に立ち、二人を引き剥がした。

 牙千代の異常さに気づいたロイは叫ぶ。


「な、お前誰だよ! 何しき気やがった?」

「弱い駄犬ほどよく吠えるというものよの? くはは、玉の肌の姉じゃ殿ぉ」


 挑発されたとロイは怒り牙千代に襲い掛かろうとするが、気がつくと地面とキスをしている。


「遅くてあくびが出そうじゃ、この首はねて妾の杯にしようかえ?」


 それに弟の方の狼男が助けに入るがそれも牙千代は一撃で地面に足をつかせる。


「で、最後はお前殿じゃな? それとも、3人同時に地獄へいくかえ?」


 牙千代の挑発、それにロイは動けずにいた。格が違いすぎる。あまりにも化け物じみていて、本能が危険だと……逃げろと言っている。

 今日は満月であればあるいはと思ったが、じりじりとゆっくり後ずさる。それを見て牙千代は嬉しそうに嗤う。


「尻尾を巻いて逃げるのか? 良いぞ? 妾、気分がいい。そうさな? 間抜けな犬の真似をすれば生かして逃してやろう」

「貴様っ!」


 ロイが吠えた。

 それに牙千代は不快そうな顔を見せる。そして睨み、死の気配を漂わせながらいう。


「下郎が、妾に楯突くな。そんなにはよう死にたいか?」


 牙千代は黒々とした暗黒の力を見せ、いかに自分とロイ達とが力の差があるかを見せつけ。それに怯むと牙千代は声をあげて笑う。


「あっはっは! あまり妾をおかしくさせるな。あまり笑うと主人様が……」

「牙千代、遊ぶな!」


 この中で唯一牙千代を恐れずにそう命令する声、御剣虎太郎。虎太郎はエリーチカが離れないように手を繋いでいるので、それを見て牙千代はクスりと笑う。虎太郎に何か面白い事を言ってやろうかとそう思った時、大声をあげて巨人が襲い掛かった。


「おぁああああああああ!」


 今まで声一つあげなかった巨人が何かに焦るように叫び、巨大なトマホークを牙千代の体目掛け振りかぶった。


「お?」


 牙千代は何かあったのか? という具合に振り返るが時すでに遅し、牙千代の上半身は下半身と別れを告げ、大量の血を流す。


「うぉ! うぉおおおお! うぉう!」


 牙千代の下半身がぐちゃぐちゃになるまでトマホークで殴る巨人。ロイはあっけない終わりに何故か笑けてきた。あれだけ強かった怪異も所詮はこの程度で死んでしまう。

 このショッキングな出来事にエリーチカは虎太郎の服を強く掴み、悲しそうな顔をする……


(虎太郎は、悲しくないの? 牙千代が死んじゃった……)


「あぁ、牙千代は死なないから、多分牙千代を殺せる奴は貴子姉さんか、牙千代と同格の鬼神かのどっちかじゃないかな」


 この状況で虎太郎は牙千代は死んでいないとそう言うのだ。それには信じられなかったが、牙千代が完全に沈黙したと思った巨人は再び狼の姉弟を襲おうとしてつまづいた。


「連れないのぉ、ようやく肩こりが取れたところじゃ……もう少し強く叩いておくれよぅ。お前殿ぉ?」


 上半身だけで牙千代は巨人の足を掴んだ。それも巨人がつまづく程の力でそこから巨人は動けない。


「あぁ……いあああああ!」


 巨大なトマホークを振り下ろす巨人。牙千代はそのトマホークの直撃を受ける瞬間。刃先を掴んだ。

 メキメキメキ、バキバキバキ、ばりん。

 そんな音と共に、巨人のトマホークを握り潰す。牙千代の体がゆっくりと修復される。


「ありえない……あいつヴァンパイアだったのか……それもありゃ真祖って奴じゃ」


 ロイはそう言うがそれは間違っている。牙千代は吸血をする鬼ではない。鬼の神。鬼神である。牙千代はいつの間にか下半身と繋がり。元の姿を取り戻す。そして楽しそうに微笑み、代わりに巨人。ロイ達に強烈な絶望を与える。不死身の怪物。そんな牙千代相手に考える思考を持っていれば近づこうとも手を軽々と出そうとも思いはしないだろう。

 されど……巨人はあまりの恐怖から牙千代に襲い掛かった。それを見て牙千代は実に嬉しそうに微笑んだ。


「全く元気な童じゃ」


 ドン!


 牙千代は巨人の顔を鷲掴む。ジタバタと暴れる巨人は牙千代から離れようと牙千代を丸太のように太い腕で殴ろうとしたが鋭い刃物で切られたかのようにスパッと巨人の腕が落ちる。


「が、ガァあああ!」


 もう片方の腕も同じく落ちる。牙千代は巨人を掴む手を離さずに巨人の足も切り裂いた。そして頭を掴んだまま持ち上げる。


「ようやく上げられるようになった。ゆっくり、ゆっくりと死をくれてやろうな? 坊や」


 ボゥ、黒い炎が巨人を包む。生きながら処刑されている巨人。その巨人を掴みながらゆっくりと牙千代はロイとロクの元へ向かう。ロイは恐怖で震えて動けない。そんなロイを見てロクが前に出た。


「姉じゃ、逃げろ」


 ロクは自慢の脚力で牙千代を翻弄し時間を稼ごうとしたが、牙千代はそんなロクの動きを見切り、殴り飛ばした。


「ごはっ……!」


 血を吹き壁に激突して気を失う。それに弟の名前を呼ぶことすらできないロイ。牙千代が近づいてくるのに逃げることができない。蛇に睨まれたカエル。まさにそう形容するのが一番な状態で牙千代はロイの前にやってくると再び言った。


「ほれ、犬の真似をしてみせい! さすればあの死にかけの駄犬もろとも生かして逃してやる。それとも、こうなりたいかや?」


 ボゥ! 耳をつくような強烈な叫び声と共に巨人は灰になってゆく。死に方というものがいくらかあるが、牙千代により生きたまま灰にされるなんて死に方としては最悪の一言である。それを見て、ロイはプライドなんて物を捨て、犬の真似をした。

 羞恥よりも生存本能が勝り、それはそれは牙千代を喜ばせるほどの間抜けな犬を演じ、失禁している事にも気づかずに弟を連れて逃げていく。


「牙千代、やりすぎ。エリちゃんドン引いてるから」

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